第2話「負けず嫌い」
「あなたも記憶がないのね。この森にどうして自分がいるのかも」
焚き火を挟んで、ルナリアが言った。魔物を倒した後、日が暮れる前にと、近くの岩場で野営することにしていた。
「私は聖女候補として、祝福を受けるはずだった。でも目が覚めたら、この森にいて」
「さっきの『詰み目』、本来はお前に渡るはずだったものが、手違いで俺に来たらしい」
「……道理で」
「悪いと思ってる」
「思わなくていい。ただ、一つだけ言わせて。私、負けず嫌いなの。奪われた力を、指を咥えて見てるだけの女だとは、思わないでほしい」
「別に、そんな風には」
「思ってなくても、態度に出てるから。さっきから、私のこと守らなきゃ、みたいな顔してる」
図星だった。俺は口をつぐんだ。
「聖女になりたかったのか」
「なりたい、じゃない。ならなきゃいけなかった。……色々、事情があって」
それ以上は、語らなかった。ただ、その横顔には、単なる憧れとは違う、何か切実なものが滲んでいた。
「まあ、いつか話す気になったら聞く。というか腹減ったな。この世界、コンビニないのか」
「コンビニ?」
「なんでもない」
焚き火にくべた枝が、パチリと爆ぜた。異世界の夜は、前世で見たどの夜よりも静かで、それでいて星の数だけは、やけに多かった。空を見上げるルナリアの横顔を、俺はしばらく、何も言わずに眺めていた。
翌朝、俺たちは街道を目指した。半日ほどで、小さな集落が見えてきた。木造の家々が並び、農作業をする人々の姿がある。長閑な光景のはずなのに、どこか張り詰めた空気が漂っていた。
入り口では数人の男たちが、一人の老人を取り囲んでいる。
「払えないなら、畑を差し出せ、爺さん」
「そんな、収穫まで待ってくれと、あれほど……」
強面の男たちの腰には、武器とわかる得物が見えた。ルナリアが、既に一歩前に出ている。
視界の端に、表示が浮かぶ。
【本日の残り使用回数:1】
夜明けを境に戻った分を、俺は迷わず発動した。
「――『詰み目』」
【対象:取り立て人。過去に不正な利子計算の記録あり】
【村長:商人に弱みを握られ、脅迫される形で協力させられている】
【隣町の商人:村全体を"合法的に"乗っ取る計画進行中。あと二週間で完了】
一瞬で、村の構造そのものが見えた。
「これが、詰み目……」ルナリアが呟いた。「私が持つはずだった力、こんな風に見えるのね」
その声に羨望とも諦めとも取れる響きが混じっていた。
「その証文、村長に確認してもらおうか。不正な利率だって、もうわかってる」
男の顔が強張った。
「……知らねえよ」
「なら問題ないな。一緒に行こう」
男たちは顔を見合わせ、苦々しく去っていった。
「あ、ありがとうございます……!」
老人が涙目で頭を下げる。俺は、思わずニヤけそうになるのを堪えた。前世で、誰かにこんな風に感謝されたことなど、一度もなかった。
「アレン、今の顔」
「どんな顔だ」
「すごく満足そうな顔。……ちょっと、怖いくらい」
その一言に、俺の頬から笑みが引いた。集落の中に入ると、他の村人たちからも、遠巻きに感謝と好奇の視線が向けられているのがわかった。誰かに見られている、という感覚は、前世では味わったことのない種類の緊張だった。
老人に連れられ、俺たちは村長の家へ向かった。村長は、話を聞くなり顔を青くした。
「気づいて、いたのか」
「商人に弱みを握られて、協力させられている。違いますか」
村長は、崩れるように椅子に座り込んだ。窓の外では、日が傾き始めていた。
「その通りだ。妻子を人質のように扱われて……逆らえなかった」
「証拠さえあれば、逆に商人を追い詰められる」
「証拠なら……ある。いつか、誰かが来てくれることを願って、隠し持っていた」
その声には、長年の恐怖と、諦めきれなかった希望の両方が滲んでいた。俺は、その重みを推し量るように、しばらく黙って村長を見つめた。
村長が取り出した書類の束を見て、俺は少し拍子抜けした。想像より、話が早すぎる。まるで、最初から誰かに見つけてもらうのを待っていたかのように。
「これで、決着がつけられる」
村長は安堵の涙を流した。何度も頭を下げてくる姿に、俺はどう反応していいかわからず、曖昧に頷き返した。だが、ルナリアだけはどこか浮かない顔をしていた。
「アレン。今回、証拠が最初からあったから、早く片付いただけよね。もし、なかったら、どうしてた?」
「その時は……また別の手を考える」
「別の手って、また『詰み目』?」
図星だった。
「あなた、便利だからって、頼りすぎてる気がする。それに」
「それに?」
「さっき、村人に感謝された時の顔。あれ、"助けられて嬉しい"顔じゃなかった。"うまくやれて嬉しい"顔だった」
言葉に詰まった。指摘されるまで、自分でも気づいていなかった違いだった。
「わかってる。……わかってる、つもりだ」
宿の天井を見上げながら、俺はもう一度、今日の出来事を反芻した。あの心地よさは、確かに、まだ体のどこかに残っていた。取り立て人を追い返した時、村長の秘密を暴いた時、そのどちらでも、頭の中には同じ感覚があった。相手の逃げ場を塞いでいく快感。前世では、追い詰められる側でしかなかった人間が、今は、誰かを追い詰める側に立っている。
隣の部屋から、ルナリアの寝息が微かに聞こえてくる。彼女があんな風に、俺の変化にすぐ気づいてくれることが正直、ありがたかった。誰にも指摘されなければ、俺はきっと、あの快感に無自覚なまま、突き進んでいたはずだから。
窓の外、異世界の月が、静かに宿を照らしていた。前世では気にも留めなかった、月の満ち欠けという当たり前のことすら、今の俺には、妙に新鮮に映った。誰かに感謝され、誰かに心配され、誰かに指摘される。そのどれもが、前世の俺には縁のなかったものだった。
明日には村を出てあの商人のところへ向かうことになる。今度の相手は、村の取り立て人のように単純ではないだろう。そんな予感が、なぜか確信めいたものとして胸の奥にあった。




