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愛さない事を誓いなさい。  作者: 鈴木べにこ


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11/32

6−2.

 その日の夜。


 アネットは自室で一人、頭を抱えていた。



「・・・何をやってるのよ私は。」



 ベッドへ顔を埋める。


 昼間の自分を思い出すだけで恥ずかしかった。


 嫉妬。


 どう考えても嫉妬だった。


 セシリアと話すイーサンを見て、胸がざわついた。


 しかも機嫌の悪さを本人に気づかれるなんて最悪だ。



「契約結婚でしょう・・・・・。」



 そう。


 これは愛のない関係だ。


 三年後には終わる。


 だから深入りしないと決めていたのに。


 最近の自分は本当におかしい。


 イーサンが笑うか気になる。


 誰と話しているか気になる。


 優しくされると嬉しい。


 そんなの、まるで――。



「だめ。」



 それ以上考えるのをやめる。


 怖かった。


 もし本当に恋だったら。


 終わりが決まっている相手を好きになるなんて、苦しいだけだ。


 コンコン。


 ノック音が響く。



「奥様。」



 ロビンの声だった。



「紅茶をお持ちしました。」


「・・・どうぞ。」



 扉が開く。


 ロビンはいつもの無表情でティーワゴンを押してきた。


 だがアネットを見るなり、少し眉を寄せる。



「随分酷い顔をされていますね。」


「放っておいて。」


「旦那様と何か?」



 アネットがぎくりとする。



「な、何でもないわ。」


「そうは見えません。」



 ロビンは淡々と紅茶を注ぐ。


 温かな香りが広がった。



「市場から戻ってから様子がおかしいです」


「・・・観察眼鋭すぎない?」


「仕事ですので。」



 相変わらずだ。


 アネットは苦笑した。


 だが少しだけ気持ちが軽くなる。


 ロビンは不思議だった。


 冷たいのに、時々こうして絶妙な距離で側にいてくれる。



「どうぞ。」



 ロビンがカップを差し出す。


 アネットは受け取った。



「ありがとう。」


「・・・・・。」



 ロビンは少しだけ黙る。



「奥様は。」


「何?」


「本当に変わった方ですね。」


「また?」


「普通の貴族夫人なら、執事にここまで気を遣いません。」



 アネットは首を傾げる。



「そうかしら?」


「ええ。」



 ロビンは静かに目を伏せた。


 昔からそうだった。


 執事は道具だ。優秀であればいい。感情など必要ない。


 そう扱われるのが普通だった。


 乳兄弟とはいえ、イーサン以外で自分を人として扱う者は少なかった。


 だがアネットは違う。



『ありがとう。』


『ロビンも休んで。』


『無理しないでね。』



 そんな言葉を自然に口にする。


 最初は偽善かと思っていた。


 けれど違った、彼女は本当にそういう人間なのだ。



「ロビン?」



 黙り込んだロビンを、アネットが不思議そうに見る。



「どうしたの?」


「・・・いえ。」



 ロビンは小さく息を吐いた。



「奥様は、旦那様の事がお好きなのですか。」



 アネットの手が止まる。


 カップの中で紅茶が揺れた。



「な、何を突然。」


「違うのですか。」


「違・・・。」



 否定しようとして、言葉が詰まる。


 ロビンはその反応だけで察した。


 胸の奥が少し痛む。


 やはりそうなのか、と。


 イーサンも、アネットも、少しずつ変わり始めている。


 契約結婚のはずなのに。




「・・・困りますね。」



 ロビンがぽつりと呟く。



「え?」


「旦那様は面倒な事になるのを嫌う方ですから。」



 アネットの顔色が少し変わる。


 その反応を見て、ロビンは内心で舌打ちしたくなった。



「(何を言っているんですか私は。)」



 傷つけたいわけじゃない。


 むしろ逆だ。


 傷ついてほしくない。


 契約の終わりは決まっている。


 だから深入りするなと伝えたかった。


 だが、アネットは少し寂しそうに笑った。



「・・・そうよね、愛さない事を誓った仲だし。」



 その顔を見た瞬間。


 ロビンの胸が妙に苦しくなった。


 アネットは泣きそうな顔だった。


 無理して笑っている顔。


 アネットは、昔鏡の前で感情を殺していた母親のようだと、自身は気づいていないのだろう。



「奥様。」



 気づけばロビンは、いつもより柔らかい声を出していた。



「旦那様は、不器用なだけです。」



 アネットが目を瞬かせる。



「え?」


「人の感情に鈍いですし、言葉も足りません。」


「・・・それは知ってるわ。」


「ですが、興味のない相手に時間を使う方ではありません。」



 ロビンは静かに続ける。



「市場へ奥様を連れて行ったのも、意見を聞くと言ったのも、旦那様なりに信頼しているからです。」



 アネットは何も言えなかった。


 そんな風に考えた事がなかったから。



「だからーー」



 ロビンはほんの少しだけ笑った。


 本当に小さな笑みだった。



「そんなに不安そうな顔をしないでください。」



 優しい声だった。


 アネットは驚く。


 ロビンは基本的に厳しく冷たい。


 なのに今の言葉は、不思議なくらい温かかった。



「・・・ロビン。」


「何です。」


「今日は優しいのね。」



 ロビンは一瞬黙った。


 そして小さく息を吐く。



「気まぐれです。」


「ふふ。」



 アネットは少し笑った。


 胸の中の重苦しさが、ほんの少し軽くなる。


 ロビンはそんなアネットを見ながら、静かに目を伏せた。


 ――救われているのは、自分の方かもしれない。


