私のはじめての覚悟~彼の手を取るということ。~
「では、行ってくる。」
「はい、行ってらっしゃいませ。」
毎朝繰り返される、レオン様の出立にお嬢様は熱い抱擁とキスを受け入れておりました。
空を見上げると、憎たらしいほど晴れておりました。
この後、お嬢様にジグルド様を紹介することになってしまったからそう思ってしまうのでしょうか。
いつもならば、仲睦まじいお二人に微笑ましいと思いますが、今の私には処刑台の前に立たされているような気分なのです。
私達もこの様に皆に祝福されて、光の元で堂々とできる日がくるのでしょうか?
…答えは“否”なのです。
なぜなら、私達の関係はあり得ないほどの年齢差と…
そして、おそらく身分差もあるのです。
ジグルド様はなにも言わないのですが、あの身なりとあのお屋敷。
おそらく高貴な方であるので明白なのです。
昨夜の秘密の一時は、ジグルド様の火遊びであったならばどれほどよかったのでしょう。
身を焦がすような視線からも、本気であったことは明白でした。
意識を飛ばしている間に、レオン様のお姿はすっかり小さくなっておりました。
いつまででも手を振り続けるお嬢様。
この時間が永遠であればいいのにとさえ思ってしまったのです。
「さぁ、カミラ。行きましょう。」
向けられたお嬢様のお日様のような笑顔が、全身を締め付けられているように感じました。
しかし、主の命令。
お暇を願い出ましたが、頷いてくださらなかったから、まだ私は侍女なのです。
従わないわけにはいかないのです。
「かしこまりました。」
あまりに感情のない私の声が澄んだ朝の空気に響いたのです。
どんなに手を抜こうとしても、身に付いた能力は簡単には抜けません。
気が付けば、段取り良くお嬢様の外出準備を整え、馬車に乗り込んでいました。
馬車の中は、重苦しい空気に包まれました。
お嬢様は外を感情のない顔でただただ眺めておりました。
一方、私は手のひらに爪が食い込むほどの力で拳を握り、目を伏せて揺れる床を眺めておりました。
その揺れは私の心中のようで、止むことはなかったのです。
~ジグルドの屋敷、朝
着かなければいいのにと願ったはずですのに、すぐにジグルド様のお屋敷に着いてしまいました。
深夜に抜け出した屋敷は、夜とは別の建物のようでした。
本来であるならば主が先を進みますが、門は私でなければ開きませんので失礼して先に進みました。
一歩一歩近づくたびに跳ねる鼓動と、後から付いてくるお嬢様の靴の音がまた私を動揺させるのです。
ジグルド様に会ったお嬢様はなんと言うのでしょうか?
もう会わないでと言うのでしょうか…?
お嬢様に会ったジグルド様はなんと言うのでしょうか?
若く、可憐なお嬢様に心変わりしないでしょうか…?
その思考全てが襲い掛かって来て、押しつぶされそうなのです。
でも、全て私が選んだこと。
もう後には戻れないのです。
門の前で一度立ち止まりますと、自動的に扉が開いてしまいました。
「魔法?!どういうこと?」
私は何度もこの門を潜りましたので、さほど驚かなかったのですが、最初は私もそうだったなとぼんやり思いました。
お嬢様の方へゆっくりと振り返り、お嬢様の揺れる瞳を眺めました。
「お嬢様、魔法のようです。私が訪れた時に開くよう、このお屋敷の主がかけているのです。そして、そのお方が…私の大切なお方なのです…。」
「カミラ、ダメ!!絶対ダメよ!!」
やはり予想通りお嬢様は反対されたのです。
顔を真っ青にして、大きくて甲高い声が澄んだ空に響き渡ったのです。
耳にキンキン響いて、いつもであれば諫めるところですが、もうなんだかどうでもよくなったのです。もう私にはお嬢様への気持ちが少しもないことが分かってしまって、口を開くことも億劫になりました。
お嬢様は素早く近づいて、私の両腕を掴みました。
それは、“離さない”という意思表示のようでした。
「カミラ、今なら間に合う。目を覚まして!!」
お嬢様の腕は震えていて、それが伝染するように私も身震いしました。
しかし、その悲痛な思いは遂に私は届かなかったのです。
お嬢様を捨ててでも、ジグルド様の手を取りたいのです。
乳母になるという使命も、侍女という仕事も、ジグルド様を諦めろというならば、逃げてでも辞めてしまいたい。
