三十五話 誰も死なせない。
―ドーム内部・上層階―
階を上がるたびに、階層の広さが小さくなっている気がした。
――いや、気のせいじゃない。
ここは半円状のドーム。その構造上、上に行けば行くほど空間は狭くなっていく。
つまり、確実に操縦室に近づいている。
しかし、ゴールが見え始めたからといって安心できる状況ではなかった。
疲労が限界に近づいている。
何時間も走り続け、戦い続けてきたせいで、体が重い。
呼吸は次第に荒くなり、肺が悲鳴を上げる。喉はカラカラで、酸素が足りない。
人の姿は、一向に見えない。
100人以上いたはずの戦闘員たち――彼らは、一体どうなった?
みんな……死んでしまったのか?
白い廊下に響くのは、自分たちの荒い息と、靴底が床を蹴る音だけ。
バンッ――!
「……ッ!」
私は不意に壁へとぶつかった。
「くそ……!疲れで集中力が……!」
私はそのまま後ろに尻もちをついた。
その瞬間――
『シド……にいさん……。』
――――?
アル?
顔を上げると、そこに立っていたのは人型の機械。
ただの敵とは違う。今、確かにアルの声が――
「リリィ!早く引いて!」
リニアの叫び声で、思考が一気に現実へと引き戻される。
反射的に義足を吹かせ、後方へ跳んだ。
機械の動きに警戒するがふらふらとしていて動かない。
攻撃するつもりがないように見える。
言葉を探していると、機械がゆっくりと顔を上げた。
『シド……』
機械の口から、再びアルの声が漏れる。
――どういうことだ?
緊迫した空気が、じわじわと肌にまとわりつく。
私とリニアが疑いの目を向ける中――
シドはゆっくりと、一歩、また一歩と前へ進んでいった。
「アル……なのか?」
かすれた声。震える手。
『シド……ごめ…こんな体に……。』
声は途切れがちだったが、意味は理解できる。
だが――どう聞いても、それは機械音声だった。
「シド……あれは……。」
私はそっと手を伸ばすが、なぜか止めることができなかった。
リニアも困惑した表情を浮かべ、どうするべきかわからない様子だ。
「アル……アル……生きて……いるんだな……?」
シドの瞳には、涙が溜まっていた。
『シド……』
機械が両手を伸ばす。
シドはその腕の間に入り込み、アルの声がするその機械を抱きしめた。
「誰が……誰がこんな姿にしたんだ……!」
『分からない……。』
――何かがおかしい。
アルはこんな口調だったか?
兄弟への寂しさから甘えているだけ……?
それとも――
そのときだった。
シドの体がビクリと震え、苦しげなうめき声を漏らす。
同時に、機械の腕がギリギリと軋む音が響いた。
締め付けられている!?
そして、骨が折れる音が響く。
「リニア!行くよ!」
すぐに駆け出そうとする。だけど――
「ぐるなぁ!!」
シドの怒声が、私たちの動きを封じた。
「アル……はどこだ……。」
かすれる声。喉の奥から絞り出すような、苦しげな問いかけ。
『死んだ。』
その瞬間、機械の冷たい瞳が、赤く光る。
――嫌な予感がする。
「シド!逃げ――」
刹那、視界が白に染まった。
遅れて襲いかかる衝撃。
爆風が体を吹き飛ばし、鼓膜が破れそうな轟音が響く。
私は、壁に叩きつけられた。
意識は……まだある。
肺にたまった空気を必死に吐き出す。
全身が焼けるように痛い。
「……自爆……。」
やられた。分かっていたのに。
弱みを握り、情を利用して、確実に仕留める――
AIは、人間を誰よりも理解している。
私は、かすむ視界の中で周囲を見渡した。
リニア――
倒れている。動かない。
だけど、胸の上下がわずかに見える。
息は、ある。
よかった。
でも――
私は震える手で煙の向こうを見つめる。
黒い影が揺れていた。
シド――
胸が締めつけられる。
焼けるような痛みよりも、心臓を掴まれるような恐怖が広がる。
「……シド……頼むから、死なないで……。」
震える足を引きずりながら、私は煙の奥へと歩き出した。
爆発の煙で視界が塞がれる。
それでも私は、前へ、前へと歩いた。
何があってもシドを探さなきゃ――
そのときだった。
ゴツン――
足元に、何かが当たる。
すぐに確認する。
シドだ――
生きてる……?
