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愛さない事を誓いなさい。  作者: 鈴木べにこ


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7.優雅なマウント

 何度目かのパーティーの日、アネットは鏡の前で小さく息を吐いた。



「・・・やっぱり慣れないわね。」



 淡い水色のドレスに髪には控えめな銀の髪飾り。


 ウェルズリー伯爵夫人として恥ずかしくない装いだ。


 けれど何度参加しても、こうした社交の場は好きになれなかった。


 貴族達は笑顔の裏で腹を探り合い、褒め言葉の中へ毒を混ぜる。


 優雅に見えて、ひどく息苦しい世界だった。



「奥様。」



 背後からロビンの声が響く。


 振り返ると、いつもの黒い執事服姿のロビンが立っていた。



「馬車の準備が整いました。」


「ありがとう。」

 


 アネットは立ち上がる。


 するとロビンがじっとこちらを見た。



「何?」


「いえ。」


「言いたい事がある顔ね。」


「その髪飾り、似合っています。」



 予想外の言葉にアネットが瞬く。



「え?」


「旦那様の選択にしては悪くありません。」


「・・・褒めるなら素直に褒めなさいよ。」


「褒めています。」



 ロビンは真顔だった。


 アネットは思わず笑う。


 この執事は相変わらず素直じゃない。


 だがそんなやり取りが自然になっている自分に気づき、少しだけ驚く。


 最初の頃なら考えられなかった。


 ロビンは未だに厳しいし嫌味も多い。


 けれど最近は、その奥にある気遣いも分かるようになっていた。



「旦那様は?」


「既に玄関です。」


「早いわね。」


「旦那様が女性の準備を待つのを嫌うのはご存知でしょう。」


「知ってるわ。」



 アネットは苦笑しながら部屋を出た。


 玄関では、イーサンが静かに待っていた。


 相変わらず無駄のない立ち姿だった。



「お待たせしました。」


「・・・いや。」



 イーサンの視線が一瞬だけアネットへ向く。


 そして小さく止まった。



「?」


「・・・その色、似合ってる。」



 ぼそりと呟かれた声。


 アネットの目が見開く。



「え。」


「行くぞ。」



 それだけ言ってイーサンは先に馬車へ乗り込んだ。


 耳が少し赤い気がした。


 アネットはしばらく固まる。


 今、褒められた?



「奥様。」



 後ろからロビンが静かに言う。

 


「旦那様なりに頑張った方です。」


「・・・そうなの?」


「ええ、多分。」


「多分なのね。」



 アネットは思わず笑った。


 胸の奥が少しだけ温かい。


 こんな小さな事で嬉しくなるなんて、自分でも単純だと思う。


 夜会会場は煌びやかだった。


 巨大なシャンデリアと流れる音楽に笑い声、それに色鮮やかなドレス達。


 貴族達は優雅に談笑していた。



「ウェルズリー伯爵だ!」


「今日も奥方はお綺麗ね!」



 周囲の視線が集まる。


 イーサンは無表情のまま、自然にアネットの腰へ手を添えた。


 外向けの“理想の夫婦”。


 それが二人の役目だ。


 アネットも柔らかく微笑む。



「お久しぶりです。」


「まあ、ウェルズリー伯爵夫人!」



 社交用の笑顔、慣れた会話。


 その最中だった。



「ごきげんよう、アネット様」



 甘く美しい声が響く。


 アネットの笑顔が一瞬止まった。


 振り返る。


 そこにはセシリアが立っていた。


 深紅のドレス、完璧な化粧、周囲の視線を自然に集める華やかさ。


 相変わらず美しかった。



「・・・セシリア様。」


「お久しぶりですわ。」



 セシリアは優雅に微笑む。


 その笑顔は完璧だ。


 だからこそ怖い。

 


「ウェルズリー伯爵夫人のお姿もすっかり板について。」


「ありがとうございます。」


「ふふ。」



 セシリアはちらりとイーサンを見る。



「イーサン様も相変わらずですのね。」


「ああ。」

  


