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愛さない事を誓いなさい。  作者: 鈴木べにこ


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19/32

10.頼りになる存在



 朝の光が、薄くカーテンの隙間から差し込んでいた。


 昨日の夜のことを思い出すと、アネットは少しだけ気恥ずかしくなる。



「(殴ります、って……執事の言葉じゃないわよね。)」



 思い出して小さく笑ってしまう。


 あの真顔であの不器用さ。


 そして、ちゃんと自分を見てくれていたこと。


 胸の奥が少しだけ軽い。


 けれど同時に、別の感情も残っていた。


 イーサンの言葉。


 ロビンの言葉。


 二人とも、違う形で自分を揺らしてくる。



「・・・厄介ね。」



 アネットは髪飾りを付けながら小さく呟いた。



 朝食の席。


 長いテーブルの向こう側にイーサンがいる。


 相変わらず無表情でパンを切っている。


 必要最低限の動き、必要最低限の会話。


 でも最近それが少しだけ違って見えるようになった。


 ただの無関心じゃない。


 ちゃんとこちらを見ている沈黙だ。



「・・・。」



 アネットがスープを口に運ぶ。


 その様子を、イーサンは一瞬だけ見た。



「今日は視察はない。」


「そうなんですか?」


「書類だけ。」


「少し休める日ですね。」


「・・・ああ。」



 短い会話。


 それなのに以前より距離が近い気がする。


 アネットはその変化に気づいてしまった自分が怖かった。


 食後。


 アネットは庭へ出ていた。


 秋の風は少し冷たいが、日差しは柔らかい。


 使用人達が忙しそうに行き交う中、アネットは花壇のそばで立ち止まる。


 何となく気持ちを整理したかった。


 昨日の夜。


 ロビンの言葉。



『旦那様はあなたを気にしている。』



 あの言葉が頭から離れない。



「 (気にしてる・・・。)」



 それが本当なら。


 それはとても、危険な事だ。


 期待してしまうから。


 その時だった。



「奥様。」



 後ろから声がした。


 振り返るとロビンが立っていた。



「早いわね。」


「仕事ですので。」


「真面目。」


「今に始まった事ではありません。」



 いつものやり取り。


 でも昨日より少しだけ、空気が柔らかい。



「・・・何か用?」


「確認です。」


「確認?」


「昨日、ちゃんと眠れましたか?」



 アネットは一瞬言葉に詰まる。



「・・・子供じゃないんだから。」


「子供でも眠れない人はいます。」


「あなた、本当に容赦ないわね。」


「事実です。」



 ロビンは淡々としている。


 アネットはため息を吐いた。



「まあ・・・普通に寝たわ。」


「嘘ですね。」


「なんで分かるのよ。」


「目の下。」


「・・・。」



 即答された。


 アネットは観念するように肩を落とす。



「少しだけ考え事してただけ。」


「旦那様の事ですか。」


「・・・違う。」


「即答じゃないですね。」


「あなた本当に嫌な執事ね。」


「よく言われます。」



 ロビンは少しも動じない。


 その淡々とした態度が、逆に救いでもあった。



「・・・ねえ、ロビン。」


「はい。」


「あなたって、なんでそんなに私に構うの?」



 ロビンの動きが一瞬止まる。


 ほんの僅か。


 だが確かに止まった。



「・・・仕事です。」


「嘘。」


「仕事です。」


「嘘ね。」



 アネットは少しだけ笑う。


 ロビンはわずかに視線を逸らした。



「昔のあなたなら、もっと放っておいたでしょう?」


「そうかもしれません。」


「じゃあ何で今は違うの?」



 ロビンはしばらく黙っていた。


 風が二人の間を通り抜ける。


 やがて小さく息を吐いた。



「・・・あなたが、あまりにも分かりやすいので。」


「は?」


「放っておくと壊れそうだからです。」



 アネットの胸が少し跳ねる。



「壊れるって何よ。」


「比喩です。」


「分かってるわよ。」



 アネットは少し頬を膨らませる。


 ロビンはそんな彼女を見てほんの僅かに目を細めた。



「あなたは、人の言葉を飲み込みすぎる。」


「そう?」


「ええ。」



 ロビンは静かに続ける。



「我慢して笑う癖があります。」



 アネットは一瞬黙る。


 否定できなかった。


 昔からそうだった。


 母の涙、父の不在、屋敷の空気。


 全部飲み込んで、笑うしかなかった。



