第20話「硫黄の匂い」
ギルドマスターから借り受けた地図を、俺たちは宿の一室で広げていた。蝋燭の明かりに照らされた紙面には、七つの印が不規則な間隔で散らばっている。そのうち、二つは既に解決済みだった。残る五つのうちローデン市から最も近いのは、北東の山岳地帯に記された一点だった。
「ここ、何があるか分かるのか」
「山岳地帯の廃坑、としか記録にないみたい」
ルナリアがギルドマスターから借りた資料を読み上げた。
「廃坑か。地味ね」
「地味で悪いか」
「あんたのその返し、もう聞き飽きたわよ」
エルザが呆れたように肩をすくめた。ノアは黙って地図を覗き込んでいる。
「廃坑なら俺の剣の間合いが活きる。狭い場所での戦闘は、得意分野だ」
初めて自分から意見を出したノアに、俺たちは少し驚いた顔を見合わせた。これまでは聞かれたことに答えるだけだったのが、今は自ら進んで輪に入ろうとしている。
「お前が言うと頼もしいな」
「当然のことを言っただけだ」
素っ気ない返事だったが声には以前よりずっと柔らかいものが混じっていた。
「よし、決まりだな。明日出発しよう」
「賛成。久しぶりに本気で暴れられそう」
エルザが指先に小さな炎を灯しては消す仕草を繰り返している。待ちきれない様子がありありと伝わってきた。
翌朝俺たちは四人で北東の山道を進んでいた。ローデン市からは馬を使って半日ほどの距離だという。道中何度か小さな魔物に遭遇したが、ノアの剣がほとんど一撃で片付けてしまった。
「にしてもパーティが四人になると、賑やかさが段違いね」
ルナリアがしみじみと呟いた。
「前は三人でも騒がしいと思ってたけど」
「エルザが騒がしいだけだろう」
「心外ね。私は普通よ」
「普通の人間は、依頼受注の時に大声で歌わない」
「あれは景気づけよ」
軽口の応酬にノアが珍しく小さく笑い声を漏らした。
「お前らを見てると、飽きないな」
「あら、ノアも結構楽しんでるじゃない」
「否定はしない」
四人分の足音と笑い声が山道に響いていく。前世では決して味わえなかった、この賑やかさを俺は改めて噛み締めていた。誰かと肩を並べて歩くというだけのことが、こんなにも心を軽くするものだとは知らなかった。
山道を半分ほど進んだ頃、エルザが不意に足を止めた。
「ねえ何か、変な臭いしない?」
言われてみれば硫黄のような、刺激臭が漂っている。
「廃坑が近いのかもしれない」
「それにしては、強すぎる気もするけど」
ノアが剣の柄に手をかけながら、周囲を警戒し始めた。
「気配が二つある。一つは、廃坑の方角。もう一つは」
「もう一つは?」
「俺たちの、すぐ近くだ」
その言葉と同時に茂みの中から巨大な影が飛び出してきた。全身を硫黄色の鱗で覆われた、見たこともない魔物だった。
「ワイバーンか?いや、違うもっと禍々しい」
ルナリアが短剣を構えながら叫んだ。
視界の端に見慣れた表示が浮かんだ。
【本日の残り使用回数:1】
「詰み目、使うぞ」
「頼むわ」
俺は迷わず発動した。
「――『詰み目』」
【対象:未確認種。廃坑付近に生息する、変異した竜種の可能性あり】
【弱点:喉元の薄い鱗。他の部位は硬質化しており、通常攻撃は効きにくい】
【警告:この個体、通常のワイバーンより遥かに高い知能を有する】
「喉元が弱点だ。だが、知能が高いらしい。油断するな」
「了解!」
四人の声が揃った瞬間、硫黄色の魔物が咆哮と共に襲いかかってきた。
「ノア、前に出てくれ。俺とエルザで、側面を狙う」
「わかった」
ノアが剣を構えて前方に踏み込む。巨体から繰り出される爪撃を紙一重でかわしながら、着実に距離を詰めていった。
「フレイムバレット!」
エルザの炎が魔物の横腹に着弾する。だが硬質化した鱗に阻まれ、表面を焦がす程度の効果しかなかった。
「硬い!」
「喉元以外は効きにくいって言っただろう」
「わかってるわよ!」
魔物が苛立たしげに尾を振り回す。その一撃をルナリアが間一髪で躱した。
「ルナリア、大丈夫か」
「平気。それより、隙を作って」
ノアが剣で魔物の注意を引きつけながら、徐々に喉元へと回り込んでいく。
「今だ!」
俺の声に合わせて、ノアの剣が一閃した。だが魔物も予想以上に俊敏で、完全には急所を捉えきれない。浅い傷を負わせただけで魔物は怒りを増したように暴れ始めた。
「思ったより手強いな」
「知能が高いって、こういうことか」
魔物の動きが明らかに変わっていた。最初の単純な突進からこちらの連携を見切るような、慎重な動きに切り替わっている。
「このままじゃ埒が明かない」
俺は周囲の地形に目を走らせた。岩場狭い通路、そして――
「ノアあいつを、あの岩の隙間に誘導できるか」
「できるが、何を考えてる」
「体格差を使う。狭い場所なら、あいつの動きも制限される」
ノアが短く頷いて動き出した。巧みな剣捌きで魔物を少しずつ岩の隙間へと追い詰めていく。
「エルザ、