閑暇
目が覚めたのは日も高く昇った頃だった。朝寝坊をしてしまったらしい。咎められることもなく、すぐに朝食が運ばれてきた。
朝食を終え支度を整えると昨日の客間に呼ばれた。3人が揃うと今後の晩餐は辞退したとレオが伝えてくれた。
「毎晩やるほどあのじじいも暇じゃねえ」
聞いたところによると、特別な事情がない限りあの晩餐は行われるらしい。歓待の宴でも毎晩となると苦行だ。こちらの世界の貴族というのも大変だなあとリナは思った。
「なんか、要るもんがあったら言えよ」
広大な庭を散策したり図書室で本を選んだりとのんびり過ごしている毎日に、ガイは二日で音を上げた。
「何にも言わずに出てきちまって、残ってる奴らにも何か伝えなきゃあまずいでしょう」
「・・・・・・送りはないぞ」
「これぐらい歩けらあ」
「あ、ずりい。オレも」
これには二人そろって反対された。お前は残れ、と。
斯くして、残っている船の仲間に連絡する言う名目で側近から卿に別れの挨拶を伝えてもらい、卿からは残念だ、もっとゆっくりしていていいのにという伝言を受け取った。
「で、連中には何て?」
レオはちょっと考えて大人しくしてろと、バカなこと考えるんじゃあねえぞと言った。
「りょーかい」
通行用の小さい門を出ていくガイの後ろ姿を二階の窓から見送りながらクロウが口を開いた。
「・・・かしら、オレたち」
「シッ、滅多なことを言うな。誰が聞いてるかわからん」
押し殺した低い小声で、ピクリとも表情を動かさなかったのを見て大体の事情を察したクロウは・・・スと小さく返答した。
クロウはリナの散歩や図書室通いやお茶に付き合う毎日だったが、リナが飽き始めたのを見てレオが川に連れ出してくれた。
館の裏手には広大な川が流れており船が往来している。下った先でいくつかに枝分かれしており、何本かの支流は街の中を通って下り、本流は街を大きく迂回し海へと注いでいた。
川に沿って街道が付いており少し登って行くと小さな入り江に入る。たくさんの小舟が停まっていて釣りをしている人もちらほら見かけた。周辺は宿場や食事を出す店、荷を預ける倉庫が立ち並び小さな港町の様相だ。魚を売っている店もあった。
レオは道を外れ川辺に入ると揺れる水面に手を突っ込んで何かを拾い上げた。
「ま、小さいけどな」
そう言って手の上で見せてくれたのは殻に何層もの模様が走った貝。
「おまえが食ったのは海で採れたやつ」
川で育つぶんは小さくしかならず、食用には適さないのだそうだ。この模様が蝶の羽に似ているところからチョウガイと呼ばれているらしい。
「さて、オレ達も始めますか」
レオはぽいと貝を放ると川べりを歩き始めた。
「はじめるって?」
「・・・なん、釣りだよ。やったことねえの?」
「・・・ない」
船に乗っているとき、仲間が船べりから釣り糸を垂らしているのを見かけたことはあったがその役目が自分に回ってくることはなかった。船員は大事な食料係を素人に任せたりはしないのである。
「じゃあお前もやってみな」
ここらでいいかとレオは足を止め肩に寄せていた長い棒の一本をリナに手渡した。もう一本はクロウへ。いったい何を持ち歩いているのかと思っていたが、これが釣り竿なのだ。
針の付いた先を川面へ投げ入れると、そこらに腰かけた。クロウも少し離れて針を投げ入れると座った。リナも見習って放り投げ、座った。屋敷から付いてきている従者が、少し離れたところに立っていた。
「ときどきこうやって揺らせよ。底を釣ってることがあるからな」
手本を見せるようにレオが竿を上下させた。
はじめての釣りは、はっきり言って退屈だった。ときどき竿を動かしながら、魚がかかるまでこうして待っているしかないのだ。気の長い話だ。だがレオもクロウも苦とも思わず黙って待っている。その通りにした。川の向うの方では、重い荷を運んでいるのであろう船がゆっくりと通り過ぎていった。
散歩をしたり図書室に通ったり釣りをしたり、釣れた魚はその場で火を起こして焼いて食べた。
