十八話 最後まで。
みんなが倒れている。動かない者、微かに震えている者――その光景はまるで悪夢のようだった。
その中で、私だけがかろうじて動ける状態だった。
壊れた足を引きずりながら、私はゆっくりとクイーンに近づく。胸の奥で鼓動が激しく脈打っていたが、足は確実に一歩一歩前に進んでいく。
すると、不意にピアノの音が再び響き始めた。自分の攻撃でボロボロになったはずのピアノが、まるで何事もなかったかのように、丁寧に奏でられている。その音色に、私は思わず冷静さを取り戻してしまった。
戦場の喧騒が一瞬、遠のいた気がした。
「よし……。」
私は小さく、けれど確かに、自分に喝を入れた。
―――スゥゥゥウ
「アァアァォアアアァア!!!!!!」
腹の底から叫び声がこみ上げた。ピアノの音をかき消すほど、人生で一番大きな声で――本能のままに、叫んだ。
「邪魔するのが好きなのねぇ……。」
その声に反応して、クイーンはゆっくりとこちらを振り返る。不気味の谷を思わせる顔立ち。人間とも機械ともつかない異様な表情が、冷たく、私を見つめている。
全身が凍りつくような視線に、思わず息を飲んだが、私は足を止めなかった。
クイーンも静かに立ち上がり、こちらへと一歩、また一歩と向かってくる。私たちの視線が交わる瞬間、空気が張り詰めた。いよいよ、最後の戦いが始まった。
私は、義足に残ったわずかなエネルギーを全て開放した。その瞬間、爆発するかのような力が脚に伝わり、全速力で駆け出す。
クイーンも即座に反応する。彼女の手が一瞬浮き、次の瞬間、鋭い音のビームがこちらに向けて放たれた。空気が震え、破壊的な音の波が襲いかかってくる。片目を失っている私は視界が狭く、間合いを掴むのが難しい。それでも、体全体を集中させ、クイーンとの距離を詰める。
目の前が歪むほどの音圧に押されながらも、私は歯を食いしばり、まっすぐに走った。体の全てが悲鳴を上げていたが、この一瞬を逃すわけにはいかない。
そして――超えた。音のビームが肌を掠めるが、私は間一髪でクイーンの脇をすり抜けた。
私の目的は、クイーンへの攻撃ではない。振り向くことなく、ただひたすら前方に向かって加速する。クイーンの攻撃を背に感じながらも、私はそのまま一直線に駆け抜けた。
そして――ようやく、たどり着いた。目の前にあるのは、クイーンのピアノだ。
「動くな!!」
私は剣をピアノに向け、飛びそうな意識を必死に引き留めながらクイーンに向かって叫んだ。息は荒く、体中が痛むが、今ここで倒れるわけにはいかない。
「動けば、このピアノをぶち壊す!」
声を振り絞り、私はクイーンを脅した。剣先はピアノの表面に触れるほど近く、今にも破壊できる位置だ。私は全身に力を込め、ピアノを盾に取るように立ち塞がる。
クイーンの足が止まる。彼女にとって、このピアノがどれほど大切なものか、私には確信があった。
しかし、クイーンの反応は私の予想を大きく裏切った。脅しが効くどころか、まったく意に介さない様子だ。
次の瞬間――クイーンが驚くほど滑らかに、まるで巨大な体を持つとは思えないほどの速さで動いた。目の前から一瞬で姿を消し、私が気づいた時には、クイーンはすでに私の背後に立っていた。
「嘘……!」
振り向くと、そこにはリニアの背中にそっと手を置き、ニタリと不気味な笑みを浮かべるクイーンの姿。彼女の冷たい視線が私を捉え、獲物を狩るようなその目で、私たちの命を完全に掌握していることを告げた。
だが、その瞬間、私は冷たい笑みを浮かべた。
クイーンがリニアに手を置いた瞬間、それはまさに私が待っていた状況だった。これこそ、リリィの作戦通り――すべてはこのために仕組んでいたのだ。
