ズナの森のヌシ②
帝都を後にすると、すぐに舗装されていない土の道に変わる。
少しだけ冷たい風が吹いて、シュデアの銀髪を撫でて吹き抜けていく。
何度も嗅いだことのある、心がざわざわするような夜の匂いがした。
すでにモンスターがいつ現れてもおかしくない境界まで来ているため、街灯なんてものは見当たらない。しかしシュデアは夜目を持っているため、夜闇の中で光があろうとなかろうと関係ない。
月属性が踊れないなんて冗談。
シュデアの頭上で輝く満月が、静かに夜を支配していた。
──静まり返った夜のズナの森の入り口。
見上げる視線がどこまでも吸い込まれていくような大木が、見渡す限りに聳え立っているズナの森は、人の立ち入りを拒むかのようにその枝葉を風に揺らしている。
奥の方から、ギルドで嗅いだ血の匂いが微かにする。
シュデアは無効化の魔道具を目に巻き付けて、躊躇うことなく森の中へと呑み込まれていった。
薬草の自生地までは人が踏み固めて出来た道があるようで、未だにレッドアイは見当たらない。
辺りを見回しつつ、奥へと進み続けて数十分後。
夥しい量の血痕が土に染み込んで広がっている道に入った。
そこら中にどす黒く変色した血が飛び散っており、進むほどに生ゴミのような獣臭が強くなってくる。そのあまりの匂いに、シュデアが強く眉を寄せて目を凝らすと、道端に黒い毛並みをしたモンスターと思わしき死骸が、無造作に幾つも転がっていることに気付いた。
ハングリーが言っていた通り、そのどれもが頭部の半分が欠損し、脳漿が流れ落ちている。
死骸の周りには欠けた頭部らしき部位が点在しているが、討伐の証と聞いた右耳が切り取られているものがほとんどだった。
シュデアは死骸を見て思うことがあり、左耳を掴んで持ち上げて、死骸とくっつけてまじまじと見つめる。
「……やっぱり僕か!! コイツら、あの時の!」
シュデアの大きな声が夜の森にこだまする。案の定、道の奥から1匹のレッドアイが這い出てきてしまうが、その全てが頭の片隅にあった記憶とリンクする。
黒い毛並みに真紅の目と鋭い牙。空腹で記憶が曖昧だったが、その姿を見て確信する。
鋭い殺気を撒き散らして近付いてくるレッドアイを見据えながら、深く集中したシュデアは持ち上げていた頭部を無造作に投げ捨てた。
血を飛ばしながら草むらを転がっていくそれは、もうシュデアの記憶には残っていない。
「月の矢」
冷たく静かな詠唱。永遠に目が慣れることのない暗闇の中で、シュデアの背後に真っ白な魔法的光を放つ三日月が現れる。
遠くから見ればそれは、まるで流れ星が止まっているかのように見えるほど美しい白色の矢だが、眼前に向けられれば信じられないほどの高エネルギー密度による重いプレッシャーを放っており、レッドアイは目を見開いて警戒したかのように足を止めた。
今際の際の咆哮が、シュデアに向かって飛ぶ。
真紅の目がシュデアを激しく睨みつけた。
(物理攻撃無効。月属性の魔法のみ有効か。僕が今も生きているのは、月属性だからという理由で間違いなさそうだな)
シュデアは無効化の魔道具を取っ払い、真正面からレッドアイに照準を合わせて矢に命令する。
「発射」
月の矢がレッドアイの顔面に突き刺さり、骨や筋肉を引き裂きながら腹まで食い破った。
激痛と失血の恐怖で暴れるレッドアイが呼んだのか、奥に隠れていたらしい仲間達が現れてあっという間に囲まれてしまうが、シュデアの表情に焦りは全くと言って良いほど見当たらない。
──次の瞬間、無詠唱化した月の矢がレッドアイを3体同時に貫いた。
(森を焼き切って良いならもっと簡単だったんだが、今回はレッドアイだけを倒す必要がある。向こうから来てもらった方が都合が良い。……ハングリーには上手く誤魔化さないとな)
「ガァァア!!!」
「うるさいな」
鋭い爪を振り翳して肉薄してきたレッドアイを体をのけ反らせて避け、その拍子に視界の端に入った別のレッドアイに突き刺さっていた月の矢を奪い、体勢を戻しながら流れるように相手の喉に突き刺して黙らせる。
気管に穴が空き、取り込めなくなった酸素が鮮血と共に喉から溢れ出し、レッドアイは窒息して倒れ込んだ。
「次」
こうして、シュデア単体でのレッドアイ殲滅戦が始まった。
夜闇にフラッシュのような強い光が幾度となく明滅している。
無詠唱化して威力を底上げした月の矢を連発しながら、息を乱すことなく攻撃を捌きつつも、縦に重なったレッドアイの一瞬の隙を逃さず、シュデアは瞬時に照準を合わせて5体連続で貫いて連鎖させる。
