8−2.
ロビンが淹れ直した紅茶から、静かに湯気が立ち上っていた。
甘い香りが部屋に広がる。
アネットはハンカチで目元を押さえながら、小さく息を吐いた。
「・・・ごめんなさい。」
「何故謝るんです。」
ロビンは淡々と言う。
「泣く事は悪い事ではありません。」
「でも仕事中なのに。」
「今日くらいは構いません。」
珍しく優しい声音だった。
アネットは少しだけ苦笑する。
「あなた、本当に変わったわね。」
「誰のせいでしょう。」
「私?」
「ええ。」
ロビンは真顔だった。
アネットは思わず小さく笑う。
泣いた直後なのに、不思議と少しだけ気持ちが軽くなっていた。
「・・・ありがとう、ロビン。」
「どういたしまして。」
ロビンは短く返す。
それから視線をアネットの顔へ向けた。
「ですが。」
「?」
「その顔のまま旦那様へ会わない方がいいでしょう。」
アネットの肩がぴくりと揺れる。
「・・・どうしてそこで旦那様が出てくるの。」
「気づかれますよ。」
「何に?」
「泣いた事に。」
即答だった。
アネットは慌てて鏡へ視線を向ける。
確かに少し目元が赤い。
「うわぁ・・・。」
「少し休んでから戻った方が。」
その時だった。
――コンコン。
執務室の扉がノックされる。
二人の動きが止まる。
「どうぞ。」
ロビンが答える。
次の瞬間、扉が開いた。
「ロビン。」
低い声。
アネットの心臓が跳ね上がる。
入って来たのはイーサンだった。
いつもの黒い服。
静かなグレーの瞳。
だがその視線がアネットを見た瞬間、ぴたりと止まる。
「・・・・・。」
しまった。
そう思った時には遅かった。
イーサンの眉がわずかに寄る。
「どうした。」
短い問い。
アネットは反射的に笑顔を作った。
「な、何がですか?」
「目。」
「え?」
「赤い。」
やっぱり気づかれた。
アネットは内心で頭を抱える。
どうしてこの人はこういう時だけ妙に鋭いのだろう。
「・・・別に何でも。」
「泣いたのか。」
真っ直ぐ聞かれて、アネットは言葉に詰まる。
イーサンの視線は誤魔化しを許してくれない。
「・・・・少し。」
小さく認める。
するとイーサンの空気が僅かに変わった。
「何かあったか。」
「違います、本当に大した事じゃ。」
「誰かに何か言われた?」
低い声。
静かなのに圧がある。
ロビンが小さく息を吐いた。
「旦那様。」
「何だ。」
「少し落ち着いてください。」
「落ち着いてる。」
「全く落ち着いて見えませんが。」
アネットは思わずイーサンを見る。
確かに。
表情は変わらないのに妙に空気が張っていた。
怒っているというより、焦っているような。
「・・・本当に違うんです。」
アネットは慌てて言う。
「ちょっと昔の事を思い出しただけで。」
「昔?」
「実家の事です。」
イーサンが黙る。
それ以上踏み込むか迷っている顔だった。
アネットは何故か、その顔を見るだけで胸がざわつく。
こんな風に心配しないでほしい。
優しくされると、また期待してしまう。
「旦那様。」
「何だ。」
「そんな顔しないでください。」
「どんな顔だ。」
「怖い顔です。」
「してない。」
「してます。」
イーサンは少し黙る。
そして小さく息を吐いた。
「・・・泣いてるからだ。」
その言葉に、アネットの胸が熱くなる。
泣いているから。
だから心配してくれた。
それだけなのに。
どうしてこんなに嬉しいのだろう。
「・・・ありがとうございます。」
アネットが小さく笑う。
まだ少し涙声だった。
イーサンはその顔をじっと見つめる。
「・・・無理するな。」
低い声。
優しい声音。
アネットは慌てて視線を逸らした。
駄目。
そんな風に言われたら。
本当に好きになってしまう。
いや。
「(もう、遅いのかもしれない・・・。)」
その考えが浮かんだ瞬間、胸が苦しくなる。
契約なのに。
終わりが決まっている関係なのに。
なのに心だけが、どんどんイーサンへ向かってしまっていた。
ロビンはそんな二人を静かに見つめていた。
そして誰にも気づかれないよう小さく目を伏せる。
胸の奥に芽生え始めた感情へ、まだ名前を付けないまま。




