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やすらぎ亭の女将さん  作者: 篠原 千鶴


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第12話


新しい仕入れ先のおかげで、経営はだいぶ落ち着きを取り戻していた。臨時スタッフのリナも、すっかり厨房に欠かせない存在になっている。


「ミーシャさん、今日もクラウス様が来てますよ」


リナが厨房の入り口からひょこっと顔を出して、からかうような声で教えてくれた。


「え、そうなの?」

「はい。なんか、最近よく来ますよね、あの人」


意味深な視線を向けられて、私は思わず目を逸らした。


「べ、別に、経営の相談とかで来てるだけだよ」

「ふーん」


リナはにやにやしながら、それ以上は追及してこなかった。


食堂に出てみると、確かにいつもの席にクラウスが座っていた。


「いらっしゃいませ」

「今日も繁盛していますね」


彼はメニュー表を眺めながら、いつもの涼しい表情で言った。


「おかげさまで。今日は、視察ですか? それとも」

「今日は、純粋に食事です。それと、少し相談したいこともあって」

「相談?」

「ええ。実は、うちの宿でも、あなたのやり方を少し取り入れてみようかと思っていまして」


その言葉に、私は思わず目を丸くした。


「クラウスさんのところが、うちのやり方を?」

「正直、意外に思われるでしょうね。私自身、少し驚いています」


彼は少し照れくさそうに、それでも真剣な表情で続けた。


「先日、父と話す機会がありました。宿の今後の方向性について。その中で、私は初めて、自分の意見をはっきり言いました」

「どんなことを?」

「効率だけを追求するのではなく、お客様に"帰りたくなる場所"を提供することも大切なのではないか、と」


その言葉に、胸が熱くなった。彼が、私との会話や、うちの宿を通して、何かを感じ取ってくれていたことが、素直に嬉しかった。


「父は、最初は難色を示しました。うちのブランドは、格式と洗練さで成り立っていると。でも……」

「でも?」

「最終的には、小規模な試みから始めることを許してくれました。宿の一角に少し親しみやすい雰囲気の食堂スペースを作ろうかと」

「それ、素敵だと思います!」


思わず前のめりになって言うと、クラウスは少し驚いたような、それでいて嬉しそうな顔をした。


「あなたにそう言ってもらえると、心強いです」


その日以降、クラウスは以前にも増して頻繁に宿を訪れるようになった。時には、経営の相談をしに。時には、純粋に食事をしに。


「この盛り付け、ちょっと変えてみたんですけど、どう思いますか?」


ある日、私は新しく考えた盛り付けを、彼に見せてみた。


「見た目の美しさも意識されていますね。率直に言って、素晴らしいと思います」

「本当ですか! よかった」

「ただ、この配置だと、少し食べにくいかもしれません。こちら側から食べ始める動線を考えると……」


彼はそう言いながら、皿の上の配置を指差して、具体的な改善案を出してくれた。


「なるほど。確かに」


効率と合理性を重んじる彼の視点は、私では気づけない部分を的確に指摘してくれる。逆に、私の"温かさ"を重視するやり方も、少しずつ彼の考え方に影響を与えているようだった。


「クラウスさんと話してると、いつも新しい発見があります」

「それは、私も同じです。あなたと話していると、数字だけでは測れない価値の存在を実感させられます」


そう言って微笑む彼の表情は、以前よりもずっと柔らかくなっていた。




「ミーシャさん、なんか今日、二人とも楽しそうですね」


厨房から戻ってきたリナが、にやにやしながらそう言った。


「な、なに言ってるの」

「いやいや、傍から見てるとよくわかりますよ。ねえ?」


リナに冷やかされて、私は思わず頬が熱くなるのを感じた。


「別に、そういうんじゃ」

「そういうんじゃ、何ですか?」


隣で聞いていたクラウスまで、面白そうに口を挟んでくる。


「な、なんでもないです!」


慌てて厨房に逃げ込む私を見て、二人が楽しそうに笑っているのが聞こえた。


その夜、日記を書きながら、私はしみじみと思った。効率と温かさ、対照的な価値観を持っていた私たちが、少しずつお互いを理解し合い、影響を与え合っている。それは、経営者としても、一人の人間としても、とても貴重な関係のように感じられた。


(クラウスさんと話すの、楽しいな……)


ふと浮かんだその感情に、少し戸惑いながらも、悪くない気持ちだと素直に思えた。


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