吹き飛んだレッドアイの下敷きになっている別の個体にトドメを刺しながら、シュデアはまた次の敵へ魔法を発動させた。
視界にレッドアイがいなくなったら進むということを繰り返して約4時間が経った頃。
シュデアは今まで通ってきた道とは明らかに空気が違う、ズナの森の深層部へと足を踏み入れていた。
あれだけいたはずのレッドアイが1匹も見当たらなくなっている。
ふと上を見ると、夜空は大木で完全に覆い隠されており、見渡す限り得体の知れない森の世界が広がっているように思えた。
(クソ、目眩がする)
シュデアは立ち止まって一度目を閉じるが、視界は揺れ続けたまま。
空腹のまま激しい戦闘を繰り返したため、シュデアの幼い体は低血糖の症状が出始めていた。
その足取りは、序盤に比べるとかなり重くスピードが落ちている。
魔力量には依然余裕があるが、ポーションに使われている薬草を傷付けないようにするため、全体魔法を使っていないこともシュデアの肉体的な疲労を加速させている。
そんな縛りがなければこんな森、夜通し焼き尽くして終わりにしてやっている。とはいえ、地属性と申告しているためそれも出来ないのだが。
食糧はない。そしてそれを得るための金銭も無くなってしまった。
(僕は何もかもを知らなすぎる。その本当の意味を理解出来ていなかったんだな。……デューイがいなければ、今僕はここにいないだろう)
「アイツ、今どこに……ッ!」
下を向いて目眩を落ち着かせていたシュデアの背筋に、突然心臓を掴まれるようなゾッとする殺気が這う。
姿が見えなかったため反応がワンテンポ遅れるが、シュデアは一瞬で意識を戦闘態勢に切り替え、その場所から大きく飛び退くと、これまで倒してきたレッドアイの2倍以上の体格を持つ個体が、シュデアの居た場所を振るった爪で抉り取っていた。
(まさか、この状態で会うとはな)
推定全長は4メートルを優に越している。
ハングリーから聞いていた、ズナの森のヌシの特徴と全てが一致している。
岩壁を思わせる分厚い巨躯。巨木の幹ほどもあろうかという太い腕。
ヌシはシュデアを完全に敵として認識しており、自然の中で研がれた鉤爪が地表にのたうつ根を突き刺して加速し、低木を肩で薙ぎ倒しながらシュデアへと迫ってくる。
「ガアアアア!!!」
シュデアは圧倒的な体格差を見極め、地を駆けて逃げるという選択肢を即座に切り捨てる。
無詠唱化を含めすでに月の矢の発動は間に合わない。しかしシュデアは月属性の魔法使いであるということに加え、規格外の加護を宿している。
どんな状況下であっても冷静さを失うことはない。
それ故、この場にそぐわない嘲笑をこぼし、とある魔法を唇に乗せる。
「僕を見ろ──落月」
「ガア゛ァアッ!!?」
──直後。シュデアの小さな顔を噛み砕かんと、大口を開けて飛び掛かってきていたヌシの瞳が神光色に光った。
落月は詠唱完了時点で、自分と目が合っている相手を永続的に失明させる単体魔法である。
詠唱開始とともに、シュデアの瞳にはスポイトで垂らしたような神光色の雫が流れ込む。それはコップに水が溜まっていくように波打ちながら嵩を増していき、光が溜まり切った瞬間発動が可能となるのだ。
ヌシは落月によって失明し、空中で平衡感覚を喪失した巨躯は、シュデアが立っている場所とは明後日の方向に逸れ、凄まじい轟音を立てて背後の大木へと激突する。
目を押さえ、腹の底に響くような怒号を上げて暴れているヌシを、シュデアは冷たく一瞥し、隙だらけの太い首に音もなく月の矢の照準を合わせた。
無詠唱化して顕現させた月の矢は、呼吸を奪うほどの高エネルギーを放ちながら一直線に飛び──その首をいとも簡単に掻っ攫った。
鮮血を噴き上げながら力なく倒れていくヌシを避けながら、シュデアは吹き飛んでいった首を追いかけて雑に掴み上げた。
大きく見開かれているヌシの目は落月の効果により神光色に染まっているが、念の為、近くにあった枝を掴んで物理的にも失明させる。
(ヌシの首を持ち帰れば何よりの証拠になるだろう。……そうだ、頭のない死骸の件もこいつの仕業にしよう)
シュデアは名案を思いついたとでもいうようにニンマリと口の端を吊り上げる。
そして夜明け前の暗い空の下、重たい首を引き摺りながら来た道を戻るのだった。
無数に転がる、レッドアイの死骸を背後にして。




