わたしのはじめての溶けほどの幸せ。~それは本望です~
いつもありがとうございます。
よろしくお願いします。
朝の光が差し込む主室で、私は滑らかで光沢のあるシーツを撫でていました。
先ほどまで、ジグルド様のいたところを何度も何度も飽きずに……。
いつもならば働いている時間ですが、錘をつけられたように動かない体をベッドに沈めていました。
胸元には、無数の紅い花。
その数は星の数に匹敵するのではないでしょうか。
ベッドから立ち上がれないほど、ジグルド様は愛してくださいました。
自白魔法を使ってまで私の深層まですべてを知りたいジグルド様は、執拗に聞いてくるのです。
「俺のこと好き?捨てない?」
あまりのしつこさに、捨てると言いたかったのですが魔法のせいで口が勝手に動くのです。
「お慕いしています。もう、離さないですよ。」
隠したい想いも全てさらけ出してしまえば、人外の美貌をもつジグルド様に自ら身を預けてしまう。
目を合わせることができないもどかしさも、肌が触れ合えば熱が溶け合うようでした。
ジグルド様との生活はそれはそれは昼も夜も分からなくなるくらい甘く、全てを霞ませました。
次第に世間のことなどどうでもよくなったのです。
昼夜問わず、愛し合う私たち。
ジグルド様は、王弟殿下ではなく、私の、ジグルド様。
私も侍女ではなくて、ジグルド様の、カミラ。
そう信じて疑わないほど、2人だけの世界は誰にも邪魔されない楽園でした。
それでも、時折、王の使者がやってきました。
ジグルド様の魔法で門から入ってこられない使者が門前でなにかを叫ぶのです。
その声は、なにか必死に訴えかけるような物言いでした。
聞こえてくる度に、楽園の終わりを感じて、ジグルド様の腕を掴んで唇を重ねました。
ジグルド様も私にその熱い唇で応えたのです。
次第に使者が来る間隔が短くなり、現実が楽園に割り込んでくるようでした。
眉間に皺を寄せたジグルド様の横顔を、涙を堪えながら見上げる日々が続きました。
王弟として国民に尽くすという現実と私だけのジグルド様という理想。
私がジグルド様をダメにしているという現実が、少しずつ胸を潰していったのです。
そして、私はいつしか今日が何月何日か、何日この屋敷にいるのかもわからなくなっていきました。
「……カミラ?カミラ!」
あぁ…ジグルド様が私を呼んでいます。
返事をしないといけませんのに、口は重くて開くことさえできません。
ただ、ジグルド様を愛しているという感情だけは間違いではなくて……。
椅子に座ったまま、視線だけをジグルド様に向けたのです。
ジグルド様の頬には、一筋の涙が、光を帯びて伝っていました。
金色に光る瞳と、透明な涙は息を詰まらせるほど私の胸を締め付けました。
手を差し伸べて、「なぜ、そのようなお顔をされているのですか?」と言葉を紡ぎたいのです。
でも、現実には体が指一本だって思うように動かすことができませんでした。
ただ、感情のない顔で視線だけを向ける人形がそこにいたのです。
「俺が……俺が、狂わせた……!」
ジグルド様が目の前で、膝から崩れ落ちていきます。
それは時が止まったようにゆっくりとした動きに見えました。
私はすぐにでも立ち上がってジグルド様に駆け寄りたいのに、できないもどかしさが募りました。
産毛が逆立って、全身の血が逆流しているかのようでした。
「壊したのは俺だ……全部!」
私は、狂ってもいない、壊れたのでもないのです。
私が自ら望んでジグルド様の手を取ったのです。
人形になれたのなら、それは本望なのです。
ただ……、ジグルド様がこうなってほしいとは望んでなかったのです。
ただただ二人だけの世界で幸せに暮らしたかった。
床の絨毯が涙で色が濃くなっていきます。
あぁ……、泣かないで……、どうか……、どうか……。
傍らにあった、女剣士と王子様の幸せな絵本にも涙が沁み込んで汚れていきます。
こうして私たちは、やはり絵本のようにはうまくいかなかったのです。
ギシッ、ギシッ
「~、~、~!!!」
「~~~!!!」
隣の部屋からレオン様とお嬢様の情事の音が微かに漏れ聞こえてきました。
私は2,3度瞬きをゆっくりとしました。
すぐに両手に視線を送って、何度も拳を握っては開いてを繰り返しました。
思い通りに身体が動くことに、一気に体温が上がり、血が全身に巡り始めたように感じました。
呼吸が乱れて、鼓動も痛いほど胸を打ちました。
私はレオン様のお屋敷の控えの間で、ふかふかの椅子に背筋を伸ばして座っておりました。
膝が小刻みに震えて、その震えが全身に伝染してきます。
ライラとロン様もいて、様子の変わった私を息を詰め、目を見開いて伺っておりました。
時計のカチカチとなる音と、隣の寝室から漏れ出る音が、張りつめた空気をさらに重苦しくしていきます。
まるで、最初に乳母になると燃え上がったお嬢様のお見合いの日のようでした。
しかしあの日は、ジグルド様に出会う前。
私が人形になる前なのです。
私は……なにをしている……?
