浮気?
リナも公爵も朝の散歩は欠かさない。数日滞在した招待客たちも粗方帰去し、庭もいつもの静けさを取り戻していた。
今朝も公爵はある茂みの周りでしゃがみ込んだり、周りをウロウロしていた。あれは植物を見ているというよりも・・・。リナは公爵に話しかけた。
「其方は虫が好きなのか?」
ぎょっとしてこちらを向く公爵。
「良い作物を育てるには良い虫が必要だ。良い虫がいる土は作物がよく育つ。それくらいはわたしも知っている。」
驚いた顔をしながらも、虫の話だったからか眉間の皺を若干和らげた。
「レオが教えてくれた。農園の作付けに蜂を使うことを取り入れたのはそなただと。」
「・・・ああ、そうだ」
「何かを調べているのか」
むっつりと黙っていたが、リナの返事を待っている様子に重い口を開いた。
「・・・ときどき、虫が死んでいるのだ。原因はわからん。だが一晩で、虫が死んでいることがある。」
リナも公爵がウロウロしていた茂みの周りを見て回ったことがある。ひとつ、ふたつ、虫の死骸が落ちていた。翅や足が欠けているわけでもなく、葉や茎に付いていたのがそのままポトリと落ちたかのようだった。公爵が図書室で熱心に読んでいたのは植物図鑑だが、あれは植物を喰う虫を調べていたのだろう。
「死んでいる場所はいくつかあるが、だいたい同じだ。おそらく風向きだろうとは思うが。昨晩は西からの風が強かったからな」
何年か前までは蜂も一晩で全滅することがあったらしい。今では巣を小屋に入れるようにしたので大量に死ぬようなことはなくなったらしい。そこまで話して、もう一度上から下までリナを見回し、変な女だなという顔で去って行った。
ある晩、3人はいつものように夕食後のひとときを客間で過ごしていた。
何かがぶつかったような音と共に乱暴にドアが開いた。入って来た公爵の目は怒りでいつも以上に吊り上がっていた。
「貴様、よくもセレナ嬢をたぶらかしてくれたな!」
思いもよらない言葉にレオは返す言葉を忘れた。
「とぼけても無駄だ!」
公爵がまるで神聖な勅令でもあるかのように掲げたその紙を、レオはぺっと雑に奪い取った。薔薇の飾り模様が描かれた便箋だった。
「なになに、あの心地よい夜が明けてから、私の心はまだあの場所に置き忘れてきてしまったかのように、あなたのことばかりを考えています。またの夜を心待ちにしております。」
あーとレオはぼんやり思い出した。夜着のガウンを羽織って廊下をウロウロしている女がいたから、部屋まで送って行ったのだ。寝酒の習慣がある貴族階級では就寝前に些か酔っぱらう人がいるのは別段珍しいことではなかった。女の顔をほとんど見ていなかったが、あれはセレナ嬢だったのかと今思い至った。
「あれは、部屋がわからないみたいだったから送って行っただけだ。」
「そんなしらじらしい嘘をよくも吐けたものだな!それでその手紙か!」
まあ、読みようによってはそう取られてもおかしくない。
「誤解だ。セレナ嬢に聞いてもらえばわかる。」
「貴様あ、とぼけるのもいい加減にしろ!許さんぞ!」
そこは大変運悪く、ほんとうにたまたま壁に儀仗刀が数本飾られていた。公爵は剣を取り上げると抜き放った。白銀がぎらりと光を返す。
通りかかった使用人が公爵の様子を見るなり悲鳴を飲み込んでどこかへ駆けて行った。
「ここで決着をつけてくれるわ!」
公爵は鋭く剣を突き刺した。レオがひょいとかわす。公爵はさらに踏み込んで剣を振るうが、どれも身軽くひょいひょいとかわされる。レオが後ろに下がったところで絨毯の淵に足を取られぐらりと体が傾いた。それを見た公爵は大きく剣を振り被る。
振り降ろそうとした剣先にさっと赤い影が差した。
「やめろ!レオはそんなふしだらな男ではない!!」
転がったレオを庇って手を広げ、強い瞳が真っすぐ自分を射抜いていた。
「貴様・・・どけ、死にたいか」
リナは公爵を見つめたまま、譲らない。
『セドリック、やめて!』
懐かしい声が頭の中に響いた。
あのときと同じ。あのときも、リリイはこの男をかばった。今と同じように男を背に庇って、自分との間に入って手を広げた。
そして今も。
手から剣が落ちた。
「お前がいけないんだ!お前のせいでリリイは死んだ!」
公爵は突然膝から崩れ落ちた。
使用人から聞いて駆けつけて来たのであろう、執事が部屋に飛び込んで来た。
「ご当主様!・・・いけませんお医者様を。お気持ちを確かに!」
「リリイは・・・リリイ」
正気を失ったかのようにぶつぶつと何かを嘆いていたが、脇を従者の男に支えられながら部屋から連れ出された。
レオは立ち上がると、床に転がった剣を拾い上げた。
鞘に戻して飾り掛けに戻すと、お前もあぶねーことすんじゃねえよとリナの頭を軽くぽふぽふした。
「しかし、かしらなら避けられたでしょあれくらい」
「んん?まあ、ちょっと刺されてやれば気が済むかなって」
「馬鹿者!!」
リナの口から罵倒が出てくるのは大変珍しい。え?と思わず聞き返してしまうのも無理もないことだ。
「お前が許してもわたしが許さん!おまえを心配するのはわたしだ!おまえが危険な目に合うなら庇うのはわたしだ!お前が刺されるのならば代わりに刺されるのはわたしだ!いかなるものも、お前を傷つけることはこのわたしが許さん!」
「お、おお・・・」
涙目になってそれでもきりっとした目で訴えてくるのだ。思わず胸に抱き込んで頭をぐりぐりしていた。
「な、なにをっ、わたしは怒っているのだぞ!」
「オレのために怒ってくれてんだろ」
ぎゅうと抱きしめればぐぐっと腕を突っ張って抵抗があった。顔を覗き込めばちらちらと視線が泳いていた。くるりと首だけ振り向けば、はいはい退散しますよと萎えた様子でクロウが出て行った。
リナが腕を突っ張って見上げれば、レオはニヤニヤと笑っている。この屋敷に来てからの取り澄ましたような顔ではなく、船に乗っていたあの頃の。
「ほんとうに、ばかもの・・・」
「海賊だからな」
「海賊だからか」
「バカでなきゃ海賊なんかできるかよ」
「そうか」
リナの腕が弱まったのを見計らってもう一度胸に抱いた。




