私のはじめての決意~孤独と戦うということ。~
今まで合わせたくても合わせられなかったジグルド様の魔眼。
それは、あまりの美しさに命さえなげうってもいいと誓えるほど私を酔わせました。
瞳に私の姿が映って、その小刻みな揺れが脳の芯まで震えを届かせ、全身に広がっていきました。
耳は塞いだように何も聞こえてこないのです。
しきりにジグルド様が大きな口を開けて何かを叫んでいるように見えましたが、私は答えることなどできなかったのです。
そのうち、だんだんと視界もぼやけていって鼓動も落ち着いていきました。
息をするのも億劫になって、底無し沼にはまったように意識が落ちていきました。
抗う間もなく遂にシャツを握る指が離れて、目蓋を閉じたのです。
頬に一粒の涙が降ってきました……その感覚を最後に意識は完全になくなりました。
再び意識が浮上したのは、ジグルド様と初めて出会った図書館の前でした。
「え?」
町の人々が吸い寄せられるように図書館に入っていく中、ただ時が止まったように立ち尽くしていたのです。
先ほど転倒したケガや暴漢に掴まれた肩の痛みも消えておりました。
狂ったように袖をまくり上げ、己の腕を凝視しました。
痣も、汚れも、何一つ残っていないのです。
捕まれて跡になっているはずの腕は何事もなかったように怪我はなく……
足元に視線を移せば、破れていたスカートはきれいなままで土一つ付いていなかったのです。
生唾を飲んで足元から図書館を見上げますと、私だけこの空間に取り残されたように迫って来ているように感じました。
ジグルド様がここにいるとは限らないのですが、ここにいるような気がしました。
小さく足を一歩差し出しますと、もう一歩と引き寄せられるのです。
入口を通り、返却の手続きをしている司書さんを横目にジグルド様と出会った2階の恋愛小説の部屋を目指しました。
拒まれているかのように身体が重く、足を一段上げるだけで呼吸が乱れてしまいました。
他の利用者の視線が刺さって、身体はさらに重くなっていきました。
遂に手すりにしがみついて体重のほとんどを預け、何とか足を階段にかけていきました。
あの部屋に、ジグルド様と出会った部屋に近づくたびにだんだん音が消えていきました。
鼓動もだんだん早くなっていって、耳に届くのは私の鼓動と浅い呼吸の音だけでした。
引きずるように体を出会った部屋の前まで運んで、私は立ち止まりました。
寒いわけでもないのに、体は粟立っていきました。
呼吸を正す余裕もなく、震える指先でドアノブに触れた瞬間。
すべての体温を奪われたような気がしました。
高鳴った鼓動を隠すように、乱暴に押しました。
蝶番の軋んだ音が静寂に包まれた、図書館に響きました。
いつか踏み入れたこの部屋は、記憶の通りでなにもかわらないはずですのに、初めて訪れたかのようでした。
一つ息を置いて床に伏せた目線をゆっくりと上げると、ジグルド様が本棚を背にして絵本を読んでおりました。
その本は以前ジグルド様が貸してくださった女剣士と王子のハッピーエンドの物語でした。
ページをめくる音が耳まで届いて、鼓動が暴れだしました。
ジグルド様が今にも消えそうな気がして、息が止まりました。
最初に出会った通りに前髪で金の魔眼を隠し口元しか見えません。
でも、その口元は歯を食いしばっているように見えました。
そして上質な衣類を身に着けているのにだらしない、出会ったときと同じはずですのに、口元が違ったのです。
折れそうになる膝を無理やり正して、ジグルド様に一歩近づきました。
しかし図書館の紙とインクの香りにジグルド様のムスクの香りが混じって、すぐに足が止まってしまいました。
あと二歩近づけばジグルド様に届くのに、身体が言うことを聞かないのです。
指先は冷えていくのに、頭だけが沸騰したように熱くなりました。
視線はジグルド様から外せなくて、瞬きさえできませんでした。
それなのに、勝手に視界はぼやけていってジグルド様が見えなくなっていきました。
ジグルド様は私に視線を移すことなく、本をかさついた長い指で時間をかけて閉じました。
本棚の隙間にその絵本を差し込むと本棚の前で俯いて腕を組みました。
「カミラ……。」
「ジグルド様……。」
拒絶されたように感じて、ますます足が重くなって近づけませんでした。
ジグルド様の次の言葉に背筋を凍らせながら、立ち尽くしました。
「ここに来ちゃだめじゃないか……。俺はどうやってもお前を人形にしてしまう……。」
「私は、人形になってもいいと……。」
「俺は!お前を人形にしてまで傍に置きたくはない。知らない方がよかった……。こうなるなら……。もう俺の前に現れないでくれ!!」
ジグルド様の私を壊したくないという気持ちが、拒絶に変わって私の言葉を遮りました。
その言葉はナイフのように胸を抉って、息の根を止めるかのようでした。
ジグルド様はその場に座り込み、頭を抱えました。
前髪の影から一筋の涙が流れていきました。
私は重すぎて前に出せなかった足を縺れさせながら、倒れこむようにジグルド様の側に寄りました。
そして、膝立ちになってジグルド様を頭を抱きしめたのです。
ジグルド様の涙が紺色のワンピースにしみこんでいって歪なシミとなっていきました。
私にジグルド様の熱が伝わってきて、浅い呼吸を繰り返しました。
「俺は、カミラをどうやっても人形にする運命なのか…?」
ジグルド様が零した言葉は、耳に届く限界の大きさで小さく痛々しく、そして呪いのようでした。
絵本のようにはうまくいかないのです……。
最初に感じたそれは、本当にその通りになっていました。
二人の想いは一緒なはずですのに、運命が一緒にいることを拒んでいるようでした。
私を人形にしたくないジグルド様と、人形になってでも傍にいたい私。
二人の間には少しずつ溝が浮かび上がってきているように感じました。
落ち着かない胸を隠すように、腕に力を込めました。
ジグルド様の震える腕が私の背に回りました。
そして、隙間はいらないと言わんばかりにピタリと身体を合わせました。
「カミラが俺を捨てなくても、運命が引き裂くのか……?」
ジグルド様の呟きは私にかけているものではなく、まるで自らに問いかけるようだったのです。
考えれば、ジグルド様はこの田舎のトリティクムに一人、古いお屋敷に引きこもり隠れている王弟殿下。
供のものをつけず、最低限生きるだけの生活をしていたそんなジグルド様は、わざと大切なものを作らなかったのかもしれません。
しきりに捨てられることを気にしているのも、その強すぎる魔眼によって畏怖し、人が離れていったのでしょう。
私という離れない存在が現れたにも関わらず、再びその魔眼によって人形になってしまう。
孤独がジグルド様を守る唯一の術と言わんばかりの運命に、私は燃え上がりました。
冷えていた体は息を吹き返したように熱を生み、呼吸を大きくさせていきます。
「ジグルド様、運命は変えられます。……私が変えてみせます。」
何の保証も根拠もない言葉が、腹の底から絞り出されました。
“ジグルド様を救いたい”その気持ちが勝手に言葉になって口が動いたのです。
捕まえるだけでは、愛するだけでは足りないのです。
かつてお嬢様に抱いた、ただその人の幸せのために尽くすという気持ちが、今はジグルド様を救いたいという気持ちへと変わっていたのです。
染みついた侍女としての矜持はここにきても勝手に芽を出しました。
乳母になると決めたあの時の様に燃え上がったのです。
その決意を表すかのように、手をジグルド様の前髪に伸ばしたのです。
最後までありがとうございます。
終盤……!
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
感謝です。
では、次回もよろしくお願いします。




