私のはじめての狂気~人形は狂気を愛と呼ぶ~
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路地裏、夜
暗くすえた匂いがする路地裏に、ジグルド様が現れました。
シルエットしか分からなくても、その声で分かりました。
私の冷たく固いタイルに押し付けられた身体は、火を灯したように熱くなりました。
暗く見えるはずがないのに、網膜に焼き付けるように一点集中して目を向けました。
「誰だお前! どっかいけ!!」
男の肩の食い込んだ指先に皮膚が粟立ちました。
鼻をつく香りに吐きそうになりました。
男は唾を撒き散らしながら、ジグルド様に怒鳴りつけました。
酒で赤くなった顔をさらに赤くして、男は更に私の肩に指を沈めました。
私は、顔が歪み、痛みで声が出せませんでした。
「どこかへ行くのは……お前だ!」
張り上げ、近づいて来るジグルド様。
足を止めて、左手を男に向けてかざしました。
すると、一瞬にして目の前から男が消えました。
私は、庇うように掴まれた肩を手で押さえつけました。
触れるだけで痛みが走り、その場に膝をつきました。
小さな石が血がにじむ膝に食い込んで、痛めつけていきました。
「うわああ!!」
高い場所から、男の声が聞こえました。
声のする方へ視線を向けると、両手足を懸命に大きく振り続ける男が宙を舞っていました。
「下ろせー!!」
「……失せろ。」
ジグルド様の低く、腹の底から出る怒声に、私は全身の筋肉が縮こまりました。
軽いボールのようにそのまま男は表通りに吹き飛ばされました。
そして、屋根の高さから急降下し、尻餅をつきました。
「ぐわっ!!」
地面にたたきつけられた音は、ただ事ではないことを物語っていました。
ジグルド様は、まだ腕を男に向けたままで、鼻で笑いました。
その笑い声にその場の空気が凍てつき、私も喘ぐような呼吸しかできないのです。
危機を察知した体はピクリとも動かないのです。
「もう一回行くよ?」
「ひぃぃぃ!バケモノ!!」
金縛りが解けたように男は、四つん這いになって離れていきました。
立ち上がり、腰に手を当て、転倒しながらどこかへ逃げていきました。
次第に、男の影が見えなくなりました。
男の背中からジグルド様の方へ目を向けました。
前髪を掻き上げ、魔眼を晒しました。
暗い路地裏にそれは、星のように輝いて見えました。
私は、ため息が漏れました。
膝の力が抜けてしまって、地面にお尻がつきました。
身体は、ガタガタと震え腕を身体に巻き付けました。
顔に熱が集まってきて、鼓動も苦しくなるほど胸を打ちました。
自然に瞼も目尻も下りて、口は中途半端に開きました。
「カミラ、なぜここにいる?」
責めるような厳しい声でした。
しかし、私はなにも言えませんでした。
背筋はゾクゾクと震えました。
ーージグルド様が来てくれて、嬉しい、だなんて……
私は熱い息を吐きました。
ジグルド様からは、厳しい視線が刺すように向けられました。
「……っ、ジグルド様……」
「……」
「会いたかった……」
私の声は甘く響きました。
それは、この路地裏にはふさわしくない響きでした。
ジグルド様は更に視線を鋭いものにして、口は一文字に結ばれました。
ひれ伏したくなる圧力を皮膚に感じました。
こめかみから、汗が一筋流れていきました。
腹に力を入れて、ジグルド様に視線を留めました。
しかし、縮こまる身体に限界に近いことを知らせました。
「……カミラは人形になりたいの?」
「わたしは、ジグルド様のお側にいられるなら……」
「怖くは、ないの?」
「……」
「カミラ?」
「……本望ですので」
ジグルド様から、なにも返ってきませんでした。
私は、呼吸の音だけを聞きました。
冷えていた指先を握り込んで掌に爪を立てました。
痛みが走りましたが、息が吸えました。
ジグルド様の瞳が揺れて、それが星の瞬きのように見えました。
「狂ってる……いや、狂わせたか……」
「いいえ。ジグルド様」
「……」
「狂っているくらいがちょうどよいのです。」
「そんなはずはない!」
「私は、それほどジグルド様を求めているのです。」
滑らかに舌が動くことに、伝えきれなかった想いを乗せて言葉を紡ぎました。
ーーもう怖くない。だって、ジグルド様さえいてくれれば……
肺に空気をたっぷり取り込みました。
震える体も、力の入っている肩もほどけていきました。
ジグルド様は肩を落として、視線を私から逸らしました。
そして、くすっと一度笑うと、一歩一歩踏みしめるように、私に近づいてまいりました。
私の目前で立ち止まると、金の魔眼が私を照らしているように見えました。
絡めることはできませんが、その輝きに見入ってしまいました。
私は首を傾げました。
ジグルド様に向けて、手を大きく広げました。
ーー私は……ジグルド様を信じ切れなかったんですね……そんな自分を責めすぎていた。だから、あんな人形ことに……
「ジグルド様、さぁ。」
腕を振りました。
ジグルド様は動きませんでした。
それでも、私はそのまま腕を出し続けたのです。
ジグルド様は、気に入らないと言わんばかりに、顔まで背けてしまいました。
私はこみ上げてくる笑いを堪えきれずに、息を漏らしてしまいました。
「ぷっ……クスクス……」
「笑うな!」
「あははは!」
再びその金の目が私に向けられました。
頬が緩み切ってしまいました。
いよいよ込み上げる笑いを、止められなくなってしまったのです。
ジグルド様が、私の手首を取って、引き上げました。
そして、軋むほど抱きしめました。
私は、鼻からたっぷりと香りを取り込みました。
ムスクの香りが広がって、肩口に顔を押し付けました。
体温が全身に伝わっていって、合わさった胸から鼓動が重なりました。
それは、無くしたものを取り戻したように熱を生み出しました。
背中に腕を回して、滑らかな肌触りのシャツを指先でなぞりました。
「俺が、捕らわれたのか?」
「え?」
「俺がカミラを捕らえたと思っていたのに……」
「今更ですか?」
再び笑いが、込み上げてきました。
なかなか止まりませんでした。
両頬を掌で挟まれて、ジグルド様が唇を押し付けてきました。
少しかさついている唇は以前と一緒でした。
ムスクの香りが頭の芯を痺れさせました。
そして、私はそっと瞼を閉じたのです。
最後までありがとうございます。
あと少し。寂しいですが、よろしくお願いします。