馬に乗せてもらって森に出掛けることもあった。パンやビスケットなどの軽食が詰まった籠を持たせてもらい、道中で敷物を敷いてちょっと休憩した。
近くの木からもいできたらしい実を放られ、レオが服の袖で軽く拭って被りつくので同じようにしてみた。
「・・・どした」
「驚いた。私の国にも同じような実はあるがこんなに甘くはない。取って来てもしばらく置いておいてから使うのだ。・・・香りも強い」
いつも朝食やお茶に添えられていたジャムと同じ味がした。朝食やお茶にはよくとろりとした食感の甘酸っぱいジャムが添えられており、甘い菓子ばかりのなかでさっぱりと口を整えてくれてリナは気に入っていた。
「ああ・・・見に行ってみるか?」
シャクシャクトと噛み砕いて芯をぽいっと放った。
森を抜けて小高い丘の上からレオが見せてくれたのは広範囲に広がる農園だった。整えられた区画の中に等間隔に木が植えられている。この辺では珍しくもない樹木だがこうして土を整えちゃんと世話をしてやるとより甘くなるのだと言う。
「最近じゃあ収穫量も増えて、ウチのいい収入源だ」
「これだけ世話をするのは大変であろう。」
すっとレオが手を伸ばし指し示した先に数件の小さな小屋があった。
「蜂を飼ってる」
「蜂?」
以前は人が一枝ずつ回って行っていた作業を蜂を使うようになったのだという。木々が花を着ける季節になると蜜蜂を放す。蜜蜂が飛び回って花粉を運ぶことでより多くの木に実が成り収穫量が増すのだという。多くの人手を必要とするのは収穫の時期だけでよくなり、その分の浮いた出費を輸送に振り分け各都市に出荷するようになったらしい。
「よく考えられているな」
「まああいつの唯一の手柄みてえなもんだ・・・」
まるでひとりごとのように遠くに向かって言うので、それ以上は聞けなかった。
こうして割合楽しく過ごしていた。レオはときどき卿に呼ばれているらしかった。
レオはいつまで、とは言わなかった。つまりそういうことなのだ。
毎朝の支度には閉口した。毎回侍女が白粉を付けようとするのだ。毎回断っていた。
「それは毎日塗るものなのか?」
「え、ええ。大抵の方はそうされますけど・・・」
「私はまだここの習慣には慣れなくてな、すまぬ」
屋敷内ではとときどき名も知らぬ婦人を見かけることがあった。たいてい豪奢なドレスを纏い白い粉を顔に塗っていた。何度か見た顔もあったし初めて見る顔をあった。向うはこちらには構わないらしくリナを見かけてもすぐに行ってしまう。ときどきレオも言葉少なに話をしているようだった。
不思議に思っているリナを見てクロウが教えてくれた。
「愛人だよ・・・」
「あいじん」
「じいさんのな」
チェスター卿はとっくに妻を失くしており、今は愛人をとっかえひっかえらしい。まあ権勢を誇る公爵家であるからお付き合いする女性には困らないのであろう。
最初は丁寧に扱われていたリナも、レオンとは私的な関係で身分がないと分かるとぞんざいな扱いに変わる使用人もいた。
「あなた、レオン様の恋人なの?」
「・・・ああ、そうだ」
面と向かって聞かれたのは初めてで、体のどこかががかゆくなったような気がした。風呂上がりの濡れた髪を大ぶりのタオルに包んで何度も押してくれる。
「そう。・・・いい男でしょ、レオン様って」
「うむ・・・」
「わたしのこともよく庇って下さったわ」
サリーは子供のころからこの館で下働きをしていたらしい。今では公爵家に招かれた上級婦人の世話をする侍女にまで上がった。公爵一家は夏の間、この館に留まることが多かった。癇癪持ちの長男にはみんな手を焼いていた。対応が分からなくてオロオロする自分をもういい下がれと部屋から追い出しながら引き受けてくれた。
「家を出て行ったって知ったときはビックリしたわ。てっきり本家の・・・」
そこでサリーははっと口を噤んだ。
「あなたは知らないでしょうけど、こんなお家でもいろいろ大変だったのよ、レオン様は」
「そのようだ」
「家を出て行かれてから、幸せになりますようにってずっと願っていたわ」
そして事件は起きた。




