7−2.
パーティーの喧騒から少し離れたバルコニーは静かだった。
涼しい夜風が火照った頬を撫でる。
アネットは一人、手すりへ軽く寄りかかりながら息を吐いた。
「・・・何やってるのかしら、私。」
セシリアの言葉が頭から離れない。
『イーサン様は昔から、誰かを情熱的に愛するような方ではありませんもの。』
そんな事、分かっている。
最初から知っていた。
これは契約結婚。
愛なんて存在しない関係。
なのに、少し優しくされるだけで胸が苦しくなる。
期待しそうになる。
「愛されない事に安心してたのに、期待するだなんて、馬鹿ね・・・。」
母の事が過り、アネットは自嘲するように笑った。
矛盾する心にゆらゆら揺れていた。
その時。
「奥様。」
背後から静かな声が響く。
振り返るとロビンが立っていた。
「探しに来たの?」
「ええ、突然風に当たると言って走って行きましたので。」
ロビンはいつもの無表情のままだが、息が微かに上がっていた。
「顔色が悪いですよ。」
「まだそんなに酷い?」
「酷いです。こんな所にいたらもっと酷くなります。」
即答だった。
アネットは少し笑う。
「ロビンって時々容赦ないわよね。」
「事実を言っているだけです。」
ロビンはアネットの隣へ立った。
夜風が二人の間を通り抜ける。
「・・・やはりセシリア様の言葉を気にしてるのですね。」
アネットの肩がわずかに揺れる。
鋭い。
本当にこの執事は鋭い。
「別に。」
「嘘ですね。」
「どうしてそう思うの?」
「あなたは分かりやすいので。」
アネットは少しだけ視線を逸らした。
「・・・・嫌な言い方。」
「事実です。」
ロビンは淡々としている。
だがその目は静かにこちらを観察していた。
「だって、彼女の方が明らかに上だもの。ただの嫉妬よ。」
アネットが素直に認めると、ロビンは小さく息を吐いた。
思わず本音が漏れる。
「綺麗で、自信があって、堂々としてて・・・。」
それにイーサンの事を昔から知っている。
その事実だけで胸がざわつく。
「私とは全然違うわ。」
アネットは拗ねたようにロビンから視線を逸らす。
「私はただの契約妻だし。」
その言葉にロビンの眉がわずかに寄る。
「奥様。」
「何?」
「あなたはもっと堂々としていい立場です。」
「そうかしら。」
「ええ。」
ロビンは迷いなく言った。
「旦那様の隣に立っているのは、あなたです。」
アネットは少し驚いた。
ロビンは昔、かなり冷たかった。
アネットを“契約妻”として線引きしていた。
なのに最近は違う。
ちゃんと伯爵夫人として認めてくれているのが分かる。
「・・・優しいのね、今日は。」
「別に。」
「ふふ。」
アネットは少し笑った。
するとロビンがじっとこちらを見る。
「それにしても。」
「?」
「最近、旦那様を意識しすぎではありませんか。」
アネットの心臓が跳ねた。
「え?」
「視線が増えました。」
「そ、そう?」
「ええ。」
ロビンは淡々としている。
「旦那様に褒められると妙に嬉しそうですし。」
「っ!!」
「今日も髪飾りを褒められてから機嫌が良かった。」
「見てたの!?」
「見えました。」
アネットの顔が熱くなる。
慌てて視線を逸らした。
「べ、別に変な意味じゃないわよ!」
「そうですか。」
「夫婦なんだから、そのくらい普通でしょう!?」
「へぇ、そうですか。」
ロビンはそう言ったが、少し疑っている顔だった。
アネットは必死に平静を装う。
危なかった。
まだバレてはいけない。
自分でも整理出来ていない感情なのだから。
「ただ、旦那様って・・・。」
アネットは小さく笑った。
「優しい時あるでしょう?」
「稀に。」
「稀になのね。」
「基本的に無愛想ですから。」
そこはロビンでも否定出来ないらしい。
アネットは思わず吹き出した。
「でも最近は、前より話してくれるようになったわ。」
「そうですね・・・。」
ロビンは静かに答える。
「旦那様は変わりました。」
その声はどこか複雑そうだった。
「奥様が来てから。」
アネットの胸が少しだけ熱くなる。
そんな風に言われると嬉しくなってしまう。
だから駄目なのだ。
期待したくなるから。
「戻りましょうか。」
アネットは誤魔化すように言った。
「そうですね。」
ロビンが頷いた、その時。
「そこで何してる。」
二人が振り返る。
イーサンだった。
月明かりの下、静かな青い瞳がこちらを見ている。
「旦那様。」
「探した。」
短い言葉。
アネットは少し驚いた。
「ごめんなさい、少し風に当たりたくて。」
「そうか。」
イーサンの視線がアネットの顔へ向く。
そして眉をわずかに寄せた。
「まだ顔色が悪いな。」
「え?」
「無理するな。」
ぶっきらぼうな声。
なのにちゃんと気遣っている。
アネットの胸がまた騒ぎ始める。
駄目。
「(本当に駄目だ。)」
なんとか笑顔を作る。
イーサンは数秒その顔を見ていた。
それからロビンへ視線を向ける。
「ロビン。」
「はい。」
「お前は下って戻れ。」
「かしこまりました。」
ロビンは一礼した。
去っていく前、ちらりとアネットを見る。
まるで“無理しないでください”と言いたげな目だった。
そしてバルコニーには、イーサンとアネットだけが残る。




