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やすらぎ亭の女将さん  作者: 篠原 千鶴


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第六話


畑が軌道に乗り始めて、二ヶ月ほど経った頃のことだった。


その日は朝から、なんだか空模様が怪しかった。灰色の雲が低く垂れ込めていて、風もいつもより強い。


「今日、なんか嫌な感じの天気だね」

「ああ、こりゃ荒れそうだな」


父さんも空を見上げて、眉をひそめていた。


その予感は、夜になって的中した。夕食の後片付けをしている頃から、外は激しい風雨に見舞われた。窓ガラスがガタガタと音を立て、遠くで雷鳴も轟いている。


「畑、大丈夫かな……」


不安で眠れないまま、布団の中で何度も寝返りを打った。


翌朝、恐る恐る畑に向かうと、目の前に広がっていたのは、無残な光景だった。強風でハーブの茎がなぎ倒され、野菜の葉もあちこちちぎれている。せっかく実り始めていた実も、いくつか落ちてしまっていた。


「うそ、そんな……」


膝から力が抜けそうになる。何ヶ月もかけて育ててきたものが、たった一晩の嵐で、こんなにも傷ついてしまうなんて。


「ミーシャ……」


いつの間にか、母さんが後ろに立っていた。


「大丈夫、まだ全部がダメになったわけじゃないわ」


そう言って肩に手を置いてくれたけど、正直、目の前の光景に立ち直れる自信がなかった。


その日の昼頃に農家をしていたをしていたおじさんが、様子を見に来てくれた。


「うわ、こりゃひどいな」


倒れた作物を見て、おじさんは顔をしかめた。


「まあ、こういうこともあるさ。畑仕事なんて、天候にはかなわないもんだ」


慰めてくれているのはわかったけど、その後に続いた一言が、地味に胸に刺さった。


「所詮、子供の趣味みたいなもんだったんだろう。無理しなくてよかったんじゃないか?」


悪気はないんだろう。でも、その言葉が、じわじわと胸の奥に沁みてくる。


(趣味、か……)


これまで積み重ねてきた努力が、まるで意味のないもののように扱われた気がして、悔しさと悲しさが入り混じった感情がこみ上げてくる。


その夜、部屋に一人でこもって、ぼんやりと天井を見つめていた。前世の美沙だったら、こんな時どうしていただろう。プロジェクトが失敗しかけたとき、上司に詰められたとき、それでも次の日には気持ちを切り替えて、また机に向かっていた。あの粘り強さは、今の私にもあるはずだ。


(このくらいで諦めるくらいなら、最初から始めてない)


そう思うと、少しずつ気力が戻ってくる気がした。


翌朝、私は改めて畑を見に行った。倒れた作物の中にも、まだ生きているものがあることに気づく。全部がダメになったわけじゃない。ちゃんと見極めて手入れをすれば、まだ間に合うものもある。


「よし……」


一つ一つ、丁寧に作物の様子を確認していく。倒れた茎を支柱で起こしたり、傷んだ葉を取り除いたり。地道な作業だったけど、少しずつ畑が元の姿を取り戻していく。


「ミーシャ、まだやってたの?」


買い出しから帰ってきた母さんが、心配そうな顔で声をかけてきた。


「うん。まだ助けられるものは、助けたいから」

「そう」


母さんはしばらく黙って畑を見つめたあと、ふっと微笑んだ。


「私も手伝うわ」


その日から、家族総出で畑の立て直しに取り組んだ。父さんは支柱作りを手伝ってくれたし、母さんは傷んだ作物の選別を手伝ってくれた。三人で泥だらけになりながら、少しずつ畑を元通りにしていく作業は、大変だったけど、なぜか楽しくもあった。



一週間ほどかけて、なんとか畑はある程度落ち着きを取り戻した。全部が元通りというわけにはいかなかったけど、それでも、思ったよりも多くの作物を救うことができた。


「よく頑張ったな、ミーシャ」


父さんにそう言われて、胸がじんわり熱くなった。


その後、あの慰めてくれたおじさんが、再び畑の様子を見に来た。


「おお、思ったより持ち直したじゃないか」


驚いたような顔で、おじさんは畑を眺めていた。


「はい、家族みんなで頑張りました」

「ふうん。前に、趣味みたいなもんだって言っちまったが、あれは撤回するよ。ちゃんと本気だったんだな」


その一言が、これまでの苦労を全部報われたような気持ちにさせてくれた。


「今度、豆の苗を少し分けてやろうか。この土地に合いそうだしな」

「本当ですか! ありがとうございます!」


思わず声が弾んだ。悔しい思いをしたことも、無駄じゃなかった。むしろ、この経験を通して、また一つ、周りとの信頼関係が深まった気がする。




その夜、日記に今日の出来事を書き込みながら、私はしみじみと思った。前世でも、今世でも、うまくいかないことは当たり前にある。大事なのは、そこで諦めるかどうか。


窓の外、少しずつ立ち直りつつある畑を見つめながら、私は静かに次の目標を思い描いていた。


――この経験を、次に活かそう。もっと強い畑を、もっと美味しい料理を。


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