ジグルド様は……?
唇も震えて、言葉を発することもできないのです。
「……カミラ様?大丈夫ですか?」
「……っ」
ロン様が私の顔を覗き込み、声をかけてくださいました。
ガチガチとなる歯が耳について、喉まで込み上げた言葉は、そこで止まったまま音にならないのです。
ふいに、血の気を引いたライラが私の背に触れました。
その手も小刻みに震えていて、指先は冷え切っていました。
ライラは何度も私の背を撫でたのです。
そのうち、自分の震えかライラの震えかが分からなくなっていきました。
私は体をかがめて、浅くなった呼吸を整えようと、大きく息を吐きました。
「カミラ様、我が主が申し訳ございません。顔を合わせただけでこのような……。体調がすぐれないようですので私たちにお任せいただいても?」
ロン様のやわらかな物言いが耳に届きました。
まさか、本当に今日がお見合いの日だなんて……。
しかし、そんなことはどうでもいいのです。
私のジグルド様がいないことが、重要なのです。
なぜ、私はここにいるのでしょう。
幸せな日々は終焉を迎えたのでしょうか。
早くあの温もりに包まれたい。
その気持ちが溢れて、気が付けば視界にある紺色のスカートが涙で濡れていました。
私は、テーブルに両手をついて震える足を立たせました。
お二人が何か言っていましたが、そんなことは耳に一切入ってきません。
私の居場所はここではないのです。
足は勝手にあの方のお屋敷に向けて、動き出したのです。
途中、足が縺れて何度も何度も転びながら。
手のひらも膝も濡れた感覚があって、鉄の香りが鼻につきました。
夜の星が瞬いて、冷たい夜風が私の涙にぬれた頬を冷やしていきます。
息は切れて、何度呼吸しても苦しいのです。
少しでも早く、もっと早くあの人に会いたい。
その一心でなりふりなど構わず、ただ屋敷を目指したのです。
「そこのねぇちゃん!俺と遊ぼう!」
背後から、酒の匂いがする男が私の手首を握りました。
振り返ると、鼻は赤く目の座ったボロ衣の男が片方だけ口角を上げていました。
骨が砕けそうなほど強く手首を握られ、振りほどこうと上下に手を振りますが全く離れません。
逆に引っ張られ、震える足のせいでバランスを崩して男に飛び込んでしまったのです。
男の胸に顔がぶつかって、酒の匂いとすえた匂いで胃の中のものがせり上がってきました。
背骨が軋むほど抱き込まれた上に、身体が強張って言うことを聞かないのです。
そのまま暗く、狭い路地裏へ引きずり込まれました。
あぁまた、私は同じことを繰り返してしまいました。
女が1人で夜に出歩くなど、襲われてもおかしくないのです。
前はジグルド様が助けてくれました。
けれども、今はジグルド様に出会う前。
ここに現れるわけがないのです。
冷えていく体と男の強い力に抗えない絶望で目の前が真っ黒に塗りつぶされたのです。
「お!大人しくなったか!そうかそうか可愛がってやろうじゃないか!」
男の弾んだ声に全身の毛が逆立ちました。
壁に背を押し付けられ、冷たいタイルが体温を奪っていきます。
男の背後のタイルを一点だけ睨んで、耐えるしかないのかと視線を移したその時。
「カミラ、逆行の魔法使った意味がないじゃないか……。」
聞いたことのあるような声に体の熱がじんわり戻ってきたのです。
視線を声のする方に移せば、暗くてシルエットしかわかりませんでした。
でも、その声はジグルド様だと、魂の底から求めていた人だと、全身が知っていたのです。
そう。私があのお屋敷にいたのは、ジグルド様の時を遡る魔法によるものだったのです。
「私のジグルド様……。」
考えるより先に口元が緩んで零れた言葉は、微かで、そしてなによりも重かったのです。
最後までありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。




