表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛さない事を誓いなさい。  作者: 鈴木べにこ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/32

10ー4.

 ロビンはアネットの横に立ち、小さく呟く。



「奥様。」


「何?」


「無理はしないでください。」



 その声はいつもより少しだけ柔らかかった。


 アネットは小さく頷く。



「うん。」



 火の明かりの向こうで、イーサンが再び指示を出し始める。


 その横顔を見ながら。


 アネットは知らず知らずのうちに、その言葉を胸の中で繰り返していた。



『お前は外さない。』



 それは救いなのか。


 それとも――。


 まだ、分からなかった。


 夜が更けるほど、現場の空気は張り詰めていった。


 松明の数が増え、影が揺れるたびに土砂の山が不気味に見える。


 作業は順調に進んでいるはずなのに、誰も完全には気を抜けない。



「この区画、あと半刻で抜けます!」


「補強材、急げ!」



 ロビンの声が飛び、作業員達が一斉に動く。


 その中でアネットも小さな補助作業を任されていた。


 道具の受け渡し、記録係への報告、簡単な指示の伝達。


 それだけなのに、思っていたよりずっと忙しい。



「これ、思ったより大変ですね。」



 小声で呟くと、すぐ隣からロビンの声が返ってきた。



「今さら気づきましたか。」


「意地悪。」


「事実です。」



 いつものやり取り。


 でも、どこか安心する。


 その時だった。


 ドン、と低い音が響いた。


 地面がわずかに揺れる。



「崩れるぞ!」



 誰かの叫び。


 一瞬で空気が凍る。


 補強中の土壁の一部が、軋むように音を立てた。



「退避!」



 ロビンの声が鋭く響く。


 作業員達が一斉に離れる。


 しかし一人、動きが遅れた。


 荷重板を支えていた若い男が、土砂に足を取られて転ぶ。



「――っ!」



 アネットの体が先に動いていた。


 考えるより先。


 彼の腕を掴む。



「立って!」



 引き上げようとするが、重い。


 土砂がさらに崩れ始める。



「奥様、離れてください!」



 ロビンの声。


 だがアネットは手を離さなかった。



「無理です、このままだと巻き込まれます!」



 その瞬間だった。



「左に倒せ。」



 低い声。


 イーサンだった。


 迷いのない指示。


 現場の空気が一瞬で変わる。



「板ごと左へ!」



 ロビンが即座に反応する。



「皆んなで支えろ!」



 作業員達が動く。


 イーサンの指示通り、荷重のバランスが崩れる方向へ意図的に倒す。


 その瞬間――


 ズガッ、と音を立てて土砂が崩れ落ちた。


 さっきまで人がいた場所に、重い土の塊が落ちる。


 静寂。


 一瞬、誰も動けなかった。



「・・・助かった。」



 誰かが呟く。


 若い男は震えながら座り込んでいた。



「す、すみません・・・!」



 アネットは息を吐き、ようやく手を離す。


 心臓がうるさい。


 手が震えている。


 その時、イーサンが近づいてきた。


 無言。


 だがその視線は、まずアネットを確認している。



「怪我は。」


「ありません。」


「そうか。」



 それだけ。


 怒りもない、責めもしない、ただの事実確認。


 その淡々とした態度に、逆に安心する。


 ロビンが若い男の肩を軽く叩いた。



「次からは単独で無理をしないように。」


「は、はい!」



 ロビンは視線を上げる。


 そしてアネットを見た。



「奥様。」


「・・・はい。」


「今の判断、悪くありませんでした。」



 アネットは目を瞬く。



「え?」


「ですが、次は“助ける側の安全”も優先してください。」



 静かな注意。


 叱責ではない。


 指導。


 アネットは少しだけ頷いた。



「・・・分かりました。」



 ロビンはそれ以上言わなかった。


 代わりに小さく息を吐く。



「本当に・・・手がかかりますね。」



 その言い方に、少しだけ優しさが混ざっている。


 アネットは思わず笑ってしまう。



「旦那様とロビンが助けてくれるんでしょ。」


「そうですね。」



 そのやり取りの横で、イーサンは静かに現場を見ていた。


 そしてぽつりと呟く。



「終わらせる。」



 それだけ。


 しかしその一言で空気が変わる。


 再び作業が動き出す。


 夜の中、領主の声は短く、しかし確かだった。


 しばらくして。


 作業は大きな山を越え、通路の確保がほぼ完了した。


 人々の緊張も少しずつ解けていく。


 焚き火のそばに戻ったアネットは、ようやく深く息を吐いた。



「・・・疲れた。」



 思わず本音が出る。


 ロビンが隣に座る。



「当然です。」


「即答しないで。」


「事実です。」



 アネットは苦笑する。


 少し離れた場所で、イーサンがまだ現場を見ている。


 その背中は相変わらず静かだ。


 だが、さっきより少しだけ緩んで見えた。



「ねえ、ロビン。」


「何ですか。」


「さっきの・・・。」



 言いかけて、言葉を選ぶ。



「旦那様、すごかったわね!」



 ロビンはすぐに返さない。


 少しだけ間があった。



「ええ。」



 短い肯定。


 それ以上は語らない。


 アネットは焚き火を見つめる。



「本当に、迷わない人ね。」


「迷わないようにしているだけです。」


「違うの?」



 ロビンは少しだけ視線を落とした。



「迷っている時間がないだけです。」



 その言葉は、少しだけ重かった。


 アネットは黙る。


 遠くでイーサンが指示を終え、こちらへ歩いてくる。


 泥のついたコート。


 疲れは見えるが、歩き方は変わらない。



「終わった。」



 短い一言。


 アネットは立ち上がる。



「お疲れ様です。」


「ああ。」



 それだけ。


 いつもの無口。


 でも今は違う。


 アネットは気づいていた。


 この人は“誰よりも先に現場に立つ人”なのだと。


 守るために。


 迷わずに。


 ロビンが静かに立ち上がる。



「では撤収準備を。」


「分かった。」



 イーサンが短く答える。


 そして一瞬だけ、アネットを見る。



「戻るぞ。」


「・・・はい。」



 その言葉は、いつもより少しだけ柔らかかった。


 アネットは気づかないふりをしたまま頷く。


 でも胸の奥では、また別の感情が静かに育っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