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やすらぎ亭の女将さん  作者: 篠原 千鶴


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第18話


トーマスさんの告白を断ってから、数日が経った。


「ミーシャさん、最近なんだか吹っ切れた顔してますね」


リナが、不思議そうにそう言ってきた。


「そう見える?」

「はい。なんか、すっきりした感じというか」


自分でも、少し意外だった。告白を断ったことに後悔はない。今の自分には、宿のことに全力を注ぎたいという気持ちが何よりも強くあった。


そんなある日、宿に市場のおばさんが立ち寄った。ちょうど、クラウスが食事をしている時だった。


「ミーシャちゃん、聞いたわよ。あの商会のトーマスさんに告白されたんですって?」


その瞬間、クラウスの箸がわずかに止まったのが見えた。


「あ、はい。でも、お断りしたんです」


「あら、そうだったの」


おばさんは意外そうな顔をしたあと、興味深そうに聞いてきた。


「どうして? いい人だと思ってたけど」


「今は、宿のことで精一杯で。誰かとちゃんと向き合う余裕がまだないので」


そう答えると、おばさんは納得したように頷いて、また別のお客様のところへ移っていった。


食堂に、少しの沈黙が流れた。クラウスは、何事もなかったかのように、また料理を口に運び始めた。でも、その表情には、いつもと違う、どこかぎこちなさが見え隠れしていた。


「クラウスさん?」

「ああ、失礼。少し考え事をしていました」


彼はそう言って、いつも通りの涼しい表情を取り繕おうとした。でも、その笑顔は、なぜかいつもより硬く見えた。


「そうでしたか。お仕事のことですか?」

「ええ、まあ、そんなところです」


その日、クラウスは珍しく、あまり多くを語らずに、少し早めに宿を後にした。いつもなら、経営の話や色んな雑談を交わすのに、その日は必要最低限のやり取りだけで静かに帰っていった。


「なんか、クラウスさん、今日変でしたね」


リナも、その様子に気づいていたようだった。


「うん、そうだね」


なんとなく、胸がざわつくのを感じながら、私はその日の営業を終えた。


数日後、クラウスは再び宿を訪れた。以前とほとんど変わらない、いつもの様子だった。でも、ふとした瞬間に以前とは少し違う空気を感じることがあった。


「クラウスさん、この間なんだか元気なさそうでしたけど大丈夫ですか?」


思い切って聞いてみると、彼は一瞬、驚いたような顔をした。


「そう見えましたか」

「はい。いつもより、口数が少なかった気がして」


彼は少し考えるような間を置いてから、静かに口を開いた。


「正直に言うと、あの時少し動揺していました」

「動揺ですか?」

「ええ。あなたが誰かに告白されたと聞いて、自分でも驚くくらい落ち着かない気持ちになったんです」


その言葉に私は少し驚いた。彼がそんな風に素直な気持ちを口にするのは、珍しいことだった。


「効率や合理性を重んじてきたつもりでしたが、こういう場面では、思ったより単純なんだなと、自分でも意外でした」


そう言って、彼は少し照れくさそうに笑った。


「でも、あなたが宿のことに専念すると決めたなら、それも、あなたらしい選択だと思います」


その言葉には、余計な詮索も、押し付けがましさもなかった。ただ、静かに私の選択を尊重してくれているのが伝わってきた。


「クラウスさんがそんな風に動揺するの、なんだか意外でした」

「私にとっても、意外な発見でした」


そう言って、彼は普段通りの少し涼しい笑みを浮かべた。それでも、その表情には、以前よりも少しだけ柔らかさが混じっている気がした。


「今日もいつもの煮込みを」


「はい、少々お待ちください」


いつも通りのやり取りに戻りながらも、私は、二人の間に流れる空気が、以前とはほんの少しだけ変わったことを感じていた。


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