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愛さない事を誓いなさい。  作者: 鈴木べにこ


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18/32

9−2.

 その日の夜。


 アネットは自室へ戻った後も、なかなか眠れなかった。


 窓の外では風が木々を揺らしている。


 イーサンの言葉が頭から離れない。



『お前は、お前の母親とは違う。』


『笑ってる方がマシだ。』



 不器用で。


 全然甘い言葉なんかじゃない。


 なのに胸の奥へ深く残る。



「・・・本当にずるい!」



 ぽつりと呟く。


 期待したくないのに。


 好きになってはいけないのに。


 イーサンは時々こんな風に心を揺らしてくる。


 アネットはため息を吐き、無理やり気持ちを切り替えるように机へ向かった。


 明日の視察資料を整理しよう。


 そう思った時だった。


 ――コンコン。



「奥様。」



 ロビンの声。



「どうぞ。」



 扉が開き、ロビンが入ってくる。


 手には数冊の帳簿があった。



「南側市場の追加資料です。」


「こんな時間に!?」


「旦那様が明日確認したいと。」



 アネットは苦笑する。



「働き者ね。」


「あなた達二人ともです。」



 ロビンは帳簿を机へ置いた。


 そして何気なくアネットを見る。



「・・・眠れてませんね。」


「また顔に出てる?」


「かなり。」


「嫌だわ。」



 アネットは困ったように笑う。


 ロビンは少し黙った後、静かに言った。



「旦那様と何か話しましたか。」



 アネットの肩がぴくりと揺れる。



「・・・どうして?」


「戻って来た時の顔が違いました。」


「それも顔に出てたの?」


「ええ。」



 ロビンは淡々としている。


 アネットは少し拗ねた表情になりながらも、観念したように椅子へ座った。



「少し昔話をしただけよ。」


「実家の話ですか。」


「・・・うん。」



 ロビンはそれ以上追及しなかった。


 その気遣いがありがたかった。


 アネットは小さく息を吐く。



「ロビン。」


「はい。」


「あなたって、昔はもっと冷たかったわよね。」



 ロビンの眉がわずかに動く。



「そうですか?」


「そうよ。最初なんて“契約妻”って顔に書いてあったもの。」


「書いてません。」


「書いてたわ。」



 ロビンは少しだけ視線を逸らした。



「・・・最初は、すぐ離婚すると思っていましたから。」


「正直ね。」


「旦那様が他人へ興味を持つとは思っていませんでした。」



 アネットは一瞬言葉を失う。



「・・・興味?」


「ええ。」



 ロビンは静かに続けた。



「旦那様は昔から、人と深く関わる方ではありません。」



 使用人に、貴族にも、友人にすら一定以上近づけない。


 そんな男だった。



「でも最近は違います。」



 ロビンの視線がアネットへ向く。



「旦那様は、あなたを気にしている。」



 アネットの胸が跳ねた。



「そ、それは伯爵夫人だから。」


「違います。」



 即答だった。



「以前の旦那様なら、誰かの顔色なんて気にしません。」



 ロビンは淡々と事実を並べる。



「食事を取ったか確認する事もない。体調を気遣う事もない。泣いた顔を見てあんな顔をする事も。」


「・・・あんな顔?」


「怖かったですよ。」



 真顔だった。


 アネットは思わず吹き出す。



「ふふ、そんなに?」


「ええ。市場で奥様が顔色変えた瞬間、空気が冷えました。」


「大袈裟よ。」


「事実です。」



 ロビンはため息を吐く。



「周囲の商人達が怯えてました。」


「・・・旦那様って無自覚に威圧感ありますものね。」


「かなり。」



 二人は少し笑った。


 穏やかな空気が流れる。


 だがふとロビンは真面目な顔へ戻った。



「・・・ですが。」


「?」


「奥様。」



 静かな声。



「あなたは、旦那様を怖がる必要はありません。」



 アネットが目を瞬く。



「え?」


「旦那様はあなたを傷つけません。」



 真っ直ぐな言葉だった。


 アネットは胸が少し痛くなる。


 そんな保証、誰にも出来ないのに。



「・・・・分からないわ。」



 アネットは俯きながら呟く。



「人って変わるでしょう?」



 父のように、母のように。



「確かに人は変わります。実際に旦那様は変わりました。」


「え?」


「あなたのせいで。」


「・・・・・。」


「とてもいい方向にです。」



 ロビンは静かに言う。



「以前は屋敷へ帰っても仕事しかしなかった人です。」



 食事も適当で会話も最低限。


 笑う事も少なかった。



「でも最近は違います。」



 ロビンは少し目を細める。



「奥様がいる食卓にはちゃんと来る。」



 アネットの胸が熱くなる。



「奥様が領地へ出ると言えば同行する。」



 そんなの、偶然かもしれない。


 そう思いたいのに。



「奥様が泣けば、あんな顔をする。」



 ロビンは静かに言った。



「少なくとも私は、旦那様が誰かにあんな顔をするのを初めて見ました。」



 アネットは言葉を失った。


 胸が苦しい。


 嬉しい。


 怖い。


 全部混ざっている。



「・・・だから困るの。」



 ぽつりと零れる。



「優しくされると、期待しちゃうから。」



 ロビンは少し黙った。


 その横顔はどこか複雑だった。


 けれど彼は静かに口を開く。



「期待していいんじゃないですか。」


「え?」


「少なくとも旦那様は、あなたを大切にしています。」



 アネットは俯く。



「でも私は・・・。」



 怖い。


 好きになるのが。


 愛するのが。


 失うのが。



「奥様。」



 ロビンは静かにアネットを見る。



「もし旦那様があなたを泣かせるような事があれば。」


「?」


「その時は私が旦那様を殴ります。」



 真顔だった。


 アネットはぽかんとした後、思わず吹き出した。



「ふふっ・・・!」


「笑い事ではありません。」


「だって、あなた執事でしょう?」


「ええ。」


「主人殴るの?」


「必要なら。」



 あまりにも真顔で言うから、アネットは涙が出るほど笑ってしまった。


 ロビンは呆れたようにため息を吐く。


 けれどその目は少しだけ優しかった。



「・・・やっと笑いましたね。」



 その言葉に、アネットは笑みを止める。


 ロビンは小さく笑う。


 アネットは心が温かくなるのを感じた。



「ありがとう、ロビン」


「どういたしまして。」



 ロビンは静かに一礼した。


 その背中を見ながらアネットは思う。


 この屋敷には、不器用だけど優しい人達がいる。


 だからきっと・・・離れる時が来たら、すごく寂しくなる。

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