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愛さない事を誓いなさい。  作者: 鈴木べにこ


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第3話 冷たい執事と熱い紅茶

 朝から空はどんより曇っていた。


 窓を叩く雨音を聞きながら、アネットは書類へ視線を落とす。



「・・・・・難しい。」



 伯爵夫人の仕事を学び始めて数日。


 想像以上に覚えることが多かった。


 領地管理、使用人の統括、収支確認、来客対応。


 しかもウェルズリー伯爵家は領地規模が大きい。


 当然、仕事量も膨大だった。



「奥様、手が止まっています。」



 向かい側から冷静な声が飛ぶ。


 ロビンだ。


 今日も相変わらず隙のない姿で、書類整理をしている。



「止まっているというより、数字が踊って見えるのだけれど・・・。」


「集中力不足です。」


「厳しいわね。」


「当然です。」



 ぴしゃりとまるで容赦がない。


 アネットは小さくため息を吐いた。


 ロビンは仕事に関して本当に妥協しない。


 少しでも甘えた発言をすると、即座に切り捨てられる。



「こちらをご覧ください。」



 ロビンが新しい資料を差し出す。



「各村の冬季支援物資一覧です。」


「冬季支援?」


「豪雪地帯の村へ配給する燃料や食糧です。」



 アネットは資料を読みながら眉を寄せた。



「この村、去年より配給量が減っていませんか?」


「ええ。」



 ロビンは冷静に答える。



「理由は?」


「予算調整です」



 淡々とした返答。


 だがアネットは納得できなかった。



「冬はこれから厳しくなるのでしょう?」


「問題ありません」


「でも・・・。」


「旦那様が決定されたことです。」



 その一言で会話が切れる。


 ロビンは基本的にイーサンの判断を絶対視していた。


 アネットは少し考え込む。


 イーサンは冷たい人ではない。


 むしろ合理的だ。


 だからこそ、理由なく支援を減らすとも思えなかった。



「実際の村の様子は見ましたか?」


「必要ありません。」


「どうして?」


「数字で十分判断できます。」



 アネットは眉をひそめた。



「本当に?」


「何が言いたいのです?」


「数字だけじゃ分からない事もあると思うの。」



 その瞬間。


 ロビンの空気が少し冷えた。



「感情論ですね。」


「そういう意味じゃなくて――」


「旦那様は感情で領地運営をされる方ではありません。」



 明らかに棘があった。


 アネットも少しムッとする。



「私は旦那様を否定したわけじゃありません。」


「ですが奥様は、現場を見れば数字より正しい判断ができると?」


「そこまでは言ってないわ。」


「同じ事です。」



 冷たい。


 本当にこの人は融通が利かない。


 アネットもつい言い返した。



「ロビンって、時々旦那様を神様みたいに扱うわよね。」



 空気が止まる。


 ロビンの目がすっと細くなった。



「・・・旦那様を愚弄するつもりですか。」


「そんな事言ってないでしょう!?」


「旦那様がどれだけこの領地のために働いているかも知らずにーー」


「だから否定してないってば!」



 思わず声が大きくなる。


 するとロビンは静かに書類を閉じた。



「失礼します。」


「え?」


「少し頭を冷やしてください。」


「ちょ、ちょっと!」



 そのままロビンは部屋を出ていってしまった。


 ぱたん、と扉が閉まる。


 静寂。



「・・・感じ悪い。」



 アネットは机へ突っ伏した。


 またやってしまった。


 ロビンとは時々こうなる。


 彼は常に冷静で、理屈が先に来る。


 そして何より、イーサンに関わる事になると途端に頑固になる。


 だがアネットだって、別に悪気があったわけではない。


 ただ領民の様子が気になっただけだ。



「もう・・・・・。」



 窓の外を見る。


 雨はさらに強くなっていた。



 その頃。


 廊下を歩いていたロビンは、小さく息を吐いた。



「・・・子供ですね」



 自分でも分かっていた。


 少し言い過ぎた。


 だが、どうしても苛立ってしまう。


 アネットは悪い人間ではない。


 むしろ驚くほど真面目で仕事も投げ出さない。


 使用人にも丁寧。


 だからこそ厄介だった。


 情が移る。


 三年後には出ていく人間なのに。


 しかも最近、イーサンの空気が少し変わってきている。


 本人は気づいていないだろう。


 だが長年側にいたロビンには分かる。


 イーサンはアネットへ以前より視線を向けていた。


 それがロビンには妙に落ち着かなかった。



「ロビン。」



 低い声。


 振り返ると、イーサンが立っていた。



「旦那様。」


「何してる。」


「・・・少々、奥様と意見が対立しまして。」



 イーサンの眉がわずかに動く。



「喧嘩か。」


「そのような大層なものでは。」


「お前がムキになる時点で珍しいな。」



 図星だった。


 ロビンは少し口を閉ざす。


 イーサンは窓の外を見た。



「村の件か。」


「・・・ご存知でしたか。」


「声が聞こえた。」



 どうやら執務室の近くを通ったらしい。


 イーサンは短く言う。



「支援削減は一時的だ。」


「はい。」


「春の道路整備予算を優先しただけだ。」


「承知しております。」


「だが・・・現地確認は必要だな。」



 ロビンが目を見開く。



「旦那様?」


「数字だけじゃ見えない事もある。」



 ロビンは黙った。


 先ほど自分が否定した言葉だったからだ。


 イーサンは淡々と続ける。



「明日視察へ行く。お前も来い。」


「・・・かしこまりました。」



 そしてイーサンは歩き去る。


 ロビンはしばらく動けなかった。


 まるで、自分が間違っていたと言われたみたいだった。



 夕方。


 アネットは自室で本を読んでいた。


 だが内容は頭に入らない。


 ロビンと言い争ったのが地味に引きずっていた。



「謝った方がいいのかしら・・・。」



 その時。


 控えめなノック音が響く。



「はい?」


「ロビンです。」



 アネットは少し驚いた。



「どうぞ。」



 扉が開く。


 ロビンは無表情のままティーワゴンを押していた。



「紅茶をお持ちしました。」


「え?」


「長時間集中されていましたので。」



 アネットはぱちぱち瞬きをする。


 喧嘩したのに、普通に紅茶を持ってきた。



「・・・・・仲直りって事?」


「別に喧嘩していたつもりはありません。」


「してたでしょう。」


「意見交換です。」


「絶対違うわ!」



 アネットが呆れると、ロビンは少しだけ視線を逸らした。


 それから紅茶を注ぐ。


 湯気と共に、温かな香りが広がった。



「・・・・・いい香り。」


「旦那様が好まれる茶葉です。」



 アネットはカップを受け取る。


 一口飲むと、身体の力がふっと抜けた。



「美味しい・・・。」


「それは良かったです。」



 ロビンが静かに答える。


 少し沈黙が落ちた後、アネットは小さく言った。



「ごめんなさい。」



 ロビンが目を向ける。



「旦那様を悪く言うつもりじゃなかったの。」


「・・・分かっています。」


「ただ、領民の様子が気になって。」


「ええ。」



 ロビンは少しだけ間を置いた。



「私も言い過ぎました。」



 それは多分、彼なりの謝罪だった。


 アネットは思わず笑う。



「ロビンって、不器用よね。」


「奥様に言われたくありません。」


「何それ。」



 少しだけ。


 本当に少しだけ。


 部屋の空気が柔らかくなる。


 窓の外ではまだ雨が降っていた。


 だが温かな紅茶の湯気が、その冷たさを静かに溶かしていく。


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