第11話
繁忙期が近づいてきた、ある日のことだった。
「ミーシャ、大変だ」
父さんが、青ざめた顔で仕入れ先から戻ってきた。
「どうしたの?」
「いつもの仕入れ先が、値上げすると言ってきた。しかも、結構な幅だ」
見せてもらった新しい価格表を見て、私は思わず息を呑んだ。特に、看板メニューに欠かせない香辛料の価格が大きく跳ね上がっている。
「どうして急に」
「隣街の高級宿が、大量に買い占めてるらしくてな。需要が増えて、価格が上がったんだと」
その言葉に、胸がざわついた。まさか、クラウスのところが直接関係しているんだろうか。いや、彼自身がそうしろと指示したわけじではないだろうけど、経営規模の違いが、こういう形で影響してくるとは思わなかった。
「このままだと、利益率がかなり厳しくなる……」
帳簿を睨みながら、私は必死に頭を回転させた。前世の美沙が、コスト削減のために何度も知恵を絞った記憶が蘇る。
(代替できる食材はないか。仕入れ先を分散できないか。それとも……)
その日から、私は仕入れ先を新たに開拓するために、街中を歩き回った。市場のあちこちを回って、価格や品質を比較する。時には、遠くの村まで足を伸ばして、直接農家と交渉することもあった。
「うちの野菜、買ってくれるのかい?」
ある小さな村で出会った農家のおばあさんが、驚いたような顔で聞いてきた。
「はい、ぜひ。とても美味しそうなので」
「こんな辺鄙な村まで、わざわざ来てくれるなんてね」
そう言って、おばあさんは笑いながら、格安の価格で野菜を分けてくれることになった。
同時に、繁忙期に向けて人手不足の問題も深刻化していた。家族三人だけでは、増え続けるお客様への対応が、正直かなり厳しくなってきている。
「誰か、手伝ってくれる人を雇うべきかもな」
父さんがそう提案してくれたけど、経営状況を考えると、簡単に人件費を増やすわけにもいかない。
(うーん……どうすればいいかな)
悩みながら畑仕事をしていると、ふと、以前苗を分けてもらった農家をしていたおじさんが通りかかった。
「ミーシャちゃん、なんか悩んでるみたいだな」
「あ、実は……」
事情を話すと、おじさんは少し考えたあと、こんな提案をしてくれた。
「うちの娘、そろそろ働き口を探してるんだが、どうだ。繁忙期だけでも、手伝わせてみないか」
「本当ですか!」
思いがけない申し出に、私は思わず声を弾ませた。
「ああ。料理も好きだし、真面目な子だ。きっと役に立つと思うぞ」
こうして、繁忙期だけの臨時スタッフとして、その農家の娘さんに手伝ってもらえることになった。名前はリナ、私より一つ年上だという。まだ他人を雇うのは初めてのことで、緊張もあったけど、彼女は本当に真面目に、丁寧に仕事を覚えてくれた。
「ミーシャさん、この盛り付け、こんな感じで合ってますか?」
初日、リナはおずおずと私に確認しながら、一つ一つ丁寧に作業を進めていった。
「うん、すごくいい! センスあるね」
「本当ですか? よかった。実は緊張しちゃって」
はにかむように笑う彼女は、見た目よりずっと表情豊かで、すぐに厨房に馴染んでいった。
「リナさんは、料理好きなの?」
「はい! 家でもよく手伝ってて。でも、こんな風にちゃんとしたお店の厨房に立つのは初めてなので、勉強させてもらってます」
働き始めて数日も経つと、リナはすっかり厨房の一員のようになっていた。
「ミーシャさん、この野菜、切り方これでいいですか? あと、さっきのお客様が追加でパン頼まれたので、今持っていきますね!」
てきぱきと動きながら次々と状況を報告してくれる彼女のおかげで、厨房の回転が格段に良くなった。
「リナさんがいてくれて、本当に助かってる」
「そんな、私こそ! こんな美味しい料理の作り方、間近で見れて嬉しいです。あ、そういえば、さっきのお客様が『ここの煮込み、本当に美味しいね』って言ってましたよ。私まで嬉しくなっちゃいました」
そう言って笑うリナを見ていると、こちらまで元気をもらえる気がした。忙しい毎日の中で、彼女の明るいおしゃべりが、ちょっとした息抜きになっていた。
「ねえミーシャさん、聞いてもいいですか? どうしてこんなに料理が上手なんですか? まだ十六歳なのに、まるで何十年もやってるみたいで」
不意にそう聞かれて、私は思わずどきりとした。
「あはは……えっと、昔から、なんとなく感覚でわかっちゃうというか」
「才能なんですね、きっと! 羨ましいです」
誤魔化すような答えにも、リナは素直に納得してくれた。その屈託のなさに、ほっと胸を撫で下ろす。
数週間後、そんな慌ただしい日々の中、クラウスが久しぶりに宿を訪れた。
「最近、忙しそうですね」
食堂の様子を見て、彼はそう言った。
「はい、おかげさまで。でも正直、色々大変なことも重なってます」
思わず本音がこぼれた。
「仕入れ値の高騰とか、人手不足とか。ちゃんと経営者としてやっていけるのか、不安になることもあります」
自分でも、こんなに素直に弱音を吐くとは思わなかった。でも、なぜかクラウスの前だと、変に取り繕う必要がない気がした。
「仕入れ値の高騰って、もしかして、香辛料の件ですか?」
「え、知ってるんですか?」
「ええ。実は、うちの父が大量に買い占めるよう指示したと聞いています。申し訳ありません。私の意図ではないのですが」
その言葉に、私は少し驚いた。彼が謝る必要なんてないのに。
「クラウスさんが謝ることじゃないですよ。それに、おかげで新しい仕入れ先も見つかりましたし、結果的には悪くなかったです」
「たくましいですね、あなたは」
彼は感心したように微笑んだ。
「実は、一つ提案があります」
「提案?」
「うちが契約している仕入れ先の一つを、紹介できるかもしれません。うちほどの量は必要ないでしょうが、価格交渉には応じてもらえると思います」
思いがけない申し出に、私は少し戸惑った。
「いいんですか? ライバルの私を助けて」
「ライバルだからこそです」
クラウスは真っ直ぐに私を見つめた。
「あなたが苦しい状況で潰れてしまうより、切磋琢磨できる相手でいてもらう方が、私にとっても有意義ですから」
その言葉に、胸の奥が温かくなるのを感じた。効率と合理性を重んじる彼らしい理由づけだったけど、そこには確かな誠意も感じられた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいます」
こうして、クラウスの紹介で、新しい仕入れ先とも縁を持つことができた。以前よりも安定した価格で、必要な食材を確保できるようになり、経営面での不安が、少しずつ和らいでいった。
その日の夜、日記を書きながら、私はしみじみと思った。一人で全部抱え込まなくてもいい。周りの人に頼ることも、時には大切だ。前世の美沙は、そのことになかなか気づけなかった。何でも自分で抱え込んで、疲弊していった日々。今の私は、少しずつだけど、人に頼ることも覚えつつある。
窓の外、静かな夜の畑を見つめながら、私はクラウスの言葉を思い返していた。
――切磋琢磨できる相手。
その言葉が嬉しくて、同時にどこかくすぐったい気持ちにさせた。




