私のはじめての覚悟~彼の手を取るということ。~
「では、行ってくる。」
「はい。行ってらっしゃいませ。」
私はお嬢様の3歩後ろで控えていました。
目の前では、レオン様がお嬢様の頬を撫でていました。
まぶたを半分ほど下げました。
お嬢様の腰にレオン様の腕が巻き付いていました。
しばらく、そのままでした。
ふと空を見上げると、どこまでも抜けるような青色が広がっていました。
太陽が肌を焼き付けるようでした。
ーーこのまま、お嬢様を離さなければいいのに……
手の甲をおでこに着けて、ひとつ溜息をつきました。
視線を戻すと、レオン様のお姿はすっかり小さくなっておりました。
いつまででも手を振り続けるお嬢様。
私は密かに噛みしめたのです。
「さぁ、カミラ。行きましょう。」
レオン様のお姿が見えなくなって、お嬢様は腕を下ろしました。
振り返った顔は、頬が染まっていて口元が緩んでいました。
私は、全身を締め付けられているように感じました。
ーーもう、逃げ道はありません。
「かしこまりました。」
抑揚のない私の声が澄んだ朝の空気に響いたのです。
お見送りの後お嬢様の外出準備を整え、馬車に乗り込みました。
ーー手を抜こうとしても……ダメでした。
馬車の中は、誰も口を開きませんでした。
目の前のお嬢様は呼吸しているだけでした。
私も唇を引っ付けたまま、揺れる床を眺めておりました。
その揺れは私の心中のようで、止むことはなかったのです。
~ジグルドの屋敷、朝
体感ではもう少し時間がかかるはずでしたが、馬車が止まりました。
先に私が馬車を降りますが、前のめりに倒れそうになりました。
寸のところでドアを掴んでいる手が引き上げ、どうにか元に戻しました。
振り返って、お嬢様の手を取って馬車を降ろしました。
お嬢様の一歩後ろを歩いて、門前で立ち止まりました。
お屋敷全体を目に捉えますが、別の建物のようでした。
「お嬢様、門は私が近づきますと開きますので、お下がりください。」
「わかった。」
一歩一歩近づくたびに鼓動が跳ね上がりました。
後から付いてくるお嬢様の靴の音がやけに大きく聞こえました。
ーーお嬢様はなんと言うのでしょうか? もう会わないで、と言うのでしょうか……ジグルド様はどうでしょう……お嬢様に心変わりしないでしょうか……?
胸を両手で押さえました。
門の前で足を止めました。
ーー……もう後には戻れないのです。
扉が音を立てて開いてしまいました。
「なにこれ?! どういうこと?」
私は後ろへ振り返り、そしてお嬢様の揺れる瞳を捉えました。
「魔法のようです。」
「……魔法?」
「はい。」
「魔法ってあの?」
「はい。私が訪れた時に開くよう、このお屋敷の主がかけているのです。」
「そんな貴重なモノをこんなことに使ってるって言うの?」
お嬢様が一歩私に詰め寄りました。
「そうです。そして、そのお方が……私の大切なお方です。」
「……」
お嬢様は口は開いたまま、瞬きもしていませんでした。
「カミラ、ダメ!! 絶対ダメよ!!」
お嬢様の絶叫に近い叫びが辺りに響き渡りました。
私は、感情を切り落としました。
ーーやはり……そう、ですよね……
私は、口を開くことも億劫になりました。
お嬢様は、私の両腕を握り込みました。
「カミラ、今なら間に合う。目を覚まして!!」
「……」
お嬢様の腕は震えていて、それが伝染するように私も身震いしました。
ーー目を覚ます? ……逆です。私はジグルド様に出会って、目が覚めたのです。ただ、盲目的にお嬢様にお仕えすることから……
陶器のように滑らかで柔らかいお嬢様の手から腕を引きました。
いとも簡単に離れてしまい、拳を握りました。
ーーああ……こんな簡単なことでしたか……
「カミラ……?」
私は、一歩下がって身体を半分に折りました。
「お嬢様、お願いです。お暇を頂戴……」
「嫌! カミラどうして?!」
「……」
「今まで通りでいいじゃない?!これからも、私の側でいてよ!そうだ!私がカミラの旦那さん探すわ。それで、結婚して?お願いだから、乳母になってよ……」
お嬢様の声は嗚咽を押さえているように聞こえました。
それを聞いても。私はただ息をしているだけでした。
しかし、微かに拳が揺れていました。
奥歯を噛んで耐え忍んでいましたら、背後に誰かの体温が伝わってきました。
「俺のカミラをどうしたいの?お嬢さん?」
野性的なムスクの香りに包まれて、力が抜け落ちていきました。
「あっ…あっ…、しっ失礼いたしました!!」
お嬢様の靴が視界から消えました。
頭を上げると、お嬢様が頭を垂れていたのです。
ーー高貴な方だろうとは思っていましたが……お嬢様がこれほどまで傅くとは、いったい……?
