遭難
リナの体が投げ出される。
「嬢ちゃん!」
「姫様!」
レオが躊躇なく海に飛び込んだ。だがその姿も高い波に揉まれてすぐに見えなくなった。
アナトリアへ戻る航海の最中、遠くに黒い壁のような雲の固まりを認めたレオは、まじイな荒れるぞと言ってすべての帆をたたむ号令を発した。みな総出でたたみにかかった。その間にも黒い壁はどんどん近づき、あっと言う間に海が荒れだした。甲板の端で漁具の固定作業を手伝っていたリナに、中に入っとけと声をかけた矢先だった。船体にぶち当たった一発の大波で一瞬にして持って行かれた。
繰り返すさざ波を聞きながら目を覚ました。顔を上げるとどこかの砂浜に転がっていた。腕の中にはちゃんとリナが居たことに安堵し、頬をつついてやると、瞼が動いた。
「起きれるか?」
「・・・ん」
どこかで擦ったのであろう小さな傷が肌に残っているくらいで他に怪我はなかった。
リナは耳元に手をやってはっと顔色を変えた。波に揉まれているうちに外れてしまったらしい。
「潮の流れが分かればたいだい行き着く先は同じだから、探してやるよ」
「・・・うん」
まず生きてこの島を出ることが先だ。
日は高々と登っていた。あれから一晩が過ぎたらしい。
浜辺の周りを歩いてみたが人影はなかった。小道を少し入ったところに粗末な小屋があり、中を覗いてみればヤカンや椀といったちょっとした生活道具の他に網や銛が置かれていた。どこかの漁師の道具置き場らしい。
有難く使わせてもらうことにした。
枝を集めて小屋の中で火を起こした。小屋の裏側に雨水を貯めている槽があり、沸かして飲み水にした。酒でもありゃあなと思ったが酒瓶は見つからなかった。
幸い食料には困らなさそうだった。海に行けば魚はいるし、蔦の絡まる林の中には、市場で見覚えのある実か不格好にあちこちにぶら下がっていた。まあ、味は推して知るべしだが。
質素な夕食を終え、外で星の位置を見てみればあまり流されていないことがわかった。近場から捜索しているだろうからいづれ探し当てるだろう。
さすがに日が暮れると気温が下がってくる。薪をくべて火を掻き立てる。
「さみいだろ。もっとこっち・・・」
何気なく引き寄せようとして、はと気づいた。リナが震えていた。寒さではない。その目には恐怖の色が宿っていた。
「あ、ご、ごめ」
リナが気づいて慌てて目を伏せる。
もう一度手を伸ばすとリナを抱き寄せた。今度はすんなりリナも体も付いてきた。
「ごめんな。・・・もうしねえよ」
「・・・うん」
「ごめんな」
夜中、ふとレオは目を覚ました。
焚火はまだ小さくチロチロと燃えていた。
粗末な毛布をリナに被せて一緒に眠った。今も腕の中で健やかな寝息を立てているはずだった。
見下ろすリナの顔色は青白く、生気がなかった。
「り、な・・・」
恐る恐る触れた頬は冷たい。口元に手を持って行くが息の気配がなかった。
「おい、おい、リナ!」
揺さぶってみるがリナは目を覚まさない。
何でだ。さっきまで話ししてただろ。具合の悪そうな様子はなかった。何で・・・。
赤い光がふうっと何もない空間から浮かび上がった
『だから言ったのだ。この子を私から離すなと』
なんで・・・
失くしたはずの耳飾りが、そこに浮いていた。
『ここはアナトリアから遥か遠き大地。石の加護も届かぬ』
「あんた・・・、なんで」
『主は私の契約者。この私に、主の居場所がわからぬことなどなかろう?』
言葉の出ないまま驚いているレオの前で、石は黙って浮いていた。固まっている顎を何とか動かして口を開いた。
「・・・戻って、・・・戻って来たならいいんだ。だがこいつが、目を覚まさない。・・・一体なんだって?」
『アナトリアの民は、生まれし時よりその大地に染み込んだ我が力の加護を得て育つ。ここはアナトリから遠く離れた大地。我を失えば石の加護も絶えるのは自明の理』
「だからってなんで・・・」
『・・・・・・』
石は奇妙な沈黙を保った後、言った。
『其方、あの研究所で見てはいけないものを見たであろう』
くっとレオの喉が凍った。石は黙って浮いていた。
「・・・・・・」
何もかもお見通しのようだった。観念してレオは口を開いた。
「・・・複製人形っ・・・てか?」
石はやはり、黙って浮いていた。
アナトリアのあの研究所で、身を隠すために滑り込んだ研究室の一室。書架が立ち並び奥まったところにある扉が微かに空いていた。目の良いレオだから気づいたようなもの。幼い姿から成人女性まで様々な年齢の肉体の入った入れ物が並べてあった。やはり、見間違いなどではなかったのだ。
観念して白状したレオに、石はアナトリアの秘められた歴史を語ってくれた。
アナトリアは万能石の力で栄えたが、何世代も石の影響の元にあって徐々に人としての生命が弱くなっていた。それは、少しづつ寿命が短くなっているというところに表れていた。そして子供が産まれにくくなっていることも。
王家も例外ではなかった。
万能石は、建国主に連なる血筋に継承されていく。つまり王家だ。アナトリアを存続させるために、王家の血筋を複製する研究が始まった。この密かな研究を続けていくために研究員すらも複製で生み出していた。
『我が王を作る研究はあまり上手くは行ってなかった。病弱で寿命が短い。確実に石を受け継げる器が必要だった。予備としてふたり作り、生き残った方を継承者にしていた』
淡々とした石の説明に、レオは吐き気を覚えた。
「・・・あの国で、・・・生きている人間は何人だ?」
それにも石は応えなかった。
『私は決断しなければならなかった。新しい王を探すことを』
石はきっぱりと言った。
リナが結婚し子供が産まれれば新たな継承者が誕生する。だが石は今、新たな主を探す、と言った。それはつまり、リナの血筋からの継承を諦めるということ。新たな契約者を求める、ということ。
そこまで思い至ってはっと石を見つめた。
石は、レオの憶測に応えるかのように冷たく言った。
『この世に、偶然があると思うか』
戦慄とはこのことを言うのかと思った。背筋が凍った。
『お前ははじめ、私の力を見ても欲しがるということをしなかった。慎重に見極めていたな』
それこそ石が求めていた理想の主人の姿だった。石の力に惑わされ早々に身を亡ばされては、また新たな契約者を探さなねばならなくなる。石には、己の力に眼のくらむことのない、賢く慎重な主が必要だった。
石は、決定的な言葉を吐いた。
『其方の願いを叶えよう、我が王よ』
石の光が増し、真昼のように明るく周囲を照らした。
『其方が望むのなら、この世界を閉じよう。そして新しい世界を創ろう。其方の望む世界を』
今、やっと分かった。
どうしてリナがあそこまで石を守ろうとしていたのか。
今、わかった。
今、人の手には余る力を手にしている。それがはっきりとわかった。狂いそうだ。いや、もう狂っているのかもしれない。
「・・・あんたはダメだ。あんたは、この世界にいちゃ、いけねえんだ」
『怖れることはない。私は主の望みを叶えるもの』
震える指先で光る石を掴んだ。
「あんたは、オレといれば満足か?オレがいれば満足なのか?」
『私は主と共に存在する』
「・・・オレが、オレが望む世界は・・・」
『お前は賢い王だ。ただ望みさえすればいい。』




