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いとけなき魔女と噓つき少女  作者: 森須 樹


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第5話 気持ち悪い 前編

1


 舞踏教師に手を引かれ、掛け声に合わせて足を運ぶ。広間の滑らかな石床が微かに擦れ、靴音を立てる。

 幼い頃から何度も繰り返したステップが、今日は重い。教師のリードより微かに遅れているのを自覚する。

 わかっていても、追いつく気にはならない。

 

「止まりなさい」


 足を止め、撥ねつけるように教師が言う。

 私が気づいていることが、彼女に気づかれないはずはなかった。


「自分でもわかっていますね?遅れていますよ」

「……はい」

「今の貴女からは熱意が感じられません。昔はあんなに……」


 教師は言葉を切り、ため息をついた。

 普段なら教師の目を見上げて教えを乞い、ひたむきに舞踏へ向き合う様を演じるだろう。それでも今日は、ただ目を伏せていた。


「今日はここまでにしましょう。すこし頭を冷やしなさい」


 教師が広間を出るのを待ち、私も庭園に出た。

 今日も空は明るく、額にうっすらと浮かんだ汗を秋の風が吹き流した。


 昔はあんなに、か。

 

 あの教師は私が自分の出生について知る前からの付き合いで、確かにあの頃は熱意があったのだと思う。

 今はそんなもの、あるはずがない。それを上手く隠しているつもりではいたけれど、専門家の目には明らかだったようだ。

 

 かつては両親のために、この家の益となるような"良縁"を掴もうとしていた。舞踏はそのための武器のひとつ。

 けれどもうそんな殊勝な想いは消えてしまったし、それでも良縁は向こうから転がり込んできた。

 結局、私が何をしようと結果は同じだったのだ。

 

 ため息をひとつついて、窓越しに食堂の柱時計を見ると、まだ正午前だった。

 このまま昼食に出ると、父と顔を合わせることになるだろう。それを思うと憂鬱で、踵を返して庭園を歩き出した。

 別に、教師に叱られたとしても父にそれを咎められるわけではない。ただ……なんとなく両親の顔を見たくなかった。

 「両親のために努力する自分」という過去を突き付けられたあとに、当人たちを見たくない。そんなところだろうか。

 

 今までは同じようなことがあっても、ただ自分を仮面の奥に閉じ込めることができた。何があっても適切な言葉を選び、適切な態度をとることができたはず。

 教師の前でも同じだ。熱意などなくても、「ある振り」をすることができた。

 それはたぶん、逃げ場がなかったからだ。嫌なことがあっても、ただここにいるしかないから。

 

 けれど今の私は、逃げ場を手に入れてしまった。

 町で恐れられる、魔女の棲み処。当の魔女いわく、そこを逃げ場にしてもよいという。

 ただの人間が安全な家を抜け出して魔女の家に赴くなんて正気の沙汰ではないけれど、今の私にとって彼女のもとは家よりもいくらかましな場所だ。 

 どうやら、私は正気ではないらしい。

 

 庭園を生垣に沿って歩いてゆくと、厨房に繋がる通用口がある。

 他より簡素な扉を開くと、昼食の支度をしていたらしい料理人たちが私に気づいて頭を下げた。

 

「ご苦労様。外出するから昼食はいらないわ。外で軽く食べられるものを用意してくれるかしら」


 2


 以前イネスに送ってもらったときの道程を辿り、彼女の家に着いた。まだ森歩きには慣れないけれど、それでも30分もかからなかった。

 今日は悪路に適したブーツを履いてきたのも大きいだろう。腕に提げたバスケットも、さほど負担にはならない。

 扉をノックしたけれど、重い樫のそれは小さく硬質な音を立てただけで、中まで聞こえたとは思えない。

 仕方なく、大きな声を出して呼び掛けた。


「エステルです。いらっしゃいますか」


 中から、何かが倒れるような音がした。

 間を置かずに扉が開く。

 

「……来たのか」

「こんにちは。ご迷惑でしたか?」

「いや。入れ」


 彼女に従って中に入る。

 以前服を直してもらった食卓に──なぜか椅子が倒れていたので戻し──バスケットを置いた。


「お昼がまだでしたら、ご一緒しませんか?」


 服を直してもらった礼も兼ねてのことだ。提案すると、イネスは黙って食卓についた。

 バスケットの中にぴったり収まった布の包みをほどくと、パンと塩気のある香りがふわりと広がる。料理人が持たせてくれたのは、丸いパンに葉物の野菜と肉を挟んだものだ。

 

