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愛さない事を誓いなさい。  作者: 鈴木べにこ


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2.伯爵夫人の仕事

 ウェルズリー伯爵家へ嫁いでから三日。


 アネットはようやくこの屋敷の空気に慣れ始めていた。


 静かで、規律正しく、どこか冷たい屋敷。


 使用人達は皆優秀だが必要以上に口を開かない。


 それは主人であるイーサンに似ているのかもしれない、とアネットは思った。



「奥様、本日の予定をご説明いたします。」



 朝食後、ロビンが淡々と紙を差し出した。


 相変わらず隙のない執事だ。


 白い手袋を嵌めた指先まできっちりしている。



「午前中は帳簿確認。午後は使用人達の管理について説明します。その後、夕方より旦那様との会食があります。」


「会食?」


「外部へ向けた“仲の良い夫婦”の演出です。」



 感情のない声だった。


 アネットは苦笑する。



「なるほど、契約ですものね。」


「ええ。」



 ロビンは頷く。


 だがその目はどこか冷たかった。


 最初から感じていたが、彼はあまりアネットを歓迎していない。


 表面上は礼儀正しい。


 しかし距離がある。


 アネットは分厚い壁を感じた。



「では参りましょう。」



 ロビンはそれ以上雑談をせず歩き出した。


 アネットも後を追う。


 案内されたのは広い執務室だった。


 本棚と書類棚が隙間なく並び、大きな机の上には大量の資料が積まれている。



「こちらが伯爵家の収支記録です。」



 ロビンが分厚い帳簿を置いた。


 ずしりと重い。



「全部ですか?」


「一部です。」


「一部。」



 あまりの分厚さに一瞬固まるアネット。



「奥様には伯爵夫人として必要最低限の知識を身につけていただきます。」



 言い方が少し引っかかった。


 必要最低限。


 つまりアネットに期待していないということだろう。



「旦那様は無能を嫌いますので。」



 さらりと言われ、アネットは思わず笑いそうになった。



「ロビンは厳しいですね。」


「当然です。」



 即答だった。



「伯爵夫人とは、ただ着飾って笑っていればいい立場ではありません。」


「その通りですね。」


「・・・・・。」



 素直に頷かれたのが予想外だったのか、ロビンがわずかに黙る。


 アネットは帳簿を開いた。


 数字がびっしり並んでいる。


 領地収入、税、農作物の流通、維持費、修繕費。


 かなり細かい。



「旦那様は領地経営に非常に厳格です。無駄を嫌い、曖昧な処理を許しません。」


「すごいですね・・・・・。」


「当然です。」



 また即答。


 どうやらロビンはイーサンをかなり尊敬しているらしい。



「奥様は数字は得意ですか?」


「嫌いではありません。」


「ではこちらを。」



 ロビンは次々資料を積み上げていく。



「今年度の小麦流通量です。こちらは昨年との比較表。こちらが各村の税収記録。」


「・・・多いですね。」


「伯爵夫人の仕事ですので。」



 にこりともせず返される。


 どうやら本気で鍛える気らしい。


 アネットは少し肩を竦めた。



「分かりました。頑張ります。」



 その後、アネットは予想以上に真面目に資料へ取り組んだ。


 ロビンは最初、どうせすぐ音を上げると思っていた。


 貴族令嬢は数字を嫌う者が多い。


 少し複雑な話をすれば、頭痛がすると逃げ出す。


 だがアネットは違った。



「この村だけ税収の減少率が大きいですね。」


「・・・ええ。」


「去年、水害があった場所ですか?」



 ロビンが目を細める。



「何故そう思ったのです。」


「修繕費が増えていますし、農作物の被害記録もあります。」


「・・・・・。」


 正解だった。


 ロビンは黙ってアネットを見る。


 アネットは気づいていない。


 その観察力はかなり優秀だった。



「何か間違っていました?」


「いえ。」



 ロビンは淡々と答える。



「合っています。」


