帝との邂逅(1)
帝は嘉都の北にある宮城に住んでいる。
宮城は深い堀に囲まれていて、その敷地は海に浮かぶ楕円の島のような形である。
堀にかかる橋を渡れば、まっすぐな道があり、車は道をゆっくりと進む。
道の周囲は木々が密に茂っていて、鬱蒼とした森に囲まれた神域のようだ。
「もうすぐ到着いたします」
ずっと沈黙していた運転手の言葉に、澪の緊張はぐんと高まった。
「帝とお会いするときに気をつけたほうがいいことはありますか?」
澪の質問に、煌貴は肩をすくめた。
「特にない。澪は礼儀正しいから、いつものようにしていればいい」
「本当ですか? 贔屓目でなく?」
ついそうたずねてしまうのは、煌貴はどうにも澪に甘い気がするからだ。
「贔屓目じゃない。本当のことだから」
「……わかりました」
澪は胸に手を当ててうつむく。
――失礼のないようにしなきゃ。
帝はこの国でもっとも尊貴な存在だ。国を統治しているだけでなく、護国四家を統制できるのは、帝だけだからだ。
心臓が音を立てて鳴っている。指が自然と震えてしまう。
森を抜けた車は平屋の建物に近づいていく。
銅板葺きの屋根に覆われた建物は漆喰で白く塗られ、檜皮色の柱と相まって趣がある。
車は建物の脇にあるお車寄せで停まった。
扉が外から開かれる。着物の裾に気をつけながら降りると、そこには雑面をつけ、立ち烏帽子に狩衣を身に着けた人間が控えていた。どうやら扉を開けてくれたのは彼らしい。
「ありがとうございます」
お礼を告げるが、返事をしない。黙然と立つ姿に、さては式神かと疑ってしまう。
「澪、行こう」
「はい」
ふたりは草履を脱ぐと、先導する雑面の男に続いてお車寄せの階をのぼり、建物に入る。
障子で外と隔てられた室内は薄暗い。空気はひんやりとして寒々しかった。
――なんだか、ここは違う。
外の世界とは違う空気が流れている。奥に行けば行くほど清浄になるようだ。
煌貴のあとを静々とついていく。帝のもとへは何度も通っているのか、煌貴の歩みには、まったく迷う様子がない。悠々と歩いていく背は広く、頼もしい。
煌貴の背を眺めているうちに、肩から少しだけ力が抜けていくのを感じる。彼がそばにいれば、不安が消えていくようだ。
長い廊下が続いた先には、庭が見える部屋があった。部屋と廊下を隔てる襖には東西南北を守護する四神――青龍・白虎・朱雀・玄武の絵が威厳を保って描かれている。庭は白い砂利がしきつめられ、砂利を掃くことで五芒星が描かれていた。
――きっと結界だわ。
ここが清らかな空気で満たされているのは、結界が幾重にも張られているからだろう。
身が引き締まる思いでいると、先導していた雑面の男が両膝をついて襖を開ける。部屋に入る煌貴のあとを追って足を踏み入れる。真新しい畳が放つ香りが清々しい。
とうとつに、ぷおーんと笙の音が鳴りだした。
「ようこそ、都へ!」
「ようこそ、帝のもとへ!」
唱和しているのは部屋の端に控えた楽人たちだ。楽人たちはみな雑面をつけており、中には楽器を手にしている者もいる。
笙がぷおぷおと鳴り、太鼓がドンドコ響く。篳篥がぴいぴいと鳴る中、部屋の中央で両足を広げ、天を支えるように右腕を頭上に伸ばした男がいた。
「氷姫! よくぞ余のもとに参った!」
朗々とした声に目をぱちくりさせる。
男は長く伸ばした金色の髪をうなじでまとめて胸に垂らし、黄金の瞳をいたずらっこのように輝かせている。中肉中背の肉体にまとっているのは、煌貴と似た立ち襟の上着とズボンの軍服だ。金の肩章と飾緒が黒い生地に映えていて、高貴な存在だと一目でわかる。
――本当に……本当に、あの方が帝なのかしら。
誰にもかしずかないと主張するような自信満々の笑みを見ていると、そうとしか思えないのだけれど。
またもや笙がフォーンと鳴りだした。太鼓もドンドコ叩かれる。
躍動的な太鼓の律動に合わせ、帝が腰を振りだす。腰を右に左にかくかくと動かしたあとは、頭上に両手を上げて風に揺さぶられる木の葉のように振り、軽快な足取りで円を描く。
澪は唖然とした。この奇怪な舞踏には、どういう意図があるのか。
――あの踊りはいったい?
奇妙な動作に内心でうろたえ、澪はそろりと煌貴の横に並んだ。
「あ、あの……」
なぜ踊っているのかたずねようとしたが、口をつぐむ。
煌貴は、死んだ目で、一言も発することなく己の主を見守っていた。