私は、陶器のように滑らかで柔らかいいお嬢様の手を静かにそして決定的に払いました。
「カミラ…?」
主に反抗するなど、侍女のすることではないのです。
私は、一歩下がって頭を深々と下げました。
長年培ってきた侍女としての作法は完璧で、隙がなかったのです。
「どうぞ、お暇を頂戴したく…。」
「嫌!」
お嬢様にここで認められなくても、テコでも動かないつもりでした。
しかし、努めて事務的に伝えましたのにお嬢様がそのような態度をしますと、零れそうになる涙を堪えられそうになかったのです。
いよいよ零れ落ちてしまう!という時に、背後に誰かの体温が伝わってきました。
「俺のカミラをどうしたいの?お嬢さん?」
昨夜さんざん嗅いだジグルド様の野性的なムスクの香りに包まれて、心地いい毒に侵されたように力が抜け落ちていきます。
「あっ…あっ…、しっ失礼いたしました!!」
お嬢様が後ずさり、慌てて頭を垂れたのです。
ジグルド様が高貴な方だとは思ってはいましたが、まさかお嬢様がこれほどまで傅くとは相当身分が高いはず。
「さすがカミラの主だね。俺の事、わかるの?社交に基本出ないんだけど。」
「失礼いたしました…。ジグルド様におかれましては、ご機嫌麗しゅう。」
「なんでわかったの?」
「商人は様々な情報を収集しますので…。侍女が大変失礼を…。」
今になって恐怖感がとめどなく沸き上がって溺れそうなのです。
浅い呼吸を繰り返して、お嬢様とのやりとりをただ眺めることしかできなかったのです。
「いや、いい。それより、カミラをくれるか?」
「そっ…それは…。」
「そう…。俺に歯向かうの?」
ジグルド様の言葉が全身に降りかかるようで、あまりの重さに立っているのもやっとでした。
私でさえこうなってしまうのです。
その言葉をかけられた、お嬢様はあまりの重さに耐えかねて地面に膝をついてしまいました。
「っ…!ジグルド様…もう、お止めください!」
こんなことをしたくて、ここに来たわけではないのです。
私は光り輝くようなお嬢様が眩しくて好きだったのです。
苦しめるために、ここに来たのではないのです。
私は、お嬢様に近づいて肩を抱きました。
「カミラ、君も僕を捨てるの…?」
ジグルド様の顔は、半分は見えていないのに、半身を抉られ痛みに耐えているような顔に見えました。
ジグルド様の手を取ると決めたはずですのに、大事なところでお嬢様を捨てきれなかった私の甘さが二人を傷つけていました。
「いいえ、私はジグルド様が私を捨てない限り、離れません。」
「じゃあ、なぜお嬢さんの手を取る?」
「…ここに来る前までは捨てるつもりでいました…。でも…生まれたときからお仕えしたのです。苦しい思いはしてほしくないのです…。」
私の甘さがどう動くのかかわかりません。
ジグルド様に人形のようにされるかもしれません。
それでもいいと思いました。
昨夜の記憶があれば、お嬢様と過ごした日々の記憶があれば…。
私は幸せなのです。
ジグルド様は、大きく溜息をついたのです。
「俺は君のそのお嬢さんの事になれば、なりふり構わないところを好きになったんだ。」
「え…?」
ジグルド様の好きになったきっかけなんて昨夜聞いていないのです。
いきなりの告白に全身の血が顔に集まるようでした。
「ただ仕えるだけで幸せと言わせるお嬢さんに嫉妬しただけだ。」
「ジグルド様…。」
ジグルド様は地面に座り込む私とお嬢様にゆっくりとした足取りで近づいてきました。
そして、私に手を差し伸べたのです。
お嬢様がいるのに、それはまるで二人だけの空間のようでした。
「カミラに話がある。」
「…承知いたしました。」
そっと差し出された手に私の手を重ねたのです。
触れた指先が熱くて、ただそれだけのことですのに、鼓動を加速させました。
私は、引き寄せられる様に立ち上がって、ジグルド様の側に寄りました。
「お嬢さん、帰っていいよ。カミラは俺が送る。」
「承知いたしました。」
お嬢様は何とか取り繕って頭を垂れたのです。
そんなお嬢様を置いて、私とジグルド様は二人だけの城である本で散らかしたお屋敷に入っていったのです。
最後までありがとうございます。
次回、ジグルド様の正体がわかります!
お楽しみに。