「変ね。」



 アネットは小さく笑う。



「執事に人生相談されるなんて。」


「よくある事です。」


「絶対ないでしょ。」


「あなたにはあります。」



 ロビンは真顔だった。


 アネットは吹き出しそうになる。  



「ふふ・・・本当に変。」



 その笑いを見て、ロビンは少しだけ息を吐いた。



「・・・それでいいです。」


「え?」


「あなたは、笑っている方がいい。」



 アネットの動きが止まる。


 昨日のイーサンの言葉が重なる。



『お前は笑ってる方がマシだ。』



 同じようで。


 でも違う。


 ロビンのそれは、もっと柔らかい。



「・・・どうして?」



 思わず聞いてしまう。


 ロビンは少し黙った後、視線を花壇へ落とした。



「見ていて、楽だからです。」


「なにそれ。」


「難しい顔をされるよりは。」



 アネットは少し笑う。



「単純ね。」


「ええ。」



 ロビンは短く答えた。


 そして少し間を置いて。 



「ですが。」



 真剣な声になった。



「昨日のあなたは、少し無理をしていました。」

 


 アネットの笑みが消える。


 ロビンは続ける。 

 


「一人で抱え込むのは、あまり好きではありません。」



 静かな声だった。


 叱るわけでもなく、ただ事実を言っているだけ。


 それが逆に胸に刺さる。  



「ロビンってさ。」



 アネットは小さく笑う。

  


「意外と優しいのね。」


「今更ですか。」


「うん。」



 アネットは花壇の花を見つめる。


 少しだけ風が強くなった。   



「私ね・・・。」


「はい。」


「笑ってる方がいいって言われると、ちょっと困るの。」



 ロビンの視線が向く。



「どうしてですか。」


「だって。」



 アネットは小さく息を吐く。



「本当は笑いたくない時もあるから。」


 

 沈黙。


 ロビンは何も言わなかった。


 アネットは続ける。



「でも、笑ってる方がいいって言われると・・・笑わなきゃって思っちゃうのよ。」



 それは昔からの癖だった。


 期待に応えるための笑顔、空気を壊さないための笑顔、母を見て覚えた笑顔。


 ロビンは少しだけ目を細めた。



「それは違います。」


「え?」


「笑えと言っているわけではありません。」



 静かな声。



「笑っているあなたの方が、見ていて安心するというだけです。」

 


 アネットは少し驚く。

  


「それって同じじゃない?」


「違います。」 



 即答だった。



「義務ではなく、印象です。」 



 アネットは言葉に詰まる。


 そんな違いを考えた事もなかった。


 ロビンは淡々と続ける。



「無理に笑う必要はありません。」


「・・・・・。」


「ですが、笑った時は本心であってほしい。」



 アネットの胸が静かに揺れた。


 この執事も本当に、不器用だ。


 でも優しい。


 そして。


 ちゃんと見ている。

  


「・・・難しいわね。」



 アネットは小さく笑った。



「あなた達、二人とも。」


「二人?」



 ロビンがわずかに首を傾げる。


 アネットは一瞬だけ言葉を飲み込んだ。


 イーサンの事を言いかけた自分に気づく。



「なんでもない。」

 


 誤魔化すように笑う。


 その笑顔を見て、ロビンは小さく息を吐いた。



「また、そうやって隠す。」


「癖よ。」


「直した方がいいです。」


「簡単に言うわね。」


「簡単ではありません。」



 ロビンは静かに続ける。



「ですが、あなたは変わろうとしている。」

  


 アネットの動きが止まる。



「・・・そう見える?」


「ええ。」



 ロビンははっきり言った。



「少なくとも、以前よりよく話します。」


「それ褒めてる?」


「褒めています。」



 真顔だった。


 アネットは少しだけ笑った。


 その笑いは昨日より自然だった。


 ロビンはそれを見て静かに目を細める。



「それでいいです。」



 風が優しく吹いた。


 アネットは空を見上げる。


 少しだけ、心が軽くなる。


 でも同時に思う。   



「(この人も・・・ずるいわね)。」



 イーサンとは違う形で。


 ロビンもまた、自分の心を揺らしてくる。


 この屋敷には。


 人の心を静かに変えていく人ばかりいる。


 だからきっと。


 離れる時が来たら――。


 アネットはその先を、考えるのをやめた。

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