第14話
女将になって数週間。少しずつ、その肩書きにも慣れてきた頃だった。
「ミーシャさん、ちょっといいですか」
ある朝、リナが真剣な顔で話しかけてきた。
「どうしたの?」
「最近、お客さんじゃない街の人たちからも、『ここのご飯、食べられないの?』って聞かれること、結構あるんです」
「え、そうなの?」
「はい。宿泊しなくても、食事だけ食べたいっていう人、意外と多いみたいで」
その話を聞いて、私の中で何かが繋がった気がした。
(そうか……食堂を、宿泊客だけじゃなくて、街の人にも開放してみたらどうだろう)
前世の記憶にある、地域に開かれた食堂の在り方が、頭の中でぱっと浮かんだ。宿泊施設としての機能と、街の人が気軽に立ち寄れる食堂としての機能。両方を兼ね備えることができれば、もっと多くの人に、この味を届けられるかもしれない。
その日の夜、両親に相談してみることにした。
「食堂の一部を、宿泊客じゃない街の人にも開放したいと思ってるの」
「それは……大きな決断だな」
父さんは少し驚いた顔をしたけど、反対はしなかった。
「お前がそう思うなら、やってみたらいい。もう、経営の判断は、お前に任せたんだからな」
その言葉に、背中を押されるような気持ちになった。
「ただ」母さんが付け加えた。
「今の厨房の規模で、両方に対応できるかしら」
「そこは、ちょっと考えないとね」
確かに、現状の厨房の広さと人手では、宿泊客の食事に加えて、街の人向けの食堂営業まで対応するのは、かなり厳しい。
(じゃあ、あの畑の隣のスペース……)
ふと、頭に浮かんだのは、畑の一角にある、まだ使われていない空間だった。あそこに、小さな食堂スペースを新しく作れないだろうか。
数日後、私はその構想を具体的な計画にまとめて、改めて両親に提案した。
「畑の隣に、小さな食堂を作りたいの。宿泊客の食事は今まで通り宿の食堂で。街の人向けには、畑を眺めながら食事ができる、新しいスペースを作る」
「なるほどな」
父さんは、私が描いた簡単な設計図を眺めながら、興味深そうに頷いた。
「予算的には、少し厳しいところもあるが……。よし、やってみよう」
「本当に!?」
「ああ。お前がこれまで積み重ねてきた信頼があれば、きっとうまくいく」
その言葉に、胸が熱くなった。
計画が動き出すと、リナも積極的に手伝ってくれた。
「私、内装のアイデアとか、色々考えてみますね!」
「ありがとう、リナ! 頼りにしてる」
「任せてください! ミーシャさんの右腕として、頑張ります!」
胸を張るリナの姿に、思わず笑ってしまう。彼女の存在が、いつの間にか、私にとってなくてはならないものになっていた。
工事が始まると、街の人たちも興味津々で様子を見に来てくれた。
「へえ、こんなものができるのか」
「ミーシャちゃんが女将になってから、色々変わっていくねえ」
好奇心と期待の入り混じった視線に、私は身の引き締まる思いだった。
ある日、その様子を見ていたクラウスが、ふらりと立ち寄った。
「新しい試みですね」
「はい。街の人にも、うちの味をもっと気軽に楽しんでもらいたくて」
「面白いアイデアだと思います。ただ、採算面はしっかり計算しましたか?」
相変わらずの率直な指摘に、私は思わず苦笑した。
「もちろん。初期投資は少しかかりますけど、長期的には十分回収できる計算です」
「なるほど、抜かりないですね」
彼は感心したように頷きながら、工事中のスペースを眺めていた。
「私も、少し協力させてもらってもいいですか」
「え?」
「内装や設備について、うちが取引している業者を紹介できます。効率的な厨房レイアウトの知見も、多少はお役に立てるかもしれません」
その申し出に、私は少し驚きながらも、素直に嬉しかった。
「ありがとうございます。ぜひ、お願いします」
こうして、クラウスの協力も得ながら、新しい食堂スペースの計画は着実に進んでいった。
数週間後、ついに小さな食堂スペースが完成した。畑を眺めながら食事ができる、開放的な作り。木の温もりを活かした内装は、リナのアイデアがふんだんに盛り込まれている。
「わあ!すごく素敵!」
完成したスペースを見て、リナが感激したように声を上げた。
「うん、本当に。みんなのおかげだね」
窓の外に広がる畑を眺めながら、私は静かに胸がいっぱいになるのを感じていた。六歳のあの日、廊下で両親の会話を盗み聞きした時から始まった、長い道のり。それが今、こんな形で実を結んでいる。
「これで、また新しい一歩を踏み出せますね」
隣に立ったクラウスが、静かにそう呟いた。
「はい。クラウスさんにも、たくさん助けてもらいました」
「いえ、これは私にとっても、良い経験になりました」
そう言って微笑む彼の横顔を見ながら、私はふと、これからの日々に、確かな期待を抱いている自分に気づいた。
まだこれから、色んなことが待っているだろう。それでも、この場所で、この人たちと一緒に、また新しい何かを築いていける。そんな予感が、胸いっぱいに広がっていた。




