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万聖節まで、あと一ヶ月


「どこに行っていたの? シスター・グラディス」


 屋敷の玄関前に立った瞬間、霧は綺麗に消え去った。それと同時に屋敷から執事が飛び出てきて、『ここにいらしたのですか、シスター・グラディス!』と叫んだのだ。こちとら大仕事を終えたばかりなのだから、多少行方不明でも構わないじゃないかと思ったのだが、口を噤む程度の良識はグラディスにもあった。


「ちょっと……悪魔を追跡してた」


 追跡した先が『あちらの世界(ティル・ナ・ノーグ)』というのは、黙っておくことにする。説明が面倒だからだ。


「まぁ……それで、倒せたのですか? シスター・グラディス」


 穏やかに、だがそこはかとなく安堵を滲ませるという高度な技術を使いながらオーフェリアが尋ねてきて、その技術力に気圧されつつもグラディスは頷いた。


「あぁ。無事に祓った。もう悪さはしないだろう」

「それは良かったこと。……それで、ヨランダ」

「はい」


 オーフェリアはヨランダを見て、ヨランダはオーフェリアに向かって頷いた。どうやら説明の引き継ぎをしているらしい。そういう機能がグラディスにもほしい。ややこしい説明は誰かに任せたい。


「グラディス、少し面倒なことになりました。この家の使用人の女性が、ジョージ・ブーリン様の子どもを身籠もっていること、ジョージ・ブーリン様は離婚されて独り身なのだということを主張しているのです。自分とジョージ・ブーリン様が結婚するのだと」


 悪魔が祓われて、今度は国王が現在進行形でやっているものを小規模にした愛人騒動が、現在ブーリン邸では起こっているらしい。


「その辺は本人同士で解決すればいいんじゃないか? 悪魔は祓ったんだから、甲斐性無しの男でもさすがにもうたぶらかされないだろうさ」


「悪魔の力で誘惑していたということなのかしら? それならば大変な罪になるのではなくて?」


「信仰上の罪かもしれないけど、法律上の罪には当たらないんじゃないのか? どんな事情があれ、手を出したのは青二才だろ?」


 とりつくしまのないグラディスの言葉に、ヨランダとオーフェリアは額を抑えてため息をついた。その仕草がどことなく似ているな、と、グラディスは他人事のように思ったのだった。






 結局、ブーリン家の騒動は内輪で終わったらしい。ジョージ・ブーリンの愛人は手切れ金を渡されて家を去り、妻はよりいっそうよそよそしくなったそうだ。もはやそこに悪魔を祓う余地はどこにもない。ゆえに、グラディスが出る幕もない。グラディスらは聖メアリ修道院に多額の寄付をもたらし、オーフェリアらは宮殿に多少の顔見知りを増やすという、修道院にとっては損のない結果となったのだ。万々歳だろう。


「……季節を、回す……冬。秋から、冬」


 あちらの世界で聞いた言葉が、グラディスの頭に染みついていたことを除けば。


 そうだ。母はいつも、万聖節の前夜に儀式を行っていた。その日が、大切な日だからと。あちらとこちらが、最も近づく日だからと。


「万聖節まで、あと一ヶ月……」


 なぜか、胸騒ぎがした。十年以上行われなかった儀式。そこに、聖パウロ大聖堂で血を流した古き神。これは、前兆ではないのか。


「あたしの、知ったことじゃない」


 自分に言い聞かせる。グラディスは巫女ではない。母をむざむざと死なせた神のために動く義理など、ない。その上、あの黒犬には遺恨もある。


「信仰は、システムだ。古いシステムなら、壊すまで」


 システムならば、新しい仕組みに置き換えることもできるはずだ。あの血まみれの惨劇を信仰に組み込むことは、しない。グラディスは修道女だ。新しい信仰のシステムで、古い信仰を打ち破る。それが、できるはずだ。


『ロットゥウマ、ベェル、ラリルゥリ、ルゥリ……ニィニィネ、エイル……』


 遠い記憶の中で、母の歌声が聞こえる。あの母と、あのまま貧しくも幸せに生きていたならば、素直に季節を回していたのだろうか。生け贄の血を大地に撒いて。


「--ないな。たぶん、ない」


 なんとなくだが、それはしないような気がした。単に血が嫌だとかそんな感情を越えて、生き物の命を奪いたくないという本能的な忌避感が大きい。命は、奪ったら戻らない。そしてグラディスは知っている。貧しく、弱い者から命は捧げられることを。強く富んだ者のために命を捧げ、その栄光を守る。


 そんな信仰のシステムなど認めるつもりはない。腹立たしい以上に気に食わない。いかにそれが自然の摂理だとしても、心から受け入れることだけは、決してしない。そして現在のグラディスの心情が、育ち方が違ったとしても全く異なるわけではなかろうとも思うのだ。己の頑固さはよく自覚している。利口に生きられない頑迷さ。生きるのが下手な無骨さ。


「一人ぐらいそういうのがいてもいいだろ」


 一人ぐらい、いいはずだ。その一人が、祭祀を司る人間だとしても、そういう偶然があってもいいだろう。それも人生だ。


「……なにが起ころうが、ぶっ潰してやる」


 神々の思惑など知ったことか。季節が回らないなら、回させてやればいい。こちらのやり方で。弱く貧しい者が割を食わないやり方で。


 厨房からくすねてきたエールを飲み干して、グラディスは決意を新たにした。






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