頭から血が下がっていく感覚がしました。
「さすがカミラの主だね。俺の事、わかるの?」
「失礼いたしました…。ジグルド様におかれましては、ご機嫌麗しゅう。」
「社交に基本、出ないんだけど。なんでわかったの?」
「商人ですので……」
「そう。」
「ジグルド様、私の侍女が大変失礼をいたしました。処罰につきましては、主である私が受けます。どうぞご慈悲を……」
息が詰まりました。お嬢様をただ眺めることしかできませんでした。
「いや、その必要はない。それより、カミラを気に入った。くれるか?」
「そっ……それは……」
「そう……俺に歯向かうの?」
ジグルド様の低く締め付けるような声にお嬢様の顔色は失われてしまいました。
私は、膝が震えて立っているのもやっとでした。
お嬢様は、唇を震わせながら地面に膝をついてしまいました。
「っ……! ジグルド様……! もう、お止めくださいませ!」
ーーこんなことをしたくて、ここに来たわけではないのに……
私は、背中に触れる体温から離れて、お嬢様に近づきました。
肩を抱くと、小刻みに震えていたのです。
「カミラ……主を選ぶのかい? 君も僕を捨てるの……?」
ジグルド様の顔は、半分は見えていないのに、半身を抉られ痛みに耐えているような顔に見えました。
私の胸は不規則に打ちました。
「いいえ……私はジグルド様が私を捨てない限りは、離れません。」
「じゃあ、なぜお嬢さんの手を取る?」
「……ここに来る前まではすべてを捨てる覚悟はありました。でも……お嬢様が生まれたときからお仕えしたのです。できれば、苦しい思いはしてほしくないのです…。」
ーーどちらも選べない……このままでは、両方傷つけてしまう……どうすれば……
ジグルド様は、大きく溜息をつきました。
「俺は君のそのお嬢さんの事になれば、なりふり構わないところを好きになったんだ。」
「え……?」
いきなりの告白に全身の血が顔に集まるようでした。
「ただ仕えるだけで幸せ、と言わせるお嬢さんに嫉妬しただけだ。」
「ジグルド様……」
「俺のこと、それくらい、いや、それ以上に思ってほしい。」
「……」
ジグルド様はゆっくりとした足取りで近づいてきました。
そして、私に手を出してきたのです。
ジグルド様の手と顔を見比べました。
「カミラに話がある。」
「……承知いたしました。」
有無を言わせない、重厚な声でした。
差し出された手に私の指先を重ねたのです。
触れた指先が熱くて、鼓動を加速させました。
私は、引き寄せられる様に立ち上がって、ジグルド様の側に寄りました。
「お嬢さん、ここまで来てもらって悪いけど、帰ってもらえる? カミラは、俺が送るよ。」
「……承知いたしました。」
お嬢様の顔は取り繕ってはいましたが、頬が引きつっていました。
私はジグルド様を見上げました。
「なに?」
「……いえ。」
ジグルド様は肩をすくめました。
「いくよ?」
鼻から息を吸って、微かに頷きました。
そして、そのまま屋敷に入っていったのです。
背中に突き刺さる様な視線が刺さっていましたが、振り返ることはありませんでした。
最後までありがとうございます。
次回、ジグルド様の正体がわかります!
お楽しみに。




