あたしは世間話はしない
翌日、悪魔祓いの仕事に出かけようとしたグラディスを遮ったのは、騎士爵出身のヨランダだった。
「あなた、わたくしに嘘をつきましたわね」
「ついてない」
隈の残っているヨランダを見つめ、気負いなく答えると彼女の方が目を逸らした。
「だって……だって、わたくしには祓えませんでしたもの。手順も道具も調えておりましたわ。それなのに!」
ヨランダの言葉に、グラディスは少し感心した。実行に移さずに文句だけ言う類いの人間だと思っていたからだ。
「試したのは偉いな。何度も試してみればコツが掴める。せっかく頑張ったんだ。一度の失敗で諦めるべきじゃない」
珍しく破顔してそう慰めると、ヨランダは怒りと羞恥に頬を染めた。
「わたくしはあなたを嘘つきと糾弾しておりますのよ!」
「嘘じゃない。コツが必要だとも明言してる。回数をこなせばできるようになるから諦めるな」
「それでは間に合いませんのよ! ……あなたに頼るのは業腹ですけれど、不親切な助言の穴埋めとして、わたくしにつき合ってくださいませ」
「別に構わないが」
悪魔祓いの用事はないか、出かけて寄付を稼ぐつもりだっただけで、誰かから悪魔祓いの要請を受けたわけではない。従って、行き先がサザークでなかったとしても問題はない。
「あら、じゃあ私も一緒に行きたいわ。悪魔祓いって見てみたいもの」
会話を聞きつけたスザンナが駆けよってきて、ヨランダはため息をついた。
「……他言無用です。洩らしたら一生恨みますわよ」
「本気でねちこくやりそうだから絶対秘密にします! ね、グラディスもそうでしょ!」
スザンナに視線で急かされて、グラディスも頷いた。
「あたしは世間話はしない。よって洩らす相手もいない」
堂々と宣言すると、ヨランダが
「そういうのってどうなんですの……」
と、脱力したように零していた。
ヨランダは豪商の娘であるらしい。実家の財力により騎士爵に任じられた一代貴族で、ロンドン市内に店舗を構えていた。自宅はロンドンの西側の郊外で、ウェストミンスター宮殿近くにも支店を持っているらしい。宮殿よりも北側にヨランダの自宅はあり、貴族と見紛うばかりの邸宅ぶりだった。
「金の匂いがする……」
思わずグラディスがそう呟くぐらいには、門から広がる庭園も、玄関前の広大さもサザークでは縁のないものだった。
「なんであんな貧相な修道院にいたんだ」
そう零すしかない。こんな邸宅の令嬢ならば、さぞかし良い嫁ぎ先があっただろうし、持参金にも困らなかったはずだ。
「事情がありますのよ」
ロンドン市内から出ている乗合馬車で近くまでやってきて、それからこの邸宅まで歩いてやってきた、元令嬢はどことなく不機嫌に言った。
「騎士爵でこれなら、子爵のオーフェリア様ってもっとすごい場所に住んでらしたんでは……!?」
そしてがくがくと震えるスザンナ。同じように生活していた人間が、まさかこれほど出自に違いがあるとは思わなかったらしい。グラディスも同感である。そりゃ見下してくるわな、とある意味納得もできた。そもそもグラディスなどは、スザンナのような実家もないのだ。職場なら淫売宿があったが、帰る実家が皆無というのはなかなかに境遇の違いようを思わずにはいられない。
「お母様とテリーサを呼んでちょうだい」
驚いている執事にそう言いつけたヨランダは、勝手知ったる自宅とばかりに客間らしき部屋に乗り込んだ。グラディスとスザンナは黙ってついていくばかりだ。メイドが親しげにヨランダに話しかけつつ、グラディスらにもお茶を出してくれるところを見ると、家族間の関係は悪くなさそうである。
「ヨランダ! よぉく帰ってきてくれたわ。嬉しい。わたくしの可愛い娘」
角張ったヘッドレストを被った貴婦人が、客間に入ってきて嬉しげにヨランダを抱きしめた。
「……すごい気配だな」
「本当、すごい綺麗なドレス」
貴婦人と、その後ろに控えるうら若き令嬢の着ているドレスを見てスザンナがため息をついているが、違うそうじゃない。
「これを祓えばいいのか?」
「そうよ。すぐに『おかしく』なるの。前までは母だけだったのに、今では妹まで……」
