10.僕は謝らないから
身体が焼けるように熱い。
喉元を掻きむしって、妙な感覚に瞼を開けた。
「……っ……あっ……」
うまく声は出なかった。恐る恐る視線を下げると、あるはずのない二つの膨らみがあった
「……え……?」
川のせせらぎが聞こえてきて、弾かれるように近くの水面を覗いた。
ゆらゆらと揺れているけれど、そこに映っていたのは私ではなかった。
見覚えのない女性が目を見開いている。丸みを帯びた身体も、長い手足も知らない。
自分の顔に触れれば、水面に映る女性も触れていた。
「な……んで?」
記憶をたどれば、シュトリさまと天を昇ったことを思い出した。
豪華な宮殿、たくさんの羽根を持つ天使……そして、空から落ちていった。
何か恐ろしいことが起きている。
「シュトリさま……!」
そうだ、シュトリさまはどこ?
教えてほしい。いつもみたいに優しく……。
「いるよ、ここに」
バシャッと、川の中から誰かが出てきた。
その声は間違いなくシュトリさまなのに。
「黒い……」
白銀だった髪も、美しかった白い羽根も、真っ黒になったシュトリさまが立っていた。
濡れた髪を掻き上げ、水を吸った上半身の衣類を脱ぎ捨てた。身体には引っ掻いた痕が数ヶ所残っている。
「突然能力が変わったから、思うように着地できなかった。ツムギの身体は守ったはずだけど、ケガはないかい?」
「……」
口調は優しい。
だけど、本当にシュトリさまなの?
「向こうに洞窟があったから、今日はそこで休もう。歩ける?」
「……」
「おいで。抱っこしてあげる」
差し出された腕は変わらない。
立ち上がると、今までと違う目線の高さでシュトリさまを見た。
「自分で歩けます……わあ!」
体重も変化したはずなのに、シュトリさまは軽々と私を横抱きにしてしまった。
お互いの顔が近くて、思わず目を逸らした。
「首に腕を回して、落ちないように掴まって」
「はい……」
シュトリさまの匂いはいつもと変わらないのに、胸の奥がキュッと締め付けられたような感覚がする。
洞窟の中は湿った空気に包まれ、奥には闇が続いていた。
どこからか水滴の落ちる音が聞こえてくる。
「あまり奥には行かないようにしよう。風がしのげればいいだけだから」
私は膝の上に乗せられ、シュトリさまの体温を感じていた。ここはどこだろう。
人間の住む地上だとしても、森の奥みたいなところだと思う。
「ツムギ」
「はい……んっ」
唇と唇が触れ合った。
ほんの一瞬のことだけど、私はシュトリさまの柔らかさを知った。
「今のはなんですか?」
教えてもらおうと尋ねると、シュトリさまは目を細めた。
見たことがない眼差しは、どろりとした何かが私にまで移りそうだと思った。
「これから二人で生きていくのに大切なものだよ」
「……二人で?」
「上手になれるように覚えようね、ツムギ」
これから必要なものらしい。
頷きながら、新しい疑問が生まれた。
「どこにいくんですか? みんなのところには帰れないんですか?」
水滴が落ちる。
怖いくらい静かな場所だ。
「みんな、ね。もう帰れないよ、あそこには」
「え?」
「たとえ近付こうとしても、僕たちは追放されるだけだよ」
温かい花園が頭に浮かんで、喉が震えた。
「なんで……追放って……」
「もう僕たちは天使じゃない」
「……え?」
一人前の天使になるために、シュトリさまに大人になりたいってお願いしたのに。
違うってどういうこと?
「二人で悪魔に堕ちたんだよ、ツムギ」
――悪魔。
『害にしかならない存在に成り果てます。天使であった時の慈愛の心も何もかも悪へと染まってしまうのです』
サファエルの言葉を思い出した。
害にしかならない……落ちこぼれなんかよりも、もっと悪い存在になるということ。
「嫌です! みんなに嫌われたくない! ノイルたちとまたおしゃべりをして、人間の役に立ちたかっただけなのに……なんで……」
「みんなに嫌われても、僕だけは愛しているから。これからは、みんなの分まで愛してあげる」
「愛? これが愛なんですか?」
絵本にはこんなことを書いていなかった。
「僕が愛だと言うんだから、ツムギは……ツムギだけは疑わないで」
「どういう意味ですか?」
シュトリさまのまつ毛が影を落として、私を強く抱きしめた。
「僕は謝らないから」
初めてシュトリさまの言葉が、冷たく聞こえた瞬間だった。




