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いとけなき魔女と噓つき少女  作者: 森須 樹


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第8話 ずっとひとりで 後編

3


「じゃあ、またね」

「ああ……」


 叶うならばずっとここにいたいけれど、そういうわけにはいかない。……少なくとも、今は。

 外まで見送ってくれたイネスに別れを告げて家路につく。

 ……はずだったけれど、家から数歩歩いたところで異変に気付いた。


「貴方……どうしてついてきてるの」


 あの黒い狼が、堂々と背後を歩いていた。

 家を見ると、イネスもまだドアの前からこちらを見ている。


 私はイネスのところまで戻り、黙って見つめる。

 すると彼女は俯いて、小声でつぶやきはじめる。


「ずっと考えていた。お前は毎日来られるわけじゃないし、わたしは森を出られないし、だから……」

「この子を、貴方だと思って可愛がればいいのね」


 イネスは、下を向いたまま頷く。帽子のつばで表情は見えないけれど、真っ赤になっていることは想像がついた。

 この子のこういうところに、私は弱い。


「そうしたいところだけれど……」

「ダメ、か?」

「見た目が嫌。私たちが出会ったときのこと、忘れた?」

「……あ」


 イネスの表情が固まる。

 出会ったとき、私は狼に襲われて死にかけていたのだ。使い魔だとわかっているとはいえ、そばに狼がいて落ち着くはずがない。

 たぶんイネスに悪気はなくて、ただなんとなく……私と併せて印象に残っていた狼の姿にしただけなのだろう。


「ごめっ……すまん、忘れていたわけじゃなくて、本当に──」

「わかってるわ。気にしないで」

「……じゃあ……姿を変えればいいか?」

「ええ。そうしましょう」


 イネスは狼に手をかざし──また私に向き直った。


「どんなのにすればいい?」

「えっ、そう言われても……かわいい感じ?」

「それこそわからん。お前が作ってくれ」


 そう言うと、イネスは私の手を取って狼の頭に押し付ける。

 二人分の掌を乗せられた狼は小さくくしゃみをして、それでも大人しくしている。


「作り方なんてわからないわ。魔術の勉強はまだ始めたばかりだし」

「姿を思い浮かべてくれればいい。わたしがそれを、こう……いい感じに編んで流し込む」

「いい感じに……」


 ひどく感覚的な言い方だけれど、ちゃんと説明されてもわからないだろうから深掘りはしない。

 目を瞑って、とりあえず考え始めてみる。

 狼は嫌だけれど、まったく別の生き物に変えてしまうのもしのびない。仔犬とかなら、今の面影を残しつつ怖くなくなるだろうか。

 ふわふわで目が丸い、黒い仔犬の姿を思い描いてみる。


 イメージが固まると、胸の奥に覚えのある感覚が迫ってきた。これは──魂に触れられる感覚だ。

 イネスの方を見ると、彼女もこちらの顔を窺っていた。さっきと同じように、顔が固まっている。


「……いいよ」


 言葉少なに許すと、おずおずとイネスの触手が魂に這い寄る。この前とは打って変わって、くすぐるような意地悪さはなく、探るような気遣いが感じられた。

 ……やっぱり、あのときはわざとやってたのね、この子。意味がわかっていないのは本当だろうけれど。


 潮が引くように、足早に触手が去る。

 今回の触れ方でも微かに暑さを感じていた私は、静かに息を吐き出した。


「できた」


 簡潔な報告を受けて目を開くと、狼の頭に置いていた手はいつの間にか宙を撫でていて、その下には黒い仔犬がいた。

 いや、狼かも?仔犬ではあまり区別がつかない。

 ただ……可愛い。この子が近くにいても怖くない。そう思えるだけで十分だった。


「名前は?」

「そうね……貴方は何か案、ある?」

「あるが、とても長くて普段使うようなものじゃない。お前が決めてくれ」


 変な口ぶりだ。名前に関しても、なにか魔術師特有の風習があるのかもしれない。

 名前……今まで何かに名前をつけたことがない。家では動物を飼ったことがなかった。

 よく聞く話では、毛色をもとにした名前が多いとか。この子の毛色も珍しい。


「……クル」

「それが名前か?」

「昔の……すごく昔の言葉で、"黒"って意味らしいの」


 それくらいしか思いつかなかった。黒いから、黒。言語を変えることで、それをすこしひねっただけだ。

 けれどイネスはしきりに頷いている。


「わたしは気に入った」

「そう……?」

「その言葉をわたしは知らない。お前に聞かなければ知らなかったことだ。だから、いい」


 共感できるような、できないような……けれど、とにかく熱のこもった言葉だった。

 私の方も、いつかきっとこの名に愛着を持てるようになるだろう。名前とは、そういうものだと思う。


「クル」


 しゃがみ込んで、つけたばかりの名を呼んだ。遊びたい盛りの仔犬に姿を変えてなお、律儀にお座りをしている。

 よく見ると、前脚に鋏が突き刺さった痕が残っていた。どういう理屈で生まれてきた存在なのかはわからないけれど……私の中に、あのときの印象が刻み込まれていたからだろうか。

 私はそれを、できる限り優しく撫でる。


「私を、許してくれる?」


 傷痕を撫でる私の手を、仔犬は小さな舌で舐めた。

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