第6話「資料室の夜」
翌朝、視界の端に待っていた表示が浮かんだ。
【本日の残り使用回数:1】
昨夜はあまり眠れなかった。ミアの怯えた顔と、ルナリアの真っ青な顔が、交互に頭をよぎっていたからだ。窓の外が白み始める頃、俺はようやく浅い眠りについた。
俺はまずギルドの書庫に向かった。セレナの許可を得て過去数ヶ月分の依頼書を、片っ端から確認していく。書庫には、埃をかぶった書類の束がうずたかく積まれていた。
「これ、全部見るの?気が遠くなりそう」
「一枚一枚じっくり見る必要はない。詰み目を使えば、一瞬でわかる」
「あ、そのために温存してたのね」
セレナも、心配そうな顔で書庫の入り口に立っていた。昨夜の出来事が、彼女にも相当な衝撃を与えたようだった。
書庫に積まれた依頼書の束に手をかざし、俺は詰み目を発動した。既に、この動作にも慣れが出てきている自分に、少しだけ複雑な気持ちを覚えた。
「――『詰み目』」
【対象:依頼書の山】
【共通の癖を検出:過去二ヶ月で、身元不明の依頼が七件。すべて新人冒険者向けの簡単な依頼として提出されている】
【筆跡の特徴:右上がりの癖字。特定の一人による犯行の可能性が極めて高い】
【提出時間帯の傾向:すべて日没直後】
浮かび上がった文字列を、俺は何度も読み返した。たった一瞬で、これだけの情報が引き出せてしまうことに、改めて空恐ろしさを覚えた。
「七件……」
「しかも、全部日没直後に提出されてる。窓口が空く直前を、意図的に狙ってるみたいだ」
セレナが、青ざめた顔で書類を確認した。何度も同じ箇所を読み返しては、信じられないというように首を振っていた。
「言われてみれば……日没前後は、受付が私一人になる時間帯なの。他の職員が休憩に入るから」
「つまり、犯人はギルドの勤務体制まで知ってる。内部の人間か、それに近い立場の奴だ」
その言葉に、セレナの表情が強張った。
「まさか、ギルドの誰かが……」
「断定はできない。でも、可能性は考えておいた方がいい」
セレナは、しばらく何かを考え込むような顔をしていたが、やがて小さく頷いた。
「わかった。……私も、心当たりがないか、探ってみる」
その表情には、普段の明るさの裏に、確かな責任感が滲んでいた。彼女にとっても、この街のギルドは、大切な職場なのだろう。
俺たちは、七件の依頼書に共通する特徴を、さらに洗い出していった。地名、依頼内容、報酬額――どれも微妙に異なっていたが、一つだけ共通点があった。
「全部、被害者は十五、六歳の登録したばかりの子ばかり」
ルナリアが、書類を並べながら呟いた。並べられた依頼書を見比べると、確かに共通する幼さが、その筆致からも滲んでいるようだった。
「年齢と、登録時期を絞ってる。何のために」
考えられる可能性はいくつかあったが、どれも決め手に欠けた。人身売買、労働力の確保、あるいはもっと悍ましい目的――どの想像も、あまり気分の良いものではなかった。
「アレン、この依頼書の一枚、送り主の欄に、小さくサインみたいなものがある」
ルナリアが指差した先には、羊皮紙の端に、消えかけたインクで書かれた、小さな記号のようなものがあった。
「これは……紋章か?」
俺は、もう一度視界の端を確認した。目を凝らして見ても、消えかけたインクの線は、素人目にはただの飾り模様にしか見えなかった。
【本日の残り使用回数:0】
今日の分は、既に使い切っていた。この紋章の正体を確かめるのは、また明日以降になる。
「セレナ、この紋章見覚えないか」
セレナは、しばらく眉根を寄せて考えていたが、やがて小さく首を振った。目を凝らして、何度も紋章の形をなぞるように見つめていた。
「ごめんなさい、わからない……。でも、ギルドの資料室になら、紋章事典があるはずよ」
「借りられるか」
「一応、閲覧許可がいるけど……今回の件なら、ギルドマスターに話を通せば、多分」
「頼めるか」
「任せて。……こんなこと、絶対に許せないもの」
セレナの声には、いつもの明るさとは違う、静かな怒りが滲んでいた。普段は誰にでも優しい彼女の、初めて見る硬い表情だった。
その日の夕方、ギルドマスターの許可を得て、俺たちは資料室に足を踏み入れた。古い紙とインクの匂いが立ち込める中、分厚い紋章事典が俺たちを待っていた。棚には、何十年分もの記録が、静かに埃を被っていた。ギルドマスター自身も、事の重大さを察したのか、快く許可を出してくれていた。
「これを、一つずつ照らし合わせるのか」
「気が遠くなる作業ね」
「昨日も似たようなこと言ってたな」
「昨日は詰み目があったからでしょ。今日はもう使えないし」
軽口を叩きながらも、俺たちは事典を捲る手を止めなかった。夜が更けるまで、二人でその紋章を探し続けた。窓の外が完全に暗くなる頃、蝋燭の明かりだけが、俺たちの手元を照らしていた。
そして、閉館間際になって、ようやく一致する紋章を見つけた。ページをめくる手が、思わず止まった。
「……これ」
ページに描かれていたのは、既に廃絶されたはずの、ある貴族家の紋章だった。事典の説明書きには、数十年前に断絶したと、簡潔に記されている。
「アレン、これって」
「ああ。まだ何も断定できないが……厄介な相手かもしれない」
古びたページに刻まれた紋章を見つめながら、俺は、この事件が思っていたよりもずっと根の深いものだという予感を、拭い去ることができなかった。
「アレン、この家についてもっと詳しく知る必要があるわね」
「ああ。この図書館にも、詳しい記録は残ってないみたいだが」
ページの余白には、簡素な家紋の由来と、断絶の経緯が、数行だけ記されていた。だが、肝心の詳細――なぜ断絶したのか、誰が生き残っているのか、といった情報は、ここには載っていなかった。
窓の外は、既に完全な夜になっていた。資料室を出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。
「今日は、もう休みましょう。考えるのは、明日でいいから」
ルナリアの提案に、俺は素直に頷いた。だが、宿に戻ってからも、あの紋章の記憶が、しばらく頭から離れなかった。