「まぁヨランダったらどうしたの? お母様の悪口を言っては駄目よ? あんまり悪い子だったら両手を千切って食べてしまおうかしら」
うふふふ、と上品に楽しげに笑う姿からは、その脅し文句が冗談に思える。ちょっと悪質だが。
「やだお母様ったら。わたくしにも分けてくださいませ。わたくしお姉様のお目々をいただきたいわ。お姉様の青い瞳が、わたくし羨ましくって仕方なかったんですの」
「あらあら、じゃあちょうど二つあるから半分こしましょうねぇ」
きゃらきゃらと甲高い声で笑いつつ、さり気ない様子でフォークを持って振りかざしてくる二人の女。咄嗟にヨランダの前に出て聖水をふりかける。
「ぎゃぁぁっ」
聖水に怯えて客室の扉に張りつく二人に、さらに聖水を回すようにふりかける。聖水を怖がるような小物なら、こうすれば逃亡阻止になると思ったからだ。
「前からこうなのか? 重症じゃないか」
日常生活も送れないほどひどい状況なら、とうに司祭が派遣されていたとしても不思議ではないのに。
「わたくしの前でだけこうなのですわ。他の者にはいたって普通に接していますの。この前も命からがら逃げ出しましたもの」
「よく無事だったな」
「あなたのついた嘘については、非常に口惜しく思っておりますわ」
「いきなり本命と戦おうとするからだ。コツを掴むまではもっと小物で練習すべきだろ」
どう見てもこの二人が狙っているのはヨランダである。被害者候補がのうのうと悪魔祓いの練習がてらに実験するような相手ではない。
グラディスはロザリオを構えた。この程度の小物ならば、今までの聖句で充分だろう。
「エクサウディ・オラツィオーネム・メアム(私の祈りを聞き入れてください)」
しゅうしゅう、と聖水が泡立つ。貴婦人が、令嬢が頭を掻きむしるようにして苦悶する。
「レクイエム・エテールナム・ドーナ・エイ・ドーミネ(主よ、彼らに永遠の安息を与えてください)」
「やめてぇ……わたくしを、虐めないで……ヨランダを、まだ……食べてない……」
「おねえさま、おねえさま……」
苦悶する二人の口から、黒い煙が立ち上る。煙からボタボタと虫が零れ落ち、貴婦人達のドレスを芋虫が這っていく。
「……しつこいな。祓ってもまた憑くかもな……」
まぁその度に祓ってもいいのだが、弱い小物の癖に生存力は強いらしい。うぅむ、と困っていると、不意に足元から微妙な鳴き声がした。
「わん」
黒犬が、グラディスのトゥニカの裾にくっつくような近さで座っていた。あたかも忠犬である。
『ひ、ひぃぃぃ』
黒い煙が悲鳴を上げた。二人の口からもくもくと立ち上った煙は悲鳴を上げながら散っていく。明らかに黒犬に怯えていた。
「…………」
数瞬考えた後、グラディスは頷いてロザリオを外した。外したロザリオを黒犬の毛皮に押し当て、匂いをなすりつけるように何度も擦りつける。
「し、シスター・グラディス……?」
「あんたのロザリオも貸して」
ヨランダから半ば奪い取ったロザリオも同じように黒犬の匂いを擦りつけ、それから二つのロザリオをヨランダに手渡す。
「これをあんたのお母さんと妹につけさせてれば、もう寄ってこないと思う。魔除けだな」
聖なる魔除けではなく、強力な悪魔による魔除けだが。まぁ魔除けの効果はあるからいいだろう。
「ほ、本当に祓えたの……?」
「祓えた。魔除けがあればもう取り憑くこともないだろ」
肩を竦めてみせれば、ヨランダの顔がくしゃりと歪んだ。だが慌てていつもの澄ました顔を取り繕ったヨランダは、震える声で言った。
「礼を言います、シスター・グラディス」
「どういたしまして。寄付ももらえるとありがたい」
なんと言っても修道院一の稼ぎ手である自負はある。身内だから料金は差し引いてもいいが、気持ちだけでももらえるものはもらっておきたい。
「うわぁ、台無し……」
後ろで零される呟きに頭を疑問符が占めるが、ヨランダはむしろ笑った。
「期待していなさい、シスター・グラディス。これで妹は結婚できますわ。妹の持参金からいくらか出させましょう」
貴族ってすごいな、と呑気に思ったグラディスは、足元から再び
「わん」
と鳴く黒犬もどきに、これどうしよう、と内心で頭を抱えるのだった。




