第9話「明滅の周期」
魔法陣の光は水晶球を中心にして規則的な間隔で明滅を繰り返している。何かの周期がある。そう直感した瞬間に体が勝手に動いていた。前世でシステムのログを何時間も睨み続けた経験が、こんな場所で生きてくるとは思わなかった。壊れかけた基幹システムの復旧作業も、原因は大抵規則性の中に隠れている。異世界の魔法陣も根本はそう変わらないのかもしれない。
「ルナリア、光が消える瞬間だ。今しかない」
「わかった」
短く返す彼女の声に迷いはなかった。ガレスの詠唱に紛れて、俺たちは魔法陣の縁に沿って距離を詰めた。規則性のあるものは必ず隙を持つ。それはシステムでも魔法陣でも変わらない真理らしい。息を潜めて光の消える瞬間を待つ。心臓の音だけがやけに大きく聞こえた。
「小賢しい真似を」
ガレスが気づいて触手を放つ。だがその軌道は、直前まで見ていた明滅のリズムと完全に一致していた。
「今だ!」
俺はルナリアを庇いながら横に跳んだ。触手が空を切り、代わりに水晶球の台座を掠める。台座に小さな亀裂が走った。粉塵が舞って視界が一瞬霞んだ。
「なぜ避けられる……!お前は今日、詰み目を使えないはずだ」
「詰み目がなくても頭は使える。何度も言われたことだからな」
ガレスの顔に初めて焦りが浮かんだ。台座の亀裂から、水晶球の中の光が不安定に揺れ始めている。彼の余裕に満ちた笑みが急速に崩れていくのがわかった。
「ルナリア、あの台座を狙えるか」
「魔力はまだ残ってる。任せて」
即答する声には負けず嫌いらしい強さが滲んでいた。ルナリアが短剣に淡い光を纏わせて亀裂めがけて突きを放つ。硬質な音とともに水晶球が台座から転げ落ちた。魔法陣全体を包んでいた光が急速に萎んでいく。
「馬鹿な……三十年かけた研究が……」
ガレスが膝をつく。触手も禍々しい気配も、水晶球が砕けると同時に霧散していった。地下室に静寂だけが残った。埃と魔力の残り香だけが空気にわだかまっていた。
「終わったのか」
「多分ね」
ルナリアが荒い息のまま座り込む。俺も緊張が解けてその場にへたり込みそうになった。両手がいつの間にか震えていることに気づいた。
そこへ階段から複数の足音が響いてきた。剣を構えた兵士たちを引き連れて現れたのは、王都の紋章をつけた騎士だった。整った鎧姿はこの廃墟には不釣り合いなほど清潔だった。
「動くな。ここで何が行われているか既に把握している」
「あんたは」
「王家直属の調査官、カイン・レドフォードだ。ヴァレンフォード家の残党について以前から内偵を進めていた」
カインは鎧の胸元に手を当てながら続けた。
「三十年前の取り潰しの際に当主の息子が行方をくらませたという記録が残っていた。以来、王家は密かにその足取りを追い続けてきた」
「それが今日ここで見つかったと」
「ああ。まさか素性の知れない冒険者に先を越されるとは思わなかったがな」
その口調には皮肉というより純粋な驚きが滲んでいた。
騎士は倒れているガレスを一瞥して、それから俺たちに視線を移した。
「お前たちが動かなければあと一歩間に合わなかったところだった。感謝する」
思いがけない登場人物に俺とルナリアは顔を見合わせた。ミアの一件から始まったこの騒動が、まさか王家の調査案件にまで繋がっていたとは思ってもみなかった。
「調査官殿、この男の処遇は」
「王都に連行して正式な裁判にかける。……そちらの二人にも後日、証言を求めることになるだろう」
淡々とした口調の裏に、長年この件を追ってきた者だけが持つ執念のようなものが感じられた。
ガレスは兵士たちに拘束されながらもなお何かを呟いていた。
「私はただ家名を取り戻したかっただけだ……あの日、民衆に石を投げられて屋敷を追われた日から、ずっと……」
その声には憎しみだけでなく拭いきれない悲哀のようなものが滲んでいた。悪人として断罪されるべき男であることに変わりはない。それでも彼には彼なりの三十年分の物語があったのだと、俺は思わずにいられなかった。
「詰み目の持ち主……お前が現れたのは偶然ではないのかもしれん……あの女神が動いたなら……」
その言葉に俺は思わず眉をひそめた。ガレスがフィオナのことを知っているような口ぶりだった。だが問い質す前に兵士たちが彼を引きずるように連れ去っていった。声はやがて階段の向こうへと消えていった。
「あの人、フィオナ様のこと知ってるみたいだったね」
「ああ。……どこまでが本当のことなのかまだわからないが」
答えながらも頭の片隅では、あの意味深な言葉がずっと引っかかっていた。
廃墟を出ると外はすでに夕暮れだった。丘の上から見下ろすローデン市の明かりが、いつもより温かく見えた。命があること。日常が続いていくこと。その尊さをこんな形で実感するとは思わなかった。
「アレン、お疲れ様」
「お前もな。魔力は大丈夫か」
「もう平気。それより――」
ルナリアが少し照れくさそうに視線を逸らした。頬が夕日のせいか少し赤く見えた。
「今日は格好良かったわよ。詰み目に頼らなくても」
不意打ちの一言に、俺は何と返せばいいかわからず黙り込んだ。心臓が戦闘中とは違う理由で早鐘を打っていた。
「なによ、その反応」
「いや、その、ありがとう。……そういうことは、あんまり言われ慣れてないから」
夕日に染まる帰り道、二人の間に流れる沈黙はこれまでとは少し違う種類のものだった。前世の三十二年間で、こんな穏やかな気持ちで誰かの隣を歩いたことは一度もなかった。
「なあ、ルナリア」
「何?」
「これから先も、こういう厄介事はまだ続くと思うか」
「多分ね。あなたの周りには、なぜか事件が寄ってくる気がする」
「俺のせいにするなよ」
「半分は、あなたのその力のせいでしょう」
軽口を叩き合いながらも二人の足取りはどこか軽やかだった。街の明かりが少しずつ近づいてくる。今日という一日をひとまず生き延びられたことへの安堵が、じわりと胸に広がっていった。