 短い返事。


 だがセシリアは気にした様子もない。



「本当に昔から変わりませんわ。ぶっきらぼうなとこが。」



 アネットの胸がちくりと痛む。


 セシリアは柔らかく笑ったまま続けた。



「わたくし、昔はよく困らされましたの。」



 ――昔。


 その言葉に、アネットの胸がざわつく。


 自分の知らないイーサンを知っている。


 それだけで妙に苦しかった。



「イーサン様って、本当に仕事ばかりの方でしょう?」


「・・・否定はしない。」


「ほら!」



 セシリアがくすくす笑う。



「昔からずっとそうでしたのよ。女性を放って仕事へ行ってしまう方でしたから。」



 周囲の令嬢達も笑う。


 アネットだけが笑えなかった。


 “昔から知っている”。


 “特別に知っている”。


 セシリアの言葉には、そんな優越感が滲んでいた。



「ですが。」



 セシリアがアネットを見る。



「アネット様はお優しいから、きっと上手くやれているのでしょうね。」



 優しい声音、なのに棘がある。


 アネットは理解してしまった。


 これはマウントだ。


 しかもとても優雅な。



「・・・ええ、何とか。」



 笑顔を崩さず返す。


 けれど胸の奥は冷えていた。


 自分は契約妻。


 愛されていない妻。


 セシリアはそれを《《察している》》のだろう。


 だから余裕なのだ。

 


「イーサン様は本当に恋愛へ向かない方ですもの。」



 セシリアが小さく肩を竦める。



「昔からそうでしたわ。」



 アネットの指先が微かに震えた。


 その時。



「セシリア。」



 イーサンが低く口を開く。


 セシリアが目を瞬く。

 


「何でしょう?」


「喋りすぎだ。」



 空気が止まった。


 セシリアの笑顔がわずかに固まる。


 アネットも驚いた。


 イーサンがこういう場で誰かを制するのは珍しい。   



「失礼しましたわ。」



 セシリアはすぐ笑顔へ戻る。



「ですが本当の事でしょう?」


「・・・・・。」


「イーサン様は昔から、誰かを情熱的に愛するような方ではありませんもの。」



 その言葉にアネットの胸が強く痛んだ。


 そんな事は分かっている。


 一番よく分かっているのは自分だ。

 

 イーサンから直接ーー



『俺は、お前を愛するつもりはない。』



 そう言われたのだから。


 なのに、改めて他人から突きつけられるとこんなにも苦しい。



「失礼しますわね。」



 セシリアは優雅に去っていく。


 香水の香りだけが残った。


 アネットは笑顔を保ったまま立っていた。


 だが頭の中はぐちゃぐちゃだった。


 惨めだ。


 自分は。


 イーサンを好きになりかけているのに。


 相手は最初から愛するつもりなんてない。


 セシリアはそれを分かった上で、余裕で笑っていた。



「・・・奥様。」



 後ろからロビンの低い声がした。


 いつの間にか近くへ来ていたらしい。



「顔色が悪いですよ。」


「大丈夫よ。」


「大丈夫な人間はそんな顔をしません。」



 ロビンは鋭い。


 アネットは少しだけ笑った。


 ロビンが小さく眉を寄せる。

 


「別になんでもないわ。」


「またそうやって・・・。」


「本当に平気よ。」

 


 アネットは笑顔を作る。


 だがロビンは納得していなかった。


 その時。



「アネット。」



 イーサンがアネットの肩に手を置く。



「少し休むか。」



 アネットは驚いた。



「顔色が悪い。」



 ロビンと同じ事を言う。


 アネットは思わず笑ってしまった。



「・・・そんなに酷い?」


「酷い。」


「酷いですよ。」


 

 イーサンとロビンの2人に心配されアネットは嬉しく思ってしまう。



 イーサンのグレーの瞳が静かにこちらを見ていた。


 不器用で、無口で、愛なんて語らない人。


 普段は鈍感だがこういう時、イーサンはちゃんと気づいてしまう人だ。


 だから余計に苦しい。



「大丈夫、何でもないわ。」



 アネットは小さく微笑む。


 その笑顔を見て、イーサンは何か言いたそうに目を細めた。


 けれど結局、何も言わなかった。


 そしてアネットもまた。


 胸の痛みを隠したまま、伯爵夫人として微笑み続けるのだった。


 そんなアネットをロビンは静かに見つめていた。

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