第8話 ずっとひとりで 前編
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その日、森の家で私を迎えたイネスは特に機嫌が悪かった。
「久しぶり」
「本当にな」
声が刺々しい。彼女から嫌味が出るというのも珍しかった。誰かから影響を受けたとすれば、私かもしれない。
本当に久しぶりだった。
都合がつく日は必ずここへ来るようになっていたから、今回のように数週間も顔を合わせないことはそうない。
「町にもいなかった」
「え?ええ。しばらく王都まで出ていたから。王の即位記念式典で」
「即位……よくわからないが、なぜお前が行く必要がある」
「一応、私も領主の娘だから……ごめんなさい」
事前に伝えられればよかったのだけれど、出発の前日に突然同行するように命じられたのだ。
断ろうにも、王都に招かれることは"貴族の娘"としては名誉に思って然るべきことだ。そう演じなければならない。
今を好きに生きると決めはしたけれど、それができるだけ長く続くようにはしたい。
「鬱陶しいな」
イネスは珍しく、わかりやすく顔を顰める。
いや、最近はさほど珍しくはなかった。あの大喧嘩以来、彼女の表情はかなり豊かになったと思う。あるいは、私が彼女の表情を読み取れるようになったからか。
「私も寂しかったわ」
そう言って自分よりだいぶ高い頬に触れると、彼女は静かになる。見つめていると、眉間に寄った皺は和らいでゆく。
そのままイネスの手を引いて、テーブルについた。
もう昼食の時間はだいぶ過ぎていたので、今日のパンはなし。
「町にいなかったって言ったけれど、どうして知ってるの?町に来た?」
「わたしは森から出られない。使い魔を送っただけだ」
使い魔……あの黒い狼だろう。
つきまとわれていた理由に、ようやく得心がいった。
あの狼を通して、イネスは私を見ていたのだ。
「森に出られないって前にも言っていたわね。どうして?」
ずっと気になっていたことだった。それこそ初めて会った日から。
今なら訊いてもいいだろう、という時機をずっと待っていた。それを訊いても許される関係になるのを。
「先生に言われたんだ。出ないようにと」
「それは……何か理由があるの?」
外の人間が魔女をどう思っているかを考えると、"先生"がイネスを人と関わらせたがらなかったのも無理はない。
ただ、そもそも今は多くの魔女や妖魔憑きが大学に通っている。彼女がそうしない理由がわからない。
「先生は……最期まで教えてくれなかった。わたしにはまだ早いと」
早いといっても、死んでしまっては教えられないのではないか。
そんな不躾な言葉を頭の中で柔らかく加工しているうちに、イネスは続ける。
「理由はこの本に書いてある。時が来たら読めと言われた」
イネスは肩から帯で提げた本に手を置く。
初めて出会ったときから、いつも欠かさず手元に置いている本だ。
「時って、いつ?」
「……あるものを、わたしが見つけられたときだと聞いている」
歯切れの悪さから、それを口にしたくないことが伝わってくる。
でも訊く。
少し前までなら引き下がっていただろうけれど、今の私は訊ける。
「あるものって何?」
「……」
「何?」
「……たからもの……と言っていた」
宝物。
その子どもっぽい単語に、何を言えばいいものかわからず黙ってしまった。
私の沈黙をどう解釈したのか、イネスの顔がどんどん赤みを帯びてゆく。
「なんだ……はっきり言え」
「どうしてそんな言い方をしたのかしら」
「知らない!言ったのは先生だ!」
むきになって、拗ねたような声を出すイネス。
何か勘違いしていそうだけれど、別に笑うつもりはない。
「馬鹿にして……最近のお前はいつもこうだ」
どうも最近の私の態度がよくないらしい。
出会ったばかりの頃と比べれば、彼女をからかったり率直にものを言うことが増えたのは確かだ。
「馬鹿になんかしてないわ」
宥めるように言って、イネスの頭を撫でる。
一度こうしてから、彼女はあの巨大なとんがり帽子を脱いで過ごすようになった。
私が撫でたがるから配慮してくれているのか、あるいは気に入ったのかもしれない。
「見つけられるといいわね」
隠されていたことを、知る準備が整う条件。
それって、たぶん──
言いかけたけれど、やめた。
この推測が正しいとすれば、彼女が自分で気づかないと意味がないと思うから。
だから、ただ静かに願った。
彼女が"たからもの"を見つけたとき、そばにいるのが私ひとりであることを。