「よかった。」



 アネットはほっと笑った。


 その笑顔に、ロビンは何故か少し苛立つ。


 こんな政略結婚の花嫁。


 どうせ数年後には出ていく人間だ。


 なのに。


 既に三日目にして使用人達は少しずつ彼女に気を許し始めていた。


 厨房では料理人達と自然に会話し、庭師には花の名前を尋ね、侍女達にも丁寧に礼を言う。


 変な女性だった。


 普通、伯爵夫人はもっと傲慢だ。


 使用人を見下す者も多い。


 だがアネットにはそれがない。


 だからこそロビンは余計に警戒していた。


 情が移る。


 それが一番厄介だった。


 情が移ったら仕事に支障が出る。



「奥様。」


「はい?」


「旦那様に余計な期待はなさらない方がよろしいかと。」



 突然の言葉だった。


 アネットがきょとんとする。



「期待?」


「旦那様は契約を違える方ではありません。」



 つまり、三年後には本当に離婚するということを改めてアネットに説明するロビン。


 アネットは少し瞬いたあと、苦笑した。



「大丈夫ですよ。」


「・・・・・。」


「私もそのつもりですから。」



 ロビンは黙る。


 予想していた反応と違った。



「奥様は・・・。」


「はい?」


「変わっていますね。」


「よく言われます。」



 穏やかな返答。


 その時だった。


 執務室の扉が開く。



「ロビン。」



 イーサンだった。


 今日も黒い上着を着こなし、隙のない姿だ。


 彼は部屋へ入ると、ちらりとアネットを見た。



「終わったか。」


「まだ途中です。」



 ロビンが即座に答える。



「奥様は覚えることが多いので」



 微妙に棘のある言い方だった。


 イーサンは書類へ視線を落とす。



「・・・ほう。」


「ですが最低限は理解されております。」



 褒めているのか貶しているのか分からない。


 アネットは少し困った。


 イーサンは資料を一枚手に取る。



「これは?」


「今年度の流通比較です。」


「違う。」



 イーサンが一点を指差した。



「数字がズレてる。」



 ロビンの表情が初めて変わった。



「申し訳ありません!」


「訂正しろ。」


「すぐに!」



 ロビンが頭を下げる。


 アネットは少し驚いた。


 完璧人間だと思っていたロビンでもミスをするのか。


 するとイーサンがアネットを見る。



「お前は気づかなかったのか。」


「え?」


「数字。」



 アネットは慌てて資料を見る。


 本当だ。


 一箇所だけ計算がズレている。



「すみません・・・。」


「まあいい。」



 イーサンは興味なさそうに資料を戻した。



「最初から出来るとは思ってない。」



 相変わらず言葉は冷たい。


 だが不思議と馬鹿にしている感じはなかった。


 単純に事実を言っているだけなのだ。



「夜の会食には出ろ。」


「分かりました。」


「夫婦らしくしろ。」


「努力します。」



 イーサンはそれだけ言うと去っていく。


 本当に必要最低限しか喋らない。


 扉が閉まった後、静寂が戻る。


 ロビンがぽつりと呟いた。



「旦那様は奥様に随分甘いですね。」


「え?」


「普通ならもっと厳しく言います。」



 アネットは少し驚いた。


 あれで甘いらしい。



「そうなんですか?」


「ええ。」



 ロビンは淡々と書類を整理する。


 だが内心では納得していなかった。


 イーサンは他人に興味を持たない、必要以上に言葉をかけない、なのにアネットには少しだけ違う。


 それが何故か、ロビンには面白くなかった。



「では午後の仕事へ移ります。まだ終わりませんので。」



 ロビンは感情を押し隠すように言った。


 アネットは苦笑する。



「厳しいですね、ロビン。」


「旦那様の執事ですから。」



 その返答はどこか誇らしげだった。


 アネットはそんなロビンを見て、少しだけ思う。


 この人はきっと自分が思っている以上にイーサンを大切にしているのだろう、と。





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