「この……丸いのは何だ?挟まってるものはわかるが」

「パン、といいます。手で持って食べるんですよ」

「パンって、これのことなのか。手で……」


 そうか……この家と森の中だけで生活しているのなら、見たことがなくても無理はない。

 仮に小麦を育てられたとしても、人里と関わらずにパンを焼くのは難しいだろう。

 イネスはおそるおそるパンを掴み、口に運ぶ。

 ひと口目は味を確かめるように小さく、ふた口目で半分近くを齧り取ると、ぱちぱちとまばたきをした。


「貴族というのは、こんなものを毎日食べてるのか」

 

 読みにくい表情を読み取るに、お気に召したようだ。

 どちらかといえば貴族が好んで食する類のものではないけれど、家の外に持ち出してふたりで食べるならこういうものがいいだろう。


 4つあるうち、3つをイネスに譲った。彼女の食事量は私の食の細さと都合よく一致したようだった。整った顔立ちで冷たく見える彼女が次々とパンを平らげてゆくのは、見ていてどこか爽快だ。

 食後、イネスはハーブティーらしきものを淹れてくれた。馴染みのない香りがしたけれど、味も含めて私の好みだ。


 しばらく、静かな時間が流れた。

 お茶の効能だろうか、自室にいるような落ち着いた心地だ。

 仄かに眠気すら感じてきた頃、イネスが口を開いた。 

 

「……今日、来た理由は?」

「舞踏の先生に叱られて、嫌になって出てきたんです」


 言葉にすると、馬鹿馬鹿しいほど幼稚な経緯だった。

 イネスは笑わない。


「舞踏……本で読んだことがある。楽しいのか?」

「そういう人もいるでしょうけれど……私はそうは思いません」

「楽しくないならなぜやっている?」


 本気でわけがわからない、という顔をしている。

 彼女がこの森でどう生きているのかは知らないけれど、やりたくないことはしない生活、なのだろうか。

 知りもしないことに対して気が引けることではあるけれど、羨ましいと思ってしまう。

 

「ひと言で言うなら……家のためです。両親と弟のため」

「だが、親は嫌いなんだろう」

「そうですね……だから、つまらないんです。家ですることは何もかも」 

「そんなに嫌なら逃げればいい」


 簡単に言ってくれる……

 私も彼女の生活を羨ましく思ったのだから、お互い様ではあるけれど。

 

「そういうわけには……」

「なぜ?」

「ひとりで生きていくのは難しいもの。特に女には」

「わたしは女で、ひとりで生きているが」

「貴方は魔法が使えるから……」

「わたしも魔法は使わない。普段使っているのは魔術だけだ」


 どうもそのふたつが違うものらしいというのは、以前本で読んだ。

 どこが違うのか、についても書かれていた気がするけれど、よく理解できなかった。


「魔術も使えません。私は、ただの人間ですもの」

「誰にでも使えるのが魔術だ。そこが魔法と違う」

「そうなのですか……」


 言われてみれば、あの本に書かれていた内容はそういうことなのかもしれない。

 ひとり考えていると、イネスはなにかもどかしそうにこちらを見ていた。


「ああ。誰にでも……」


 何度かの遭遇を経て、彼女についていくつかわかったことがある。例えば、"先生"という人から教わった魔術に誇りを持っていること。

 それを踏まえると、ひとつ立てられる予想があった。

 ……魔術を教えたい、とか?

 有り得ないと思いつつ、探りを入れてみることにした。


「例えば、私にも使えますか?」

「ああ、良き師がいればな」


 師という言葉を自分で口にした瞬間、イネスはますます目を輝かせる。


「わたしなら、教えられるが」

 

 彼女はちらちらとこちらに目を遣ったり、窓の外を見たりを繰り返している。

 ……当たってた? 

 このまま話の流れに身を任せていると、弟子にされてしまう気がする。

 

 魔女の弟子。いつかガルニエ伯に刺された釘が、にわかに杞憂ではなくなってきた。

 ただ、魔術には興味がある。無知故かもしれないけれど、扱えるようになれば別の生き方が選べるような気がする。

 血統でも、父の権力でもない自分の価値を使った生き方を。

 

 それに……今の彼女の眼を見ていると、言うことを聞かなければならない気がしてくる。父や貴族たちから感じるものとはまた違う、自らそうしたいと思わせる何かがあった。


「では……今日だけ、私の師になっていただけますか?」


 観念して教えを乞うと、イネスは満足気に頷いた。



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