10ー2.
午後になり、領地の空気は一変した。
穏やかだった市場に、ざわついた声が広がる。
「荷馬車が詰まってるぞ!」
「道が崩れてる!」
視察を終えかけていた一行の元へ、商人の一人が駆け込んできた。
「伯爵様! 南の街道が土砂で塞がれて……物流が止まりそうです!」
その言葉に、場の空気が一気に張り詰める。
ロビンが即座に地図を広げた。
「場所は?」
「この先の丘の麓です!」
指差された地点を見た瞬間、ロビンの表情が僅かに険しくなる。
「・・・この規模だと、復旧に数日はかかります。」
商会の責任者が青ざめる。
「そんな・・・今の時期に物流が止まれば損失が。」
周囲が騒ぎ出す。
その中心でイーサンだけが動かなかった。
ただ一歩、前へ出る。
「場所へ行く。」
一言、それだけだった。
「旦那様、危険です!」
アネットが思わず声を上げる。
だがイーサンは振り返らない。
「見ないと判断できない。」
反論を許さない静けさがあった。
ロビンが短く息を吐く。
「・・・分かりました。馬車を用意します。」
「私も同行します!」
アネットの言葉にイーサンとロビンは反対する。
「ここにいろ。」
「そうです。危険ですのでここで待っていてください。」
アネットは真っ直ぐに2人を見据える。
「旦那様が危険を犯してでも見に行くのに、奥様の自分が1人待っているなんて出来ないわ。それにこの目で被害状況を見ないと対策も取れないでしょ?」
イーサンは数秒アネットを見た後、口を開いた。
「無茶なことはするな。」
「仕方ありません。奥様は言ったら聞きませんからね。」
ロビンは小さくため息を吐いた。
「2人とも、ありがとう・・・。」
数分後。
一行は現場へ向かった。
崩れた街道は想像以上だった。
土砂が道を完全に塞ぎ、荷馬車が立ち往生している。
商人達が途方に暮れている中、イーサンは馬車から降りた。
泥を踏む音。
そのまま現場へ歩いていく。
「旦那様!」
アネットが思わず追う。
ロビンも続いた。
崩れた斜面を見上げ、イーサンは短く言う。
「原因は?」
「雨による地盤崩れです!」
現場の男が答える。
イーサンは数秒だけ沈黙した。
そして。
「掘れ。」
それだけ言った。
「え?」
「上からじゃなく、横から抜く。」
ロビンが即座に反応する。
「そのルートなら迂回路を作れますが、人手と時間が。」
「三日以内に開ける。」
イーサンは迷わなかった。
その声に、周囲の空気が変わる。
命令ではない。
確信だった。
「無理だろ・・・。」
誰かが呟く。
だがイーサンは振り返らない。
「無理なら領主は要らない。」
静かな一言。
空気が凍る。
アネットはその背中を見ていた。
いつもの無口。
冷たい。
必要最低限。
でも今は違う。
そこには迷いが一切ない人間がいた。
「(この人・・・。)」
初めて見る。
本気のイーサン。
その後の動きは早かった。
イーサンの指示は無駄がなく、ロビンが即座に実務へ落とし込む。
「人員は三班に分ける。」
「運搬と掘削、交代制で回す。」
「夜間は松明を増やせ。」
「滑落防止はこの角度で補強。」
次々と指示が飛ぶ。
誰もが気づく。
これはただの復旧作業ではない。
“最短で通すための戦略”だ。
アネットは呆然とその様子を見ていた。
「すごい・・・。」
思わず零れる。
ロビンが横目で答える。
「これが旦那様です。」
「・・・いつもは違うの?」
「普段は余計な事をしないだけです」
さらっと言う。
アネットは少し笑ってしまう。
その時だった。
ガラッ、と音がして土砂の一部が崩れた。
「危ない!」
誰かが叫ぶ。
現場が一瞬混乱する。
その瞬間。
イーサンが一歩前に出た。
迷いなく土砂の流れを見て、崩れる方向を瞬時に判断する。
「左に逃げろ。」
低い声。
その言葉だけで、全員が動いた。
次の瞬間、土砂が崩れ落ちる。
誰も巻き込まれない。
静寂。
そしてざわめき。
「助かった・・・。」
「今の一瞬で・・・。」
誰もが息を呑む中。
アネットはイーサンを見ていた。
泥で少し汚れたコート。
無表情のまま現場を見渡す姿。
なのに。
そこには確かに“守る側の人間”がいた。
「(この人は・・・。)」
誰よりも、迷わず人を守る人だ。
アネットはイーサンの姿を目に焼き付けていた。
夜。
作業の第一段階が終わり、仮設の通路が確保された。
松明の明かりの中、アネットは少し離れた場所で息を吐いた。
その隣にロビンが来る。
「お疲れですか。」
「少しだけ。」
「旦那様の指示、どう思いましたか。」
アネットは少し考える。
「怖いくらい正確だった。」
「ええ。」
「それに・・・。」
言葉を探す。
「安心した。」
ロビンが目を細める。
「そうですか。」
「うん。」
アネットは遠くを見る。
イーサンはまだ現場にいた。
指示を出し続けている。
その背中は、やはり静かで。
でもさっきよりも少しだけ近く感じた。
「旦那様って。」
アネットは小さく呟く。
「本当に、凄い人ね。」
ロビンはすぐには答えなかった。
少しだけ間を置いて。
「今更気づきましたか」
アネットは笑う。
「遅い?」
「かなり。」
ロビンも少しだけ笑った。
その時、遠くから声が響く。
「アネット。」
イーサンだった。
振り返ると、彼がこちらへ歩いてくる。
いつもの無表情。
けれど少しだけ疲れている。
「日が昇るまでには終わらせる。」
「はい。」
短い会話。
それだけなのに。
アネットの胸は、さっきよりもずっと騒がしかった。
ロビンはその横で静かに目を細める。
まるで何かを確かめるように。そして小さく息を吐いた。
夜の仮設小屋は、外よりもさらに冷えていた。




