もう女としては売らない
「はぁ? また?」
渋い顔をしたヨランダが頷いた。グラディスにとって、アン・ブーリンから依頼される仕事は割がいいので好ましいのだが、問題は会話に困るのだ。また呼ばれたということは、あの弟にまた問題が起きたのだろう。なんだかおかしな気配だったから、何事かが起こるのではないかとは思っていたのだが、根本的な解決に導くには、事情の聴取がどうしても必要になってくる。だが、グラディスは貴族との会話が得意ではない。というか、グラディスの言葉遣いで貴族と会話していたら、命が幾つあっても足りない。
「ヨランダ。オーフェリア様についてきてもらえないかな」
グラディスは思い切って口を開いた。この前の宮殿からの帰り道、オーフェリアは馬車の中でリュートをつま弾きながら、聖書をひたすら朗読していたのだ。心が不安定になった時はそうするのが彼女の癖らしい。なんとも優雅で知的な性癖だ。
「どうかしら……オーフェリア様はこの前の冷遇が堪えられたみたいで、聖人が殉教する場面をずっと朗読されてるのよ」
「よく分からないが重症だってことは分かった」
サザークの娼婦上がりのグラディスよりも、己の扱いが軽かったことが衝撃だったらしい。単なる秘密保持のためなのだが。
「だが困ったな。誰かが伯爵令嬢と話してくれないと、情報が集まらない」
「あなた……は、無理ね。言っておくけれどわたくしも無理よ! 国王陛下ととっても仲の良い貴婦人となんて、たかだか庶民上がりの騎士爵が話せる相手じゃないわ」
「騎士爵の娘な」
「うるさくてよ。省略しただけじゃないの」
「ねぇねぇ、なんの話なの? この前オーフェリア様とお出かけした話?」
スザンナが拗ねたように話に入ってきた。この前はスザンナを置いて出て行ったのだが、それが不満だったらしい。
「みんなに聞かれたのに、なんにも答えられなかったのよ! ひどいわ、私だけ仲間はずれなんて」
友情が原因ではないらしいが。
「国王の愛人から依頼が来た。身内が悪魔に憑かれたから、祓ったんだが。また依頼が来たんだ。たぶん同じ人間だと思う。本体を祓えてないからじゃないかと思うんだが、そういう情報を聞きたくても貴族とはまともに話せない。だからオーフェリア様に代理で話してほしい」
「国王陛下の愛人? ねぇ、どんな人だった? 綺麗だった?」
「ものすごい美人じゃなかったけど、色んな意味で油断ならない感じの人だった。あと、こればらしたのが分かったら修道院が潰れるから内緒な」
さらりと告げると、ヨランダとスザンナの顔色が悪くなった。まぁ修道院から噂が広がる可能性はないと思うが。
「ちょ、なんで私に言うのよ!?」
「聞きたがっただろ」
内緒にすればほじくり返したくなるのが人間というものだ。それならば最初から打ち明けて、罰則で縛ればいい。グラディスはその方がすっきりするし。
「なぁヨランダ。このことオーフェリア様に言っていいから、なんとか説得してついてきてもらえないか。あたしじゃ無理だ。でもできるなら大口の寄付者は確保しときたい」
ヨランダは頭を抱えてうなり、そしてきりっとした顔で背を正した。
「良くてよ。こうなったらわたくしもオーフェリア様も、同じ苦難の道に進むまででしてよ」
「おぉ、頑張れ」
「あなたがね!」
じろりと恨めしげに睨まれて、グラディスは肩を竦めた。たぶん元凶は、悪魔なんぞに取り憑かれた愛妾の弟だと思うのだが。
納得しないながらも馬車に同乗してくれたオーフェリアに、グラディスは力説した。
「あたしが国王に近しい貴婦人と喋ったら一大事だろ? 修道院はまず間違いなく潰される。でも、あたしがこの依頼を断っても大事だ。別の貴族の差し金と思われるかもしれないじゃないか」
ふと、オーフェリアは顔を上げた。
「そういえば……あの方はわたくし達スネリング子爵家の者を、王妃陛下に近しいからと嫌がってらっしゃったわ」
「じゃあ、そのなんとか子爵家がらみで王妃陛下の味方についたんだと思われたら大変だろ、うちの修道院」
オーフェリアは大事そうにリュートを抱きかかえたまま、グラディスを見つめてため息をついた。
「あなたの話し方は、どうにかならないのですか? 下町の人間でも、もう少し上手く話せるでしょう? あなたは頭の悪くない人間だと思っています。それなのに、そんな男性みたいな話し方なのは、なぜ?」
グラディスは少し意外そうに目を瞬き、それからにっと笑った。下々の人間に事情を聞いてくれるとは思わなかったからだ。
「娼婦の世界で女は商売敵だ。修道女の世界も女の世界だろ? なら女らしくしてなけりゃ、喧嘩にもなるまいと思ったんだよ」
「意味が分からないわ。あなたのそれは、単なる非礼に思えます」
グラディスはどう言えば伝わるのかと額を押さえ、言葉を探した。
「分からない? うぅぅん、つまり、修道女ってのは神の花嫁になるために修道院にいるんだろ? 女として立派なのが花嫁に相応しいんだろ? なら女として落第な方が、女社会では商売敵扱いされずに無難に過ごせるんじゃないかと思ったんだよ。それに、もう女言葉なんて話したくもないね。あたしはもう女としては売らないんだ。娼婦は辞めたんだから」
オーフェリアは、ほとんど初めてと言っていいほどに、じっとグラディスを見つめた。綺麗な青い目がグラディスの、榛色の目に映った。
「……娼婦は、嫌な仕事だったのですか?」
「クソみたいな仕事だった。あたしはもう、男の機嫌なんて二度と取りたくない。そのために修道女になったんだ」
伝手があるなら娼婦よりも修道女の方が幾分かましだ。贅沢はできないが、男に頼らなくても生きていける。老いても捨てられはしないだろう。
「あなた、頭は悪くないと言ったのを取り消しますわ。ずいぶん頭が悪くてらっしゃるのね」
つんと横を向いてそうオーフェリアは言ったが、その言葉にはどことなく柔らかな響きがあった。
「なんか……面倒くさい人だな、あんたって」
「グラディス!?」
思わず口を突いて出た本音に、ヨランダは悲鳴を上げ、オーフェリアは黙っていささか乱暴にリュートをかき鳴らしたのだった。




