7−3.
静かな夜風。
近すぎる距離。
アネットの心臓は、うるさいほど鳴っていた。
ロビンの姿が見えなくなると、バルコニーには静寂だけが残った。
遠くから音楽が聞こえる。
パーティーはまだ続いているらしい。
けれどこの場所だけ、切り離されたみたいに静かだった。
アネットは落ち着かない気持ちで視線を彷徨わせる。
イーサンと二人きり。
それだけで最近は妙に緊張する。
「・・・寒いか。」
不意にイーサンが口を開いた。
「え?」
「風。」
アネットは首を振る。
「大丈夫です。」
「そうか。」
会話が止まる。
気まずいわけではない。
でも胸がそわそわする。
イーサンは昔から口数が少ない。
けれど以前より、沈黙が苦じゃなくなった。
隣にいる事へ慣れてしまったのだ。
それが怖い。
「セシリアのせいか?」
アネットの肩がぴくりと揺れる。
「え?」
「顔が変だった。」
そんなに分かりやすかったのか。
アネットは少し苦笑する。
「別に何も。」
「嘘だな。」
即答だった。
アネットは思わずイーサンを見る。
真面目な顔をしている。
こういう時、この人は変に鋭い。
普段は人の気持ちに鈍感なのに。
「旦那様って、時々すごく察しが良いですよね。」
「時々じゃない。」
「普段は鈍いでしょう。」
「・・・否定はしない。」
珍しく素直だった。
アネットは少しだけ笑う。
その笑顔を見て、イーサンの眉間の皺が少し緩んだ。
「泣きそうな顔をしていた。」
そんな顔をしていたのか自分はとアネットは驚く。
「大袈裟ですよ。」
「そうは見えなかった。」
イーサンは静かにアネットを見る。
逃げ場を失うような視線だった。
「・・・旦那様は。」
アネットは誤魔化すように口を開く。
「セシリア様と仲が良かったんですね。」
言った瞬間、少し後悔した。
何を聞いているのだろう。
まるで嫉妬しているみたいだ。
イーサンは少し黙った。
「普通だ。」
「普通?」
「社交で関わりがあっただけだ。」
「でも昔から知ってる感じでした。」
「長い付き合いではある。」
胸がちくりと痛む。
自分の知らない時間。
知らないイーサン。
それを想像するだけで苦しくなる。
「お前。」
イーサンがぽつりと呟く。
「セシリアの事、苦手だろ。」
「・・・少し。」
「少しじゃないな。」
「かなりかも。」
アネットが正直に言うと、イーサンは小さく息を吐いた。
「気にしなくていい。」
「でも綺麗な方ですよね。」
「ああ。」
「完璧ですし。」
「そうだな。」
即答されてしまいアネットは少し落ち込む。
そんなアネットを見てイーサンはわずかに眉を寄せた。
「何でそんな顔する。」
「してません。」
「してる。」
アネットは視線を逸らした。
だって仕方ない。
比べられるような相手じゃない。
「・・・私は。」
ぽつりと声が零れる。
「セシリア様みたいにはなれません。」
イーサンが黙る。
「堂々としていて、綺麗で、自信があって・・・。」
それに比べて自分は。
契約に怯えて、期待しないようにして、母の姿に怯え手、それなのに勝手に傷ついている。
情けない。
「・・・別にならなくていいだろ。」
アネットが目を瞬かせる。
「え?」
「お前はお前だ。」
イーサンはぶっきらぼうに続ける。
「比べる必要ない。」
アネットの胸が熱くなる。
そんな風に言われると思わなかった。
「・・・旦那様。」
「それに。」
イーサンは少しだけ視線を逸らした。
「お前の方が、その・・・。」
珍しく言葉に詰まる。
アネットは目を丸くした。
「?」
「・・・いや、何でもない。」
「気になります。」
「気にするな。」
「絶対途中でやめるやつじゃないでしょう今の!」
イーサンは黙る。
耳が少し赤い。
アネットはじっと見つめた。
「・・・旦那様?」
「うるさい。」
「気になります!」
「・・・。」
しばらく沈黙した後。
イーサンは観念したみたいに小さく息を吐いた。
「・・・お前の方が、落ち着く。」
アネットの思考が止まる。
「・・・え。」
「セシリアは疲れる。」
真顔だった。
「喋るし。」
「そ、そこなんですか?」
「重要だ。」
イーサンは本気らしい。
アネットは数秒呆然とした後、思わず吹き出した。
「ふふっ!」
笑ってしまう。
本当にこの人は。
格好いい事を言いそうで、最後に少しずれる。
「・・・何だ。」
「いえっ!」
アネットは笑いながら目元を押さえる。
「旦那様らしいなって。」
イーサンは不満そうに眉を寄せた。
けれどアネットは、胸の奥がどうしようもなく温かかった。
“落ち着く”
その言葉だけで、こんなにも嬉しくなるなんて。
「(本当に駄目ね・・・。)」
夜風が静かに吹き抜ける。
イーサンはそんなアネットを見ながら、小さく目を細めた。
彼もまた気づき始めていた。
アネットが笑うと自分も安心する事に。