「引っかかった……」
私はつぶやき、クイーンを睨みつける。リニアが人質に取られるように見えたが、実際にはそれこそが罠。リニアは、ただの仲間ではない。彼女は、自分自身を囮にすることを厭わない戦士だ。
「ファイア……解放……。」
リニアのか細い声が戦場に響いた。だが、その小さな声には確かな意志が込められている。あの時のモールス信号――間違いなく伝わっていた。私たちは言葉を使わずとも、互いに信頼し合っている。
次の瞬間、クイーンが逃げようと動き出すが、それを見逃すわけにはいかない。私は即座に反応し、剣を振り下ろした。狙いは――クイーンの足。
ガッ――!鋭い音とともに、私の剣がクイーンの足に深々と突き刺さる。彼女の巨大な体が一瞬よろめくが、それでもクイーンは反撃のために振り返ろうとする。だが、もう遅い。
「ありがとう……リリィ。」
リニアの声が届く。視界の端で、彼女のヘルファイアの刀身が徐々に赤く染まり、燃え上がるような熱を帯びていく。その赤い輝きは、空気を揺らし、まるで炎が剣に宿ったかのようだ。空気が熱で波打つ中、私は義手に残った全てのパワーを集中させ、クイーンの足を押さえつけた。
「まだ終わらない……!」
義手のメカニズムが軋む音が響くが、私は力を緩めない。クイーンはその巨体を動かそうとするが、私が押さえつけた足を引き抜くことができない。彼女の巨大な力に対して、私も全身全霊で立ち向かう。
クイーンが呻き声を上げ、体を震わせる。だが、その隙にリニアが一歩、また一歩とクイーンに近づいてくる。彼女のヘルファイアが完全に解放され、その刀身が真紅の光を放ちながら、熱を放射している。
「リニア、今だ!」
私は叫びながら、義手にさらなる力を込め、クイーンの足を地面に押し付けた。たとえ聞こえて無くても心で繋がってる。リニアはすぐさまクイーンに剣を構える。
「これで……終わりよ!」
リニアの刀身がクイーンの腹部に深々と突き刺さる。瞬く間に、クイーンの体はドロリと溶け始め、腹部から真っ二つに切断されていく。切れ目からは不気味な煙が立ち上り、彼女の巨大な体がゆっくりと崩れ落ちていった。
だが、リニアは止まらない。視界が奪われているにもかかわらず、彼女は本能のままに、何度も何度も刀を振り下ろす。クイーンの体は、斬撃を浴びるたびにさらに裂け、もはや動くことはなかった。
「勝った……」
私は、胸にこみ上げる喜びを噛み締めながら、リニアに歩み寄る。だが、彼女の動きは鈍く、疲れきった体が今にも崩れ落ちそうだった。私は義手をそっと持ち上げ、モールス信号を使って彼女に伝えた。
「か……」
義手の指先で短いタッチを送る。次に――
「っ……」
一文字ずつ、ゆっくりと丁寧に。リニアがしっかりと受け取れるように、焦らず伝えていく。
「た……」
そして、最後に――
「よ……」
私の肩越しに、リニアが小さく震えているのがわかる。彼女は、私の信号を確かに受け取り、その意味を噛みしめているのだろう。彼女の手からヘルファイアが力なく落ち、剣が地面に転がる音が静かに響いた。
リニアは、震える唇をわずかに動かしながら、血と混じった涙をぽろぽろと流していた。あの一言――「か、っ、た、よ」――そのシンプルなメッセージが、彼女の心に届いた瞬間だった。
背後には、隊員たちの無惨な死体や、重傷を負った仲間たちが横たわっている。戦場の現実がそこには広がっていた。まだやるべきことは山ほど残っているが、ひとつだけ確かなことがあった。私たちは――クイーン・ハルモニア、レベル4のAIを倒したのだ。
その事実が、今この瞬間だけでも私たちに小さな勝利の安堵を与えていた。




