自作の聖水
十月に入り、グラディスに悪魔祓いを依頼する件数は激増した。それも、貧しい者が多い。つまりは、サザークに住むような人間からの依頼が多いということだ。
「ちっ。すぐに聖水がなくなるな」
司祭によって作られる聖水の、一番の消費者は現在のところ、グラディスだろう。司祭に授けられる秘蹟によってのみ、聖水を作ることができるのだ。
「……ん?」
だが、信仰をシステムと看破したグラディスである。司祭しかできないはずの悪魔祓いを成しているグラディスなのだ。
「あれ……? もしかしてこれ、作れるんじゃないのか?」
今まで嫌な顔をされながら補給していたが、これって別にグラディスでも作れるのではないのか。作り方についてはグラディスも知っている。聖句を唱えて水を祝福するのだ。
「聖句……つまり、唱える聖句によって強度が変わるんじゃないのか……?」
どうして今まで思いつかなかったのだろうか。サザークの小道を歩くグラディスの足取りは、一気に軽くなった。こうなったら井戸で水を汲み、自分で聖別してみよう。そして聖句の種類を分けて、悪魔で試すのだ。そうだ、簡単には滅ばない、因縁のある悪魔がグラディスの自称下僕としているではないか。アレで実験してみよう。
尽きぬ発想で胸を高鳴らせながら、夕暮れの中を修道院に帰っていったグラディスは、夕食の後早速聖水作りに精を出し始めた。
「主。主の寵愛は嬉しいものだが、まさかソレを我に向けるとか、そういう類いのことは起こらないと確信している」
「そうか」
なるべく攻撃的な聖句を込めて作った聖水を持ちながら、グラディスは頷いた。
「主のことを信用もしている」
「なるほど」
蓋を開ける。黒犬のへっぴり腰を見るに、この聖水が全く無害で純粋な水という結論にはならなさそうである。
「ちなみに聞くが、これを浴びると害がありそうか?」
黒犬は、顔をしかめた。
「まぁ我ほどにもなると存在にまで害は及ぼすまいが、どうも嫌な気配を感じる。主の攻撃性が乗りすぎていて、主を慕う者としては息苦しいほどだ」
「ふぅん」
事前の感想は確認した。次は実験である。
「--っぐぎゃっ!?」
ほんの数滴を黒犬に向かって飛ばすと、黒犬は古き神であるにも関わらず、小物悪魔のような叫び声を上げて飛び退いた。前足からしゅうしゅうと煙が立っている。
「ほほぅ」
なるほど、それなりに強力な作用が出ているようだ。頷いて、グラディスは次の小瓶を取りだした。
「主! 我の存在で実験するのはいかがなものか! イングランドの秋を司るのは我であるのだが!?」
「なるほど。今年の実りは豊かだと聞くが……お前、まさか大聖堂の血で肥え太ったんじゃないだろうな?」
秋を司るというならば、その結果にも関与するのではないのか。
「それはあくまで結果であって目的ではないのだよ」
「やっぱりいっぺん滅んでこい」
別の小瓶から聖水をぶちまけると、黒犬はきゃんきゃんと鳴きながら煙のように消えていった。
「逃げるなルーク!」
むかつきを抑えて名前を呼ぶが、遠くからこだまのように『わん』という下手な鳴き声が返ってくるだけだった。下僕を自称するならばもっと献身的であってしかるべきだろうと思うのだが、やはり悪魔を信頼すべきではないということか。
うむ、と頷いたグラディスは、自作した聖水を種類ごとに並べ替えてうっとりと笑った。新しい聖句を覚えた時のような高揚感は、つまりは己の強さが増したということに他ならない。悪魔を踏みにじり、圧倒する強さを得たということ。
「くくっ、試すのが楽しみだ」
愉悦のままに微笑んだグラディスの顔は、どこからどう見ても悪魔的だったのだが、本人にその自覚は当然ながら、ない。
