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黒の英雄と風の龍  作者: 坂野真夢
第三章
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事件・5


「ブレ……ド」



 掠れる声で、必死に名前を呼ぶ。ブレイドのこめかみがピクリと動く。反応はある、とディアナは冷静に判断する。


 耳ふさぎの呪文はちゃんとかかっていた。だから、完全に暗示にかかりきってはいないかも知れない。呼びかければ、ブレイドの意識を表に出すことができる可能性はある。


 その期待を込めて、できるだけはっきりと聞こえるようにディアナは彼の名前を呼んだ。


「……っく、ブ、レイ、ド」


 ブレイドの瞳がゆがんだ。何度か瞬きをしているうちに、滴っていた汗が目の中に入っていく。


「……に、……げろ」


 ゆっくりと動かされる体に反抗するように、口がそう動いた。そして、一瞬だけ首を掴んでいた手が緩む。その隙を、ディアナは見逃さなかった。



「ユウ・ブレク・ステル・ディアクレイド・リゲロ!」《汝、魔たる呪より解放されよ》



 かすれた声でディアナは暗示解除の呪文を詠み終えた。バチッと電気が走ったように、ブレイドの手が痙攣する。そしてその瞳に、生気が戻ってくる。


「はあっ、はあっ」


 ディアナは彼の手から逃れて、地面に座り込むと大きく息を吸い込んだ。森の空気が体中に入り込む。


「ディアナ! 大丈夫か?」


 正気に戻ったブレイドが、ディアナの肩を掴んだ。先ほどまでの激しい憎悪をたたえた表情ではない。ただ、今度はそこに悲しみの色が宿っている。


 ディアナは喉を押さえて少し咳込んだ。首にはブレイドの手の跡が残っている。


「俺……」

「大……丈夫よ。ごほっ……心配ない。あんたは、操られてただけでしょ」

「でも、俺が」


 動転した様子のブレイドの後ろから、忍び寄るの魔物の影。ディアナはすばやく声を上げる。


「ブレイド、後ろ!」


 喉を傷つけられたカナヒヒたちが、暗示が解けたことに気づいて後ろから襲いかかってきたのだ。ブレイドは振り向くと、素早く火魔法を唱えた。


 カナヒヒとブレイドたちとの間に、炎の壁が出来る。その炎は徐々に広がり、カナヒヒたちはたじろいで後ずさった。その隙に、ブレイドは落ちていた剣を拾う。


「呪文の唱えられないカナヒヒ二体。……上等だ。ディアナ、そこで見てろよ」


 先ほどの屈辱を返すかのように、ブレイドは素早い剣さばきでカナヒヒを切りつけていった。怪我をしているカナヒヒの動きは鈍く、ブレイドはあっという間に、致命傷といえる傷をつけていく。緑色の血が跳ね返るのも、全く気にしていないように。


 それを見ながら、ディアナは先ほどのブレイドを思い出していた。


 ブレイドは、強い。怒りに身を任せたら、魔物が手も足も出せないほど強かったんだ。


 その剣筋の速さと凄まじさに、ディアナはある意味でぞっとした。意識的にではないのかも知れないけれど、ブレイドはずっと手加減していたのだろう。


 ディアナが呆気にとられている間に勝敗は決まった。本当に、あっという間だと言えるほどの早さで。傷つけられたカナヒヒたちは、足を引きずりながら森の奥へ戻って行った。


「とどめを刺さなかったの?」

「……ああ。今回のは、どちらかと言えば人間が悪い話だろう」

「そうだね」


 ブレイドが屈んでディアナを覗き込んだ。鬼神のような先ほどの様相からは想像もつかないほど悲しそうな顔をされて、ディアナの方まで胸が痛くなる。


「……悪かった」

「あんたのせいじゃないってば」

「痕付いてるな、……消せるか?」

「え? 自分じゃ見えないからな。……どこ?」

「ここ」


 ブレイドがディアナの手を取って、その痕のところへ触れさせた。


「やってみる」


 ディアナの唱えた回復呪文の効果で、赤みは大分消えたがうっすらと痕は残ってしまった。


「痕が残ったな」

「仕方ないわ。自分で見えないところだから、上手くできないのよ。大丈夫、いずれ治るから」

「ごめん」


 ブレイドが、ふわりとディアナを抱きしめた。先ほどとは打って変わってブレイドが頼りなげに見えて、ディアナは両手を背中にまわした。


「……お前を傷つけるなんて、思ってもみなかった」

「だから、いつまで気にしてんのよ! それより、どうよ、私役に立ったでしょ!」

「ああ」

「だから、二人の方がいいって言ったでしょ!」

「……ああ、そうだな」

「ブレイド」


 どこか泣いているようなブレイドが、ディアナには悲しかった。傍にいて良かったって、言ってほしい。こんな怪我大したことないし、ブレイドが操られたことがダメだなんて思ってない。大丈夫だからこれからも一緒にいていいって、言ってほしかった。


「……帰ろうか。おぶってやるよ、ほら」


 ブレイドが、体を離して背中を向けた。


「いいよ! そんな大した怪我、してない」

「いいから、それくらいさせろよ」

「……わかったわよ」


 背中に乗せられると高さが変わる。背の高いブレイドに見える景色を見ながら、ディアナは彼の背中にしがみ付く。


 途中、村から引き揚げてきた魔物の一団がやってきたので、二人は木陰に身を隠した。魔物たちは、半分眠ってるようなのもいれば、しっかりした足取りのものもいる。催眠暗示が解けたのかはよく分からなかったが、特別周りに気を回すでもなくまっしぐらに森を目指して歩いて行く。その一団が行き過ぎるまで黙って見ていたが、魔物たちはディアナたちには気づかずに行ってしまった。


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