事件・4
森の入口までくると、カナヒヒのものと思われる声が聞こえてきた。それほど大きな声では無いが、地面を這うように響きわたっている。どうやらこの呪文で森の魔物たちを引きよせ、暗示をかけているらしい。
「なんか、体が引っ張られる感じがするな」
「大丈夫? ブレイド、結構かかりやすいんだね」
昼間もロックの《眠りの唄》でも眠そうにしていた。よくわからないけれど、暗示にかかりやすい体質なのだろうか。
「まあ、大丈夫だろ。気合い入れてけば」
「だめよ。ちょっと止まって。耳ふさぎの魔法かけとくから」
ディアナは治療師として、ステータス異常の解除呪文や保護呪文を覚えている。回復魔法よりは得手でないが、しないよりはましなはずだ。
「うお、なんか、急に耳が遠くなった」
「気配を読んだり話をするには不便だけど、変な魔法にひっかかるよりましでしょ」
「そうだな。助かったよ」
二人で頷き合って森の中へと足を進める。
森の内部、夜光草がぽつぽつと光を放つあたりに、カナヒヒが二匹いた。足元には、荒れた土も見える。
もしかしたら、あれがレオが夜光草を掘った跡なのかも知れない。
一匹が呪文を唱え続け、もう一匹が寄ってきた魔物と目を合わせながら何やら呟いている。おそらくは催眠暗示をかけているのだろう。
「あいつらか。二匹ってのが厄介だな。気づかれずに近寄れるか……」
「私が、あの木に雷魔法で雷を落とそうか。そしたらあのカナヒヒたち、気をとられるんじゃない?」
耳ふさぎの呪文をかけているので、お互いに耳に口をあてながら話をする。
「そうだな。……やってみるか」
「おっけー。じゃあ、いくよ!」
ディアナは使える中では、一番強い雷魔法を唱えた。魔術師が使う魔法に比べたら三割ほどの力しかないが、それでも雷鳴をとどろかせ、その木の上に落ち森を振動させた。どこかで、驚いたようにフクロウが飛び立つ音が聞こえる。
「!!」
瞬間、カナヒヒたちが驚いたように木の方を振り向いて、呪文が一瞬途切れた。
「よしっ」
その隙を逃さずブレイドが飛び出し、呪文を唱えていた方のカナヒヒの喉を切り裂いた。深緑色の血が噴き出て、カナヒヒは悲痛の声をあげる。
「ぐああぁぁぁあ」
「ぐがぁ?」
もう一体が異変に気づき、険しい形相で駆け寄ってくる。さっと踵を返してブレイドはもう一体の喉を狙った。ブレイドの動きは早い、あっという間にその剣が喉に突き刺さした。しかしその瞬間、カナヒヒの方も呪文を口ずさむ。
「ユウ・ウィル・アニモ・ロガチ」《汝、我が意に応じて動け》
ブレイドの体がピタリと動きを止める。喉を狙うことに集中するあまり、村長の忠告を忘れて、ブレイドはカナヒヒの目を見てしまったのだ。
呪文と同時に頭の中に何かが入ってきたような感覚がする。耳塞ぎの魔法の効果で声が遠かったのが幸いしてか、それは頭の入口で止まった。けれど、徐々に体が固まっていく。
「ざ……けんな」
ブレイドは、残る力を振り絞り、勢いだけで喉を突いた剣を押しこんだ。
「ぐがぁがぁ」
二匹のカナヒヒたちは、苦しそうに喉を押させ顔をゆがめて雄叫びを上げる。その返り血を浴びながら、ブレイドは自分の体が思うように動かせなくなっているのに気づいた。
*
<お前の仲間を、殺せ>
ブレイドの頭の中に、止むことなく鬼気迫った声が響く。冗談にならない指令に、ブレイドは必死に抵抗する。しかし、今のブレイドの体は自分の意思とは全く直結しておらず、勝手にその体の向きを変える。
眼前に見えるディアナの眼差しには驚きの色がある。「逃げろ」と心の中で呟き、目で強く訴えてみるも、ディアナは言葉もなく、息を飲んだまま立ちすくんでいた。
ゆっくりと腕があがる。ブレイドの意志とは無関係に。勝手に動く体を何とか抑えようと考えてはみるが、全く自由にならない。
「……ろ」
辛うじてブレイドにできた事は、それだけを声にして発する事だけだった。
嫌だ。そう思っても止まらない。立ちすくむディアナに向かって、右の手がゆっくりと伸び指先が彼女の喉を狙う。自分に向けられる怯えたような表情に、ブレイドは少なからずショックを受けた。
ディアナは、ギクシャクした動きをするブレイドをただじっと見ていた。明らかに様子はおかしい。眼差しがうつろすぎる。ブレイドと出会ってからもう二年以上経つが、こんな表情は今までに一度も見たことがない。
「……ブレイド?」
呼びかけると、返事の代わりに手が伸びてきた。見たこともないような恐ろしい形相で。
「暗示を、……かけられたの?」
ディアナはブレイドに軽い恐怖を感じながらも、自分が覚えている暗示解除の呪文を必死に思いだそうとした。
「ユウ・ブレク・ステル……」《汝、魔たる呪より解放されよ》
呪文を唱えだしたところで、首をその大きな手に掴まれる。指が喉に食い込んで息がうまく出来ず、詠唱はそのまま止まってしまう。
「ぐっ……」
ディアナの顔が苦しげに歪む。ブレイドの太い親指は喉に強く押し込んできて、他の指はディアナの首を囲むように添えられる。そのまま力がこめられ、ディアナは呼吸がままならなくなり、目尻に涙を浮かべた。
息が苦しく、視界も歪む。なのにディアナは、呑気な事を考えていた。いつも、自分に優しく触れてくれた大きな手は、本当はこんなに強い力を持ってたんだと。
死に直面したこの状況で思い出すのは、今までブレイドがディアナをどれだけ優しく扱ってくれていたかの一点だった。