それからというもの、サザークにおけるグラディスの悪魔祓いの速度は増した。なんせ、聖水をまくだけで退散する悪魔も多いのだ。これはいい、とにやついていたのもつかの間。
「ねぇ、グラディス。私の実家は漁師をやってるんだけど。なんだか最近、すごく嫌な噂を聞くようになったの」
そう言って庶民出身の修道女であるスザンナが、相談事を持ってきたのは十月半ばだった。
「なんだ。どうにも最近悪魔が多い。海辺でもそうなのか?」
「そうなんだけど……でもね、悪魔憑きというよりも、行方不明になる人が多いみたいなのよ。父が困っていて。テムズ川で漁をしている人のまとめ役みたいな仕事をしてるんだけど、穏やかな流れで、転覆したわけでもないのに、人が消えていくの。特に海の近くは危ないみたい」
庶民とはいえ、漁師のまとめ役という裕福な家の出身だったらしいスザンナは、怯えたように体を震わせた。
「それってあたしの出番なのか? 不思議な事件をなんでも解決できるわけじゃないんだぞ」
「それはそうなんだけど……でもね、数日経って帰ってくる人もいるの。そういう人達が言うにはね、舟に乗ってたはずなのに、気づくと不思議な場所にいたんだって。まるで森の中みたいな。それで不思議な生き物に、『季節を回せ』って命令されるんだって。『聖女に伝えろ』って。……ねぇ、今このロンドンで、聖女って呼ばれてるの、あなたぐらいなんじゃないの?」
グラディスは思いっきり舌打ちをした。スザンナが顔をしかめている。
「ほんっとうに鬱陶しい悪魔共だな。それで、あたしに舟に乗れって?」
「行方不明になって、帰ってこない人もいるの。探せない?」
グラディスは唸った。
「……あたしは、悪魔は祓えるけど、あっちの世界に連れて行かれた人間を探して戻せるかは分からないぞ? やり方が分からない」
「……そうよね……あなたって、世間じゃサザークの聖女様って名高いけど、実際はただの無礼な世間知らずだものね……」
「おい」
なぜ依頼している分際で貶してくるのか。そして言っておくが、スザンナだって充分に世間知らずだと思うのだが。
「でもね、これ以上行方不明な人を出さないために、何かできないかしら。どうせあなたにそんなたいそうな期待なんてしてないわ。あなた程度にできることだけでいいのよ」
「言葉の端々から軽んじられてる気配がするんだが」
「気のせいじゃない?」
けろりとした顔のスザンナを見て、グラディスはため息をついた。これで解決しなかった時に苦情を言うのが世間というものだ。本当に勘弁してほしい。
「だがあたしはサザークの人間を優先したい。世話になったからな。だから行けるとしたら日帰りで行ける範囲になるんだが……」
「テムズ川の河口までだったら日帰りで行けるわよ」
「往きは早いだろうが、帰りは本当に大丈夫なのか……?」
舟の構造はよく知らないが、川を下るのと遡るのでは、必要な時間も違うだろうと思う。
「帆を張るから大丈夫よ」
言い張るスザンナの視線が時折、やや斜め上に逸れているが、本当に真実大丈夫なのだろうか。胡散臭いことこの上ない。
「ま、スザンナには世話になってるからな……」
庶民出身の修道女達から忌避感がなくなったのは、この明るくて無遠慮で思慮の浅いスザンナのおかげでもある。一度ぐらいならば行くだけ行ってみてもいいかもしれない。
「なら手配しておくわ! 父にも連絡しないと!」
グラディスの気が変わるのを恐れるみたいに、スザンナは素早い動きでその場から去って行った。
「それにしても……海、か」
なぜ海なのだろう。海とテムズ川。季節を巡らせるための悪魔の動きに、どんな関係があるのだろう。考え込みながらサザークの通りに出かけていったグラディスは、その晩スザンナから満面の笑顔で準備万端整ったと告げられ、その手際の良さに少し怯んだのだった。