 そう思った。




翌朝。


 アネットは寝不足のまま朝食の席へ向かった。


 昨夜ロビンに励まされたおかげで気持ちは少し落ち着いた。


 けれど問題は解決していない。


 むしろ自覚してしまった分、余計に厄介だった。



「(私は旦那様を・・・。)」



 考えるだけで顔が熱くなる。


 あり得ない。


 絶対に駄目だ。


 三年後には終わる関係なのに。


 そんな相手へ心を寄せるなんて、自分で自分を傷つけるだけだ。


 食堂の扉を開ける。


 すると既にイーサンが席についていた。



「おはようございます。」


「ああ。」



 低い声。


 いつも通り。


 なのに目が合った瞬間、アネットの心臓が跳ねた。



「(無理無理無理。)」



 昨日まで普通に話せていたのに。


 意識してしまうと急に駄目になる。


 アネットは慌てて席へ座った。


 ロビンが静かに朝食を並べていく。


 そしてちらりとアネットを見た。


 ほんの一瞬、ロビンが自分の顔を指さして何かを伝えて来た。



「(何のこと?私の顔に何か付いてる?)」



 イーサンが小さく眉を寄せた。



「どうした。」


「え?」


「顔が赤い。」

 


 アネットはぶわっと熱くなる。



「な、何でもありません!」


「熱か。」


「違います!」



 即答しすぎて余計に怪しい。


 ロビンが静かに紅茶を注ぎながら、わずかに口元を緩めた。


 完全に面白がっている。



「(ロビン・・・!)」



 アネットがじとりと睨む。


 だがロビンは知らないふりをした。



「奥様。」


「な、何?」


「本日は南棟の倉庫確認があります。」


「そうだったわね。」


「旦那様も同行されます。」


「えっ。」



 アネットが固まる。


 イーサンは淡々とパンを食べていた。 

 


「問題あるか。」


「い、いえ。」



 問題しかない。


 今は出来れば距離を置きたかった。


 なのに仕事となれば避けられない。


 ロビンがさらりと追撃する。  



「今日は長時間ご一緒になりますので。」


「・・・そう。」



 絶対わざとだ。


 アネットは確信した。


 一方イーサンは、二人の妙な空気に少しだけ違和感を覚えていた。


 特にアネットがおかしい。


 目が合うたび逸らされる。


 落ち着きがない。

 


「何かしたか、俺。」



 ぽつりと呟く。


 ロビンは一瞬吹き出しそうになった。



「いえ、何も。」


「なら何故避ける。」


「さあ。」



 ロビンは涼しい顔で答える。


 だが、ロビンは内心はかなり複雑だった。


 アネットを見ていると守りたくなる。


 笑っていてほしいと思う。


 昨日泣きそうな顔を見た時は、胸が痛んだ。


 それなのに。


 アネットがイーサンを見つめる目を見ると、妙に苦しくなる。



「(・・・本当に面倒ですね。)」



 自分で思う。


 こんな感情は不要だ。


 執事失格だ。


 それでも、アネットの笑顔一つで救われる自分がいる。

 


 午前。


 三人は南棟の古い倉庫へ向かった。


 使用頻度の低い建物らしく、人も少ない。 


「この辺りは湿気が多いですね。」



 アネットが棚を見回しながら言う。



「書類管理には向いてないかも。」


「移動させるか。」



 イーサンが短く返す。


 自然な会話だった。


 以前より確実に増えている。


 アネットは嬉しくなる自分に気づき、慌てて気持ちを押し込めた。


 だがその時。



「きゃっ――!」



 足元が滑る。


 古い床板に水が染みていたのだ。


 身体が傾く。


 次の瞬間。


 ぐい、と強い力で腕を引かれた。

 


「危なっ!」



 気づけばイーサンの胸へ倒れ込んでいた。


 近い。


 近すぎる。


 アネットの思考が止まる。



「・・・ちゃんと見ろ。」



 低い声が頭上から降る。


 イーサンの腕がしっかり腰を支えていた。


 心臓が壊れそうなほど鳴る。 



「す、すみません・・・!」



 慌てて離れようとする。


 だがイーサンは少し眉を寄せた。



「顔赤いぞ。」


「だ、大丈夫です!」


「本当に熱あるんじゃないか。」



 イーサンはそう言って額へ手を伸ばそうとする。



「っ!!」

  


 アネットは反射的に後ろへ下がった。


 イーサンが僅かに目を見開く。


 空気が止まった。

 


「悪い。」



 イーサンが静かに手を引く。


 アネットはハッとした。



「ち、違うんです!そうじゃなくて!」



 だが上手く言葉が出ない。


 イーサンは表情を変えない。



「無理するな。今日は部屋で休め。」


「だから違っ・・・。」


「ロビン。」


「はい。」


「アネットを部屋へ。」


「かしこまりました。」



 イーサンはそのまま倉庫の奥へ歩いていく。


 アネットは立ち尽くした。


 胸が痛い、違うのに。


 避けたかったわけじゃない。


 ただ、触れられたら自分の気持ちが全部バレそうで怖かっただけなのに。



「奥様。」

 


 隣でロビンが静かに声をかける。


 アネットは唇を噛んだ。

 


「・・・最低ね、私。」


「そんな事ありません。」


「でも旦那様、傷ついた顔してた。」



 ロビンは少し黙る。


 確かに珍しかった。


 イーサンがあんな顔をするのは。



「・・・旦那様は。」



 ロビンがぽつりと言う。



「奥様が思っているより、奥様に嫌われる事を気にされていますよ。」



 アネットが顔を上げる。



「え・・・?」



 ロビンはそれ以上何も言わなかった。


 ただ静かに、困ったように笑った。

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