3−2.
翌日。
雨は止み、空には薄く陽が差していた。
視察から戻ったアネットは、ぐったりとソファへ沈み込んでいた。
「疲れた・・・・・。」
村の視察にアネットも同行した。
だが、村の視察は想像以上に大変だった。
ぬかるむ道。
冷たい風。
歩き回って話を聞き続けたせいで足も重い。
だが収穫はあった。
実際に村を見たことで、帳簿だけでは分からない問題も見えてきたのだ。
薪不足、古い井戸、高齢者世帯の除雪問題。
数字だけでは見えない生活が、そこにはあった。
そして意外だったのは――。
「・・・旦那様、すごかったわね。」
イーサンの姿だった。
村人達は彼を恐れていると思っていた。
だが違った。
『伯爵様!』
『今年も道路整備ありがとうございます!』
『助かってます!』
領民達は皆、イーサンへ深く頭を下げていた。
イーサン自身は相変わらず無口だった。
必要最低限しか喋らない。
だが視線はよく周囲を見ていた。
崩れかけた橋、痩せた畑、子供達の服装。
全部きちんと見ている。
そしてロビンへ短く指示を出していた。
『修繕を早めろ。』
『予算を回せ。』
『冬前に終わらせる。』
それだけ。
だがその一言で村人達の表情が明るくなる。
アネットは少し驚いていた、イーサンは冷たい人だと思っていたから。
違った。
彼は感情を表に出さないだけなのだ。
その時。
控えめなノック音が響いた。
「奥様。」
ロビンだった。
「どうぞ。」
入ってきたロビンは、小さな箱を持っていた。
「旦那様からです。」
「え?」
アネットは目を丸くする。
「旦那様から?」
「はい。」
ロビンは箱をテーブルへ置いた。
「視察のお礼だそうです」
「お礼・・・?」
アネットは戸惑う。
イーサンがそんな事をするイメージがなかった。
恐る恐る箱を開ける。
「・・・・・綺麗。」
中には銀細工のブローチが入っていた。
小さな青い石が埋め込まれている。
派手ではない。
だが上品で、美しかった。
「素敵・・・。」
「旦那様が不要だからと。」
「え?」
ロビンは淡々と説明する。
「以前、贈られた物らしいですが、使わないので奥様へと。」
アネットの指先が止まる。
「・・・そうなの。」
胸の奥が、ほんの少しだけざわついた。
誰かからの贈り物。
恐らく貴族女性だろう。
イーサンほどの男性なら、女性から贈り物をされる事も多いはずだ。
別におかしな話ではない。
契約結婚なのだから尚更。
なのに、何故か少しだけ、胸が重たかった。
「奥様?」
「え?」
「どうかされましたか。」
「ううん、何でもないわ。」
アネットは慌てて微笑む。
「嬉しくてびっくりしただけ。」
「・・・そうですか。」
ロビンはじっとアネットを見る。
何かを探るような視線だった。
アネットはブローチへ目を落とす。
綺麗だ。
きっと高価な品だろう。
だが同時に、頭の中に知らない女性の姿が浮かぶ。
イーサンへ笑いかける女性。
彼へ贈り物を選ぶ女性。
それをイーサンが受け取っていた事実。
「(・・・変なの。)」
心の中で呟く。
契約なのに。
愛のない結婚なのに。
どうして少しだけ、もやもやするのだろう。
「お気に召さなければ処分いたしますが。」
ロビンの声に、アネットははっと顔を上げた。
「え!?そんな、勿体ないわ!」
「ですが・・・。」
「綺麗だもの!大切に使うわ!」
そう言ってブローチを握る。
ロビンはしばらく無言だった。
やがて静かに口を開く。
「・・・奥様は優しいですね。」
「そうかしら?」
「中には他人から贈られた物をさらに贈られる事を嫌がる方もいます。」
アネットは少し苦笑した。
「私は契約妻だもの。」
その言葉を口にした瞬間。
胸がまた少し痛んだ、何故だろう?
自分で決めた距離感なのに。
「旦那様はーー」
ロビンがぽつりと呟く。
「女性からの贈り物をほとんど受け取りません。」
アネットが目を瞬かせる。
「そうなの?」
「ええ。面倒だからと断る事が多いです」
「・・・じゃあこれは珍しいのね。」
「珍しいですね。」
その返答を聞いて。
何故か今度は別の意味で胸がざわついた。
受け取った相手は、特別な女性だったのだろうか。
そこまで考えて、アネットは慌てて頭を振る。
「(何を考えてるの、私。)」
契約結婚だ。
イーサンが誰から何を貰おうが自由。
自分が気にする立場ではない。
それなのに、どうしてこんなに落ち着かないのだろう。
その事に付いてアネットは1人でずっと考えていた。
その夜。
執務室で書類を読んでいたイーサンへ、ロビンが紅茶を置いた。
「渡したか。」
「ああ、ブローチですか。」
イーサンは短く頷く。
「反応は。」
「喜んでおられました。」
「そうか。」
興味なさそうな返事。
だがロビンは少しだけ口元を緩めた。
「ですが少々複雑そうなお顔もされていました。」
ペンが止まる。
「何?」
「さあ?」
ロビンはわざとらしく微笑んだ。
「旦那様には分からないかもしれませんね。」
イーサンは眉をひそめた。
だが結局、その意味を深く考える事はなかった。




