11.契約終了まであと半年
季節は巡り、春が近づいていた。
窓から差し込む陽射しも以前より柔らかい。
ウェルズリー伯爵邸の庭には小さな花が咲き始めていた。
そして――。
「・・・あと半年。」
アネットは机の上の契約書を静かに見つめた。
契約期間、三年。
終了まで残り半年。
最初は長いと思っていた時間が、今は驚くほど短く感じる。
「奥様?」
書類を運んできたロビンが、不思議そうに首を傾げた。
「どうかなさいましたか。」
「・・・何でもないわ。」
アネットは慌てて契約書を閉じた。
けれどロビンはちらりとその表紙を見て、何となく察したらしい。
「もう半年ですか。」
「ええ。」
短い返事。
胸が少し痛む。
ロビンは静かにアネットを見つめた。
最近の彼女は少し変わった。
以前よりよく笑う。
領民達とも自然に話すし、旦那様とも会話が増えた。
だが同時に、時々ひどく寂しそうな顔をする。
「奥様。」
「何?」
「旦那様と何かありましたか。」
「・・・どうして?」
「最近、少し距離を置かれているように見えます。」
アネットは苦笑した。
さすがロビンだ。
誤魔化せない。
「別に喧嘩したわけじゃないの。」
「では?」
「・・・整理してるだけ。」
ロビンが静かに目を細める。
整理。
その意味を理解してしまって、胸の奥が少し重くなった。
アネットは窓の外を見た。
庭師達が花壇を整えている。
穏やかな光景。
「契約は終わるでしょう?」
ぽつりと呟く。
「だから、その時ちゃんと笑って終われるようにしたいの。」
ロビンは何も言えなかった。
「旦那様との事を、嫌な思い出にしたくないの。」
アネットは小さく笑う。
「最初は怖かったし、冷たい人だと思ってたけど。」
『お前の意見は今後も聞く。』
頭の中にイーサンの声が浮かぶ。
不器用で、言葉が少なくて、でもちゃんと自分を見てくれた。
「だから、綺麗に終わりたいのよね。」
それはまるで自分へ言い聞かせるような声だった。
ロビンは静かに視線を伏せる。
綺麗に終わる。
簡単に言うけれど、本当にそんな事が出来るのだろうか。
どう見ても・・・アネットはイーサンへ恋をしている。
そして恐らく――。
「(旦那様も彼女を・・・。)」
ロビンはそこまで考えて思考を止めた。
認めたくなかった。
午後。
アネットは一人で庭園を歩いていた。
風が気持ちいい。
最近は意識的にイーサンと距離を取っている。
必要以上に一緒にいない。
目を合わせすぎない。
期待しない。
そう決めた。
なのにーー。
「奥様。」
低い声がして心臓が跳ねる。
振り返るとイーサンが立っていた。
「旦那様。」
「何してる。」
「少し散歩を。」
イーサンはアネットの隣へ来た。
自然な動作だった。
最近、彼は以前よりアネットの近くへ来る。
まるでそれが当たり前みたいに。
それが余計につらい。
「体調はどうだ。」
「大丈夫です。」
気を使う言葉をかけられただけでグッと涙が出そうになる。
「旦那様。」
「何だ。」
「この庭、綺麗ですね。」
「ああ。」
「春になったらもっと花が咲きそう。」
「庭師が張り切ってるからな。」
短い会話。
それだけなのに。
穏やかで心地いい。
だから困る。
こんな時間が増えるほど、別れがつらくなる。
「・・・半年後。」
不意にイーサンが言った。
アネットの身体が強張る。
「契約が終わるな。」
胸がぎゅっと痛んだ。
イーサンは静かに前を見ている。
表情は読めない。
「・・・そうですね。」
「その後はどうする。」
「え?」
「行く場所は決めてるのか。」
アネットは少し迷った。
「まだ・・・考え中です。」
本当は少し考えている。
小さな町で静かに暮らすのもいいかもしれない。
誰にも期待せず、誰も愛さず、穏やかに生きる。
「旦那様は?」
「何が。」
「再婚とか、されるんですか?」
聞いた瞬間後悔した。
何を聞いているのだろう。
契約なのだから当然、自由だ。
イーサンは少しだけ眉を寄せた。
「・・・さあな。」
「セシリア様とか。」
口に出した瞬間、胸がちくりと痛む。
イーサンがアネットを見る。
「何故そこでセシリアが出る。」
「幼馴染でしょう?」
「それだけだ。」
淡々とした返答。
だがアネットの胸は全然落ち着かなかった。
もし自分と別れた後。
イーサンがセシリアと結婚したら。
二人が並んで笑っていたら。
セシリアがこの屋敷の女主人になったら。
「・・・嫌だな。」
ぽろり、と本音が零れた。
イーサンが目を細める。
「何が。」
「・・・っ。」
しまったと思った。
アネットは慌てて視線を逸らす。
「何でもありません。」
「そうは聞こえなかった。」
イーサンは珍しく追及してくる。
アネットは胸が苦しかった。
言えるわけがない。
あなたが他の女性といるところなんて見たくない、なんて。
そんな資格・・・自分にはない。
「奥様ー!」
遠くからメイドが呼ぶ声がした。
アネットはほっとする。
「呼ばれてるみたいです!」
逃げるように頭を下げた。
「失礼します!」
そのまま早足で去っていく。
イーサンはその背中を黙って見ていた。
そして小さく眉をひそめる。
「・・・何なんだ。(どうすればいい。)」
イーサンから見た最近のアネットは時々、泣きそうな顔をする。
距離を取ろうとしているのも感じる。
なのに完全には離れない。
まるで何かを我慢しているみたいだと、イーサンはどうしたらいいか分からなかった。
一方。
走るように屋敷へ戻ったアネットは、自室の扉を閉めた瞬間その場へ座り込んだ。
「私・・・最低。」
嫌だと思ってしまった。
イーサンが誰かと幸せになる未来を。
そんなの、まるでーー。
「・・・旦那様なんか好きじゃない。」
言い聞かせるように呟く。
「好きじゃない。好きじゃない。好きじゃない。」
そう思わなければ。
終わりが来た時、壊れてしまいそうだった。