私は膝をつき、震える手でシドの体を確かめた。
あれだけの爆発を受けたのに、原型を保っている。
きっと、一度きりのシールドが間一髪で守ってくれたのだろう。
……でも、それは形だけだった。
焦げついた鉄の匂いに混じって、肉が焼ける臭いがする。
見れば、シドの体のあちこちが黒く焦げ、
裂けた皮膚の隙間から筋肉が剥き出しになっていた。
「シド……っ」
もっと早く動けていれば。
突き飛ばしてでも止めていれば。
私は、拳を握りしめた。
あの時、私はシドが可哀想だと思ってしまった。
生きているかも分からない弟のために、機械を抱きしめる兄の姿が、痛々しくて。
――まさか、あんなものが出てくるなんて、考えもしなかった。
私が、変な希望なんか持たせなければ――
後悔しても、もう遅い。
「……泣くなよ、リリィ……」
掠れた声。
小さな、小さな声。
でも、確かに聞こえた。
「シド!!」
私は、必死に顔を覗き込む。
シドの瞳はまだ光を宿していた。
「喋らないで!」
私はシドの手を握った。
焼けただれた腕から、まだ微かに体温を感じる。
「大丈夫……分かってたんだ、アルのこと……薄々……。」
「そんなこと言わないで……!」
「穴に落ちた時……そのまま落とし続ければ、いずれ死ぬ……。
それが、一番手っ取り早い……。」
「今はそんな分析いらないから!!」
感情が抑えきれず、涙が溢れ出る。
自分の無力さに、反吐が出そうだった。
「……何止まってんの? 急ぎなさい。」
――え?
今、何て?
「リニア……?」
私は振り向く。
リニアは、壁に寄りかかりながら立ち上がっていた。
「リニア……なんで、そんなこと言えるの……?」
今の言葉は、あまりに冷たすぎる。
私は、思わず睨みつけた。
だけど――
「リリィ、あんたは副船長になったとき、何て言った?」
副船長――
……あ。
「“死なないで”って……言った。」
「そうよ。だったらシドは?」
「……シドは、まだ……生きてる……。」
リニアの瞳が、まっすぐ私を見ていた。
私は、拳を強く握り締めた。
――忘れちゃダメだ。
まだ終わってない。
「シド、アルはもう死んだわ……。」
小さく、静かに伝えた。
「なら……俺も……逝かせてくれ……。」
シドは、弱々しく呟いた。
「ダメよ。」
私はきっぱりと否定する。
「あなたが死んだら、アルが生きていた証も、思い出も、全部無くなってしまう。」
シドの肩に手を置く。
「だから、生きなさい。生き抜いて、アルのことを……忘れないで。」
リニアと目を合わせる。
同時に、頷いた。
私はシドを背中に背負う。
重い。だけど――
「いくよ。」
ゆっくりと、一歩を踏み出した。
もうこれ以上…誰も死なせない。
―機動要塞レヴナント 内部―
「ゲンテツ! どこへ行く!」
鋭い声が響く。
レヴナントの廊下の一角で、セランがゲンテツの腕を掴んで引き止めていた。
「俺もドームへ向かう。」
まだ間に合う――――。
「無理だ!」
セランが力を込める。
「お前に何ができると思ってんだ……!」
だが、ゲンテツはその腕を振り払った。
「……俺に何ができるか?」
低く呟くと、そのまま背を向け、足を速める。
レヴナントの内部を駆け抜け、下層へと降りていく。
セランの声が、背中越しに響いた。
「本当に行くのか……?」
ゲンテツは足を止め、振り返る。
そして、拳を突き上げた。
「機動要塞レヴナント、近接モード。
パスワード――07615!」
声と同時に、レヴナントの機体が激しく軋む。
ゴゴゴゴゴ――!!
機械が唸る音。
装甲が次々と展開し、ガシャガシャと複雑に変形を始める。
次の瞬間、分解された装甲が――
ゲンテツの全身にまとわりついた。
重厚な金属が融合するように噛み合い、
黒光りする鋼鉄の装甲が、彼の肉体を覆っていく。
「フルアーマー……!」
セランは目を見開いた。
「セントリオで使われてる変形式アーマーのプロトタイプ……」
驚きとともに、呟く。
ゲンテツは拳を握りしめ、
そのまま一歩、地を踏みしめた。
ズシン――
装甲の重量が地面を揺らす。
「このアーマーを作ったのは――」
ゲンテツは、黒光りする装甲に手をかけ、静かに続ける。
「……俺の曾祖父にあたる男だ。」
セランが息を呑んだ。
「リリィからクイーン・ハルモニアとの戦闘について聞いたが……」
一拍置いて、問う。
「そんな強力な武器を持っていながら、何故お前は戦わなかった?」
ゲンテツは、微かに笑った。
「このアーマーはな――」
装甲が微かに鳴る。
「一度きりしか使えねぇんだ。」
「……!」
「起動したら、二度と元には戻せない。
これは、“ラストバトル”のための最強装備だ。」
鋼鉄の拳を握る。
「だから、温存してた。……だが、もうそんなこと言ってる場合じゃねぇ。」
ゲンテツの目が鋭く光る。
「セントリオを取り戻せば――お釣りが来るくらいだぜ。」
無理に調子がいいように振る舞い自分を奮い立たせた。
「レヴナントの中にいた人は……大丈夫なのか?」
セランが不安げに問いかける。
ゲンテツは、装甲越しに腕を鳴らしながら、短く答えた。
「あぁ、大丈夫だ。そういう設計になってる。」
それだけを最後に――
ゲンテツの足元が、轟音とともに弾けた。
ドォンッ――!!
爆発的な推進力が生まれた瞬間、彼の姿は掻き消える。
セランの目が追いつく間もなく、ゲンテツは異常な速度でドームへ向かっていった。




