第5話「二時間前」
「他に、同じ依頼を受けた人いないか確認して!!」
セレナが叫ぶように言い、慌てて依頼リストを繰り始めた。指先が震えていて、なかなか目当てのページが見つからないようだった。カウンターの向こうで、他の職員たちも、何事かとこちらを見ていた。数分後、彼女の顔から血の気が引いた。
「……いる。今朝早く、新人の子が一人、同じ薬草採取の依頼を受けて、森に向かってる」
「どれくらい前だ」
「もう、二時間近く前……!」
俺の中で、詰み目が示した文字列が蘇る。
――三時間以内に致命的な罠に遭遇する。
残された猶予は、もうほとんどない。頭の中で、時計の針が音を立てて進んでいくような錯覚があった。
「案内してくれ。その新人の特徴、わかるか」
「茶色い髪の、まだ十五かそこらの女の子よ。名前は、確か……ミアって」
「行こう、ルナリア」
「もちろん」
ルナリアの目にも、既に迷いはなかった。二人とも、初対面のミアという少女のために、迷わず動き出していた。
セレナに森の入り口までの道を聞き、俺たちは全速力で駆け出した。ギルドの規則がどうとか、詰み目のルールがどうとか、そんなことを考えている余裕はなかった。息が上がり、脇腹が痛んでも、足を止めるという選択肢はなかった。
森に入ってすぐ、地面に争ったような跡を見つけた。踏み荒らされた草、引きずられたような痕跡。前世では、こんな緊迫した状況に身を置いたことなど、一度もなかった。だが不思議と、体は迷わず動いていた。
「アレン、こっち!」
ルナリアの声に駆け寄ると、木の根元に、茶色い髪の少女が倒れていた。足に、深い傷を負っている。
「ミア、しっかりしろ!」
呼びかけると、少女はうっすらと目を開けた。震える唇から、かすれた声が漏れる。
「……薬草採ってたら、急に、地面が崩れて」
トラバサミのような罠が、隠されていたらしい。踏み荒らされた跡は、彼女が必死に逃げようとした痕跡だったのだろう。
「かなり、血が出てる」
ルナリアが、傷口を見て顔を強張らせた。滲む血が、地面をじわりと赤く染めていく。悠長に考えている時間はなかった。
「私の、浄化なら」
「浄化?」
「聖女候補としての適性が、詰み目とは別に残ってたみたい。傷を治せる。……ただ」
ルナリアは、自分の掌をじっと見つめた。緊張と焦りが入り混じった表情だった。
「使える量は、私の魔力次第。この傷多分、かなり持っていかれる」
「無理はするな」
「無理してでも、やる。これが、私に残された力なんだから」
その言葉には、単なる使命感以上の、何か強い意志が込められているように聞こえた。
ルナリアが、ミアの足に手をかざす。淡い光が、傷口を包み込んでいった。見る間に、出血が止まり、皮膚が閉じていく。だが、術が終わる頃には、ルナリア自身の顔が、真っ青になっていた。額には、玉のような汗が浮かんでいる。
「大丈夫か」
「ちょっと、魔力使いすぎた、だけ。……平気」
平気には、到底見えなかった。ふらつく体を、俺は咄嗟に支えた。細い体が、想像以上に軽くて、驚いた。
「ありがとう……ございます」
ミアが、涙目でルナリアを見上げた。頬には、まだ涙の跡が残っている。年齢の割に幼く見える顔立ちで、本当にまだ子供のようだった。
「無事でよかった。それよりこの依頼、誰から受け取った」
「フードを被った人、でした。顔は、よく見えなくて。……声も、なんだか変な感じで、くぐもってて」
セレナの証言と、完全に一致していた。
「その人、他に何か言ってなかったか」
「そういえば……"最近登録した子を狙ってる"って、独り言みたいに呟いてたのを、聞いた気がします。あの時は、聞き間違いかと思ったんですけど」
背筋が冷えた。狙われていたのは、ミアだけではない。ローデン市に登録したばかりの、新人冒険者全員が対象ということだ。
「アレン、これは」
「ああ。ただの一件の罠じゃない。誰かが、意図的に新人を狙って、こういう依頼をばら撒いてる」
なぜ、そんなことをする必要があるのか。理由はまだ、見えなかった。ただ一つ確かなのは、この街に、悪意を持って新人を狩る者が潜んでいるという事実だけだった。
ミアを背負い、俺たちは急いでギルドへ戻った。夕暮れの街を駆け抜けながら、背中越しに伝わるミアの体温に、俺は妙な焦燥感を覚えていた。もし、あと少し発見が遅れていたら――その先を考えるのは、やめた。
セレナは、俺たちの報告を聞くなり、顔面蒼白になった。
「他にも、被害者がいるかもしれないってこと……?すぐに、他の依頼も全部洗い直すわ」
「頼む。あと、今日提出された依頼の中で、身元不明のものが、他にもないか確認してくれ」
セレナが慌ただしく動き出す。ギルド内の空気が、一気に張り詰めたものに変わっていくのがわかった。
「アレン、大丈夫?」
ルナリアが、まだふらつきながら、こちらを見上げてきた。
「それは、俺の台詞だ。無理して、魔力使いすぎたんじゃないのか」
「これくらい、平気よ。それより――」
ルナリアは、真剣な目で俺を見た。
「今の話聞いてて思ったんだけど、これただの愉快犯とは思えない。何か、目的がある気がする」
「同感だ。新人ばかり狙うのも、妙に的が絞られてる。運が悪かった、では片付けられない何かがある」
夜の帳が下りる頃、俺たちはギルドの隅で、明日以降の動きについて話し合っていた。詰み目は、今日既に使い切っている。だが、次に何をすべきかは、既に見えていた。
「明日、詰み目が回復したら、まずはギルドに残ってる過去の依頼書を全部洗い直す。同じ筆跡か、同じ癖がないか」
「私は、ミアからもう少し詳しく話を聞いてみる。犯人の特徴、何か思い出すかもしれないから」
役割を分担し、俺たちは一旦、宿へと引き上げることにした。窓の外では、ローデン市の明かりが、いつも通りの夜を演出していた。だが、この街のどこかに、新人を狙う何者かが潜んでいるのだと思うと、その光景が、少しだけ違って見えた。
宿の部屋に戻ると、ルナリアは、まだどこか顔色が優れないままだった。
「本当に、大丈夫か」
「大丈夫。ただ、少し疲れただけ」
「無理はするなよ。お前が倒れたら、元も子もない」
「わかってる。……心配、してくれるのね」
「当たり前だろ」
即答すると、ルナリアが少し驚いたような顔をした後、小さく笑った。
「そうやって、すぐ本音を言うところ、嫌いじゃないわよ」
その一言に、俺は何と返せばいいかわからず視線を逸らした。窓の外で、月が雲に隠れていくのが見えた。明日、事態がどう動くのか、まだ何もわかっていなかった。
――誰が、何のために、新人を狙っているのか。
その答えを探る旅が、思いがけない形で始まろうとしていた。




