第3話「商館の男」
翌朝、俺たちは証拠を携え隣町へと向かった。目当ての商人――ギルベルトという名だと、村長から聞いていた。街道を歩きながら、俺はまだ昨日の"詰み目"の余韻を体のどこかに感じていた。あの全能感を、もう一度味わいたいと思う自分を正直、否定しきれずにいた。
「今日は、証拠を突きつけるだけだ。難しいことはない」
「そう簡単にいくといいけど」
ルナリアの声には、どこか予感めいた警戒があった。
商館は村とは対照的な立派な建物だった。応接間に通されると、恰幅の良い中年の男が、笑顔で出迎えた。壁には、値の張りそうな絵画がいくつも飾られている。
「これはこれは。例の村の英雄殿が、直々にいらっしゃるとは」
「もう噂が届いてるのか。仕事早いな、あんた」
「私の耳は、それなりに早いものでね」
ギルベルトは、優雅に茶を勧めてきた。余裕のある態度に、俺は少しだけ違和感を覚えた。
「単刀直入に言う。あんたが村を脅して土地を奪おうとしてる証拠は、こっちに揃ってる」
書類の束をテーブルに置いた。ギルベルトは、一瞥もせずに笑った。
「証拠、ね。……面白い。ですが、それを役所に持ち込んだところで、何が変わりますか?村長のサインも、第三者の証人もない紙切れなど、いくらでも言い逃れができますよ」
背筋がひやりとした。実際その通りだった。
「そちらのお仲間は、面白い力をお持ちのようですが」
ギルベルトの視線が、俺に向いた。
「詰みを見つける力、だそうですね。……ですが、その力今日は既に使いましたか?」
心臓が跳ねた。俺の"詰み目"は、既に昨日使い切っている。今日の分は、まだ回復していない。
「なぜ、それを」
「私も、それなりに人を見てきましたから。あなたの力に、制限があることくらい、動きを見ていれば察しがつく」
「今、あなたには"見る力"がない。私が今何を考えているか、あなたにはわからない」
ギルベルトが、笑みを消した。
「面白いですね、あなたのような若者は。人を"詰ませる"感覚を、一度覚えてしまった目をしている。私も、昔はそうでした」
「あんたと一緒にするな」
「さあ、どうでしょうね。人は、そう簡単には変われないものですよ」
ギルベルトは、笑みを崩さないまま続けた。
「今日のところは、証拠不十分として、お引き取り願おうか」
護衛らしき男たちが、静かに出入り口を塞いだ。
「アレン」
ルナリアが、俺の袖を引いた。
「今日は、力に頼れない。……なら、どうする?」
詰み目がなければ、俺には、ただの――何の力もない、元社畜でしかない。護衛たちに囲まれたまま、俺は必死に頭を回転させた。前世で、理不尽な要求をしてくる取引先を、何度もこうやって切り抜けてきたはずだ。今度も同じだ。力に頼らず、言葉と論理だけで、この場を凌ぐしかない。
「……村長のサインなら、後から取れる。今日、無理に決着をつける必要はない」
「今日は、退く。だが、これで終わりだと思うな」
ギルベルトは、面白そうに目を細めた。
「ほう。存外、冷静ですね」
「詰み目がなくても、頭は使える。……多分」
最後の一言は、自分に言い聞かせるようなものだった。
商館を出た後、俺は自分の拳が強く握られていたことに気づいた。夕暮れの街並みを歩きながら、頭の中では、さっきのギルベルトの言葉が何度も反響していた。
――今、あなたには"見る力"がない。
たった一日、力を使えないだけで、こんなにも無力に感じるのか。前世で、システムが落ちるたびに、原因もわからず立ち尽くしていたあの感覚に、少し似ていた。
「悔しい?」
「ああ。……力があるから何とかなる、って思ってた自分が、情けない」
「それに気づけただけ、今日は収穫よ」
ルナリアが、俺の背中を軽く叩いた。
「詰み目がなくても、あなたには、あなたの頭がある。それに――」
「それに?」
「さっきのあいつの言葉、真に受けなくていいから。"詰ませる感覚を覚えた目"とか、適当なこと言って、あなたを煽ろうとしてただけ」
わかっていた。わかっていたはずなのに、その言葉が、思いのほか深く刺さっていた自分がいた。
翌日、夜明けとともに、視界の端に表示が浮かんだ。
【本日の残り使用回数:1】
今度は、すぐには使わなかった。ギルベルトのような相手には、力を見せた瞬間から、対策を練られてしまう。ならば、こちらも先に手札を整えるべきだ。
「今日は、まず村長に来てもらう。証人がいれば、"紙切れ"では済まなくなる」
「随分、慎重になったのね」
「昨日痛い目を見たからな」
村長は快く同行を承諾してくれた。加えて被害を受けた他の村人からも、簡単な証言書を集めておくことにした。詰み目に頼る前に、自分の足で、詰みへの道筋を先に組み立てておく。それが、昨日得た、一番の教訓だった。
「準備は、これで十分か?」
「十分すぎるくらいよ。……アレン、少し変わったわね」
「どう変わった」
「前の"見えたから、大丈夫"って顔じゃなくなった。今の方が、ずっと信頼できる」
その一言が、思いのほか、俺の胸に染みた。前世で、誰かに「信頼できる」と言われたことなど、あっただろうか。思い出そうとしても、うまく思い出せなかった。
準備を整え、俺たちは再び商館へと向かった。今度は、詰み目だけに頼らない、俺たち自身の手で組み立てた"詰み"を持って。夕焼けの街道を歩きながら、俺は、ギルベルトの言葉を頭の中で反芻していた。
――人は、そう簡単には変われないものですよ。
その言葉が正しいのかどうか、今の俺には、まだわからなかった。ただ、変わろうとする意志くらいは、持っていたいと思った。




