第四話
家族会議から三日後。父さんが朝食の席で改まった顔をした。
「ミーシャ、この間の土地の話だが……」
「うん」
思わずフォークを持つ手が止まる。
「正直、うちの今の財布事情じゃ、かなり厳しい。でも、お前があそこまで言うなら賭けてみるか」
「本当に!?」
「ただし!」
父さんが指を一本立てる。
「無理な借金はしない。今ある貯えの範囲でやる。あと、ちゃんと成果を出せなかったら、その時はまた考え直す。それでいいな?」
「うん、うん! ありがとう、お父さん!」
思わず立ち上がって、ぴょんと跳ねてしまった。我ながら十二歳児っぽい反応だな、と思いつつも、嬉しさが抑えられない。
母さんは苦笑しながら、それでもどこか嬉しそうな顔をしていた。
「あなたたち本当に似た者親子ね。無茶を言い出すところとか」
「え、私、無茶言った?」
「言ったわよ。でも、悪くない無茶だと思うわ」
その言葉に胸の奥がじんわり温かくなった。
数日後、隣のおじいさんとの話し合いが正式にまとまった。土地の権利書を交わす日、私も同席させてもらった。子供が口を出す場面じゃないのはわかっていたけど、どうしても立ち会いたかったのだ。
「本当にいいのかい、こんな小娘の思いつきに付き合って」
おじいさんが冗談めかして聞いてくる。
「思いつきじゃないですよ。ちゃんと考えてます」
「はっはっは、頼もしいな。ここでいい思い出をたくさん作ってくれよ」
おじいさんは、少し寂しそうな、でも安心したような顔で笑った。長年住んでいた土地を手放すのは、きっと簡単なことじゃなかったはずだ。その気持ちを想像すると、少し胸が痛んだ。
「大切に使います。約束します」
そう言うと、おじいさんは目を細めて頷いた。
こうして、私たちは正式に隣の土地を手に入れた。
その日の午後、さっそく土地を見に行った。雑草がぼうぼうに生い茂り、決して広くはない土地。前世で見たことのある家庭菜園よりも、もう少し大きいくらいだろうか。
「うわあ、思ったより荒れてるね」
「そりゃそうだろう。何年も放置されてたんだから」
父さんが呆れたように言う。でも、私の目には、荒れた土地の向こうに、青々としたハーブや野菜が並ぶ光景が見えていた。
「ここに、ハーブと野菜を植えるの。土をまず整えないとだけど」
「お前、畑仕事なんてやったことあるのか?」
「ないけど、勉強するよ」
正直に言うと、前世の美沙も、家庭菜園なんて縁のない生活だった。狭いアパートの台所で豆苗を育てたことがある程度。畑仕事は完全に未知の領域だ。それでも、なんとかなる気がしていた。
翌日から、私は暇を見つけては土地の様子を見に行くようになった。まずは雑草を抜くところから。子供の力じゃそう簡単には進まなくて、手のひらに何個もマメを作りながら、少しずつ土地を整えていった。
「ミーシャちゃん、また来てるのか」
近所のおじさんが、通りすがりに声をかけてくる。
「はい! 畑にしようと思って」
「へえ、子供が一人で?まあ、頑張りな」
その言い方に、ほんのわずかだけど、からかうような響きが混じっているのを感じた。周りの大人からすれば、私のやっていることは、しょせん子供の遊びに毛が生えた程度のことなんだろう。
(まあ、今はそう思われても仕方ないか)
悔しさがないと言えば嘘になる。でも、今は結果で示すしかない。そう自分に言い聞かせながら、また雑草に手を伸ばした。
夕方、へとへとになって家に戻ると、母さんが心配そうな顔で迎えてくれた。
「大丈夫? 手、真っ赤じゃない」
「うん、平気。ちょっと疲れたけど」
「無理しないのよ。あなたはまだ子供なんだから」
その言葉に、一瞬だけ胸がちくりとした。子供、という言葉。頭の中には三十六年分の記憶があるのに、体はまだ十二歳の子供のままだ。このギャップに、時々もどかしさを感じる。
でも、母さんの言葉には、ちゃんと私を気遣う気持ちが込められていることもわかっていた。
「ありがとう、お母さん。でも、これは私がやりたいことだから」
母さんは少し驚いたような顔をしたあと、優しく微笑んだ。
「そうね。じゃあ、無理しない範囲で頑張りなさい」
その夜、父さんが古い農具を物置から引っ張り出してきてくれた。
「これ、昔使ってたやつだ。使えるかどうかわからんが」
「ありがとう、お父さん!」
小さな鍬とスコップ。子供の私には少し大きすぎるサイズだったけど、それでも嬉しかった。両親が少しずつ私のことを応援してくれている。その実感が、何よりも心強かった。
その日から、私は毎日少しずつ、土地を耕し始めた。前世の知識だけじゃ足りない部分は、近所の農家の人に教えてもらったり、市場で種や苗を選ぶときに店の人に相談したりしながら地道に学んでいった。
「この辺りの土だと、これが育てやすいよ」
市場のおばさんが教えてくれたのは、この世界特有のハーブだった。前世では見たことのない植物だけど、香りを嗅いでみると、どこかバジルとミントを足したような不思議な香りがした。
「これ、料理にも使えそうですね」
「ああ、煮込み料理に少し入れると、風味が変わって美味しいよ」
新しい食材との出会いは、想像以上にわくわくした。前世の知識だけに頼るんじゃなくて、この世界ならではの食材も、どんどん取り入れていきたい。
耕し始めてから半月ほど経った頃、ようやく土地らしい形が見えてきた。まだ何も植わっていない、ただの耕された土。でも、そこには確かな可能性が広がっているように感じた。
「よし、次はいよいよ種まきだ」
土まみれの手を見つめながら、私は静かに気合を入れ直した。
まだ何も収穫できていない。まだ誰も、この土地が本当に役に立つとは思っていない。それでも私の中には予感があった。
――この土地が、うちの宿を変える。
窓の外に見えるようになった、まだ何も植わっていない畑を眺めながら、私は次の一歩を思い描いていた。




