第15話
食堂スペースが完成してから、しばらく経ったある日。両親が、また改まった様子で私を呼んだ。
「ミーシャ、実はな……」
「ん、また何か話?」
「私たち、そろそろ本格的に引退しようと思ってるんだ」
その言葉に、私は驚いて目を丸くした。
「引退……って、もう?」
「ああ。経営はとっくにお前に任せてる。それに、体力的にもそろそろ一線を退く頃合いだと思ってな」
母さんも隣で、優しく微笑みながら頷いていた。
「これからは、たまに手伝う程度にして、あとはゆっくりさせてもらおうと思ってるの」
正直、寂しさもあった。でも、これまでずっと働き詰めだった両親を思うと、ゆっくりしてほしいという気持ちの方が強かった。
「わかった。ちゃんと、私が支えるから」
「それでな」父さんが続けた。
「食堂も広がったことだし、これを機に、正式に従業員を雇おうと思うんだが、どうだ」
「うん、私もちょうどそれを考えてた」
リナを臨時スタッフではなく、正式に雇う事になったが、厨房と食堂の仕事量を考えると、リナだけでは、正直手が回らなくなってきている。
「まず、宿の掃除や力仕事を任せられる人が欲しいな。客室の掃除、荷物運び、それに畑仕事の力仕事も」
「それなら、市場で知り合った人に、いい人がいるかもしれん」
数日後、父さんの紹介で、一人の男性がやってきた。年齢は三十代半ばくらいだろうか。がっしりした体格で、物腰は落ち着いている。
「はじめまして、ゲオルグと申します」
「よろしくお願いします! ミーシャです」
「以前は、隣街の建設現場で働いていました。力仕事なら、任せてください」
その言葉通り、ゲオルグさんは重い荷物もひょいと持ち上げ、客室の掃除も、テキパキとこなしていった。
「すごい、あっという間ですね」
「体を動かすのは得意なので。それに」
彼は少し照れくさそうに笑った。
「実は、この宿の料理、以前から評判を聞いていて。まかないが楽しみです」
その言葉に、私は思わず嬉しくなった。
「ありがとうございます! 期待に応えられるように頑張ります」
ゲオルグさんは、無口だけど誠実な人柄で、すぐに宿に馴染んでいった。厨房のリナとも、意外と息が合うようで、二人で息の合った連携を見せることも増えていった。
「ゲオルグさん、そっちの荷物、こっちに運んでもらえます?」
「ああ、了解した」
「ありがとうございます! 助かります」
てきぱきとした二人のやり取りを見ながら、私は密かに、いいチームになってきているのを感じていた。
一方、食堂の方の人手も必要だった。特に、日中のランチタイムは客足が集中して、リナ一人ではとても回しきれない。ある日、市場でよく顔を合わせるご近所のおばさんに、思い切って声をかけてみることにした。
「あの、ハンナさん。もしよかったら、うちの食堂で働いてもらえませんか。特にランチタイムのあたりを、中心にお願いしたくて」
「え、私が? 」
ハンナさんは少し考えるような顔をしたあと、すぐに嬉しそうな笑顔を見せた。
「実は、子供たちも大きくなって、お昼の時間帯なら家のことも一段落してるのよ。夕方には家に戻りたいから、ランチタイム中心っていうのは、むしろありがたいわ。ぜひやらせてもらいたいよ!」
「本当ですか! ありがとうございます!」
ハンナさんは、宣言通りランチタイムを中心に働いてくれることになった。ちょうどお昼どきの一番忙しい時間帯を任せられるようになり、厨房もぐっと回しやすくなった。子育ての経験を活かして、お客様への気配りもとても上手だった。
「あら、お客さん、お子さん連れなのね。じゃあ、こっちの席の方が過ごしやすいわよ」
そんな風に、細やかな心配りで、お客様からの評判もすぐに良くなっていった。
「ハンナさんがいてくれると、お客様が本当にリラックスしてる感じがしますね」
リナがそう言うと、ハンナさんは照れくさそうに笑った。
「私なんて、大したことしてないのよ。ただ、お客様の様子を見て、ちょっと気を配ってるだけ」
「それが、すごく大事なことだと思います」
私がそう言うと、ハンナさんは嬉しそうに目を細めた。
こうして、少しずつ、宿の体制が新しくなっていった。ゲオルグさんの力仕事、ハンナさんの細やかな接客、リナの明るさと料理の腕。そして、私が全体を取りまとめる。それぞれの得意分野を活かした、新しいチームが出来上がりつつあった。
「なんだか、賑やかになったわね」
ある日、母さんが厨房の様子を眺めながら、しみじみと呟いた。
「うん。みんなのおかげで、すごく助かってる」
「あなたが、ちゃんと人を見る目を持ってるから、いいご縁に恵まれるのよ」
母さんのその言葉に、少し照れくさくなりながらも、確かな誇らしさを感じた。
両親が少しずつ表舞台から退いていく一方で、新しい仲間たちが、宿を支えてくれるようになった。世代交代、というのは、こういう風に、少しずつ進んでいくものなのかもしれない。
その夜、静かになった厨房で、私は一人、これまでの日々を振り返っていた。六歳の日から始まった長い道のり。両親と一緒に歩んできた日々。そして今、新しい仲間たちと一緒に、次の章を歩み始めている。
窓の外、月明かりに照らされた畑と、新しく建った食堂スペースを見つめながら、私は静かに深呼吸をした。
(これからも、この宿を、もっと温かい場所にしていこう)
そんな決意を胸に、私はそっと厨房の灯りを消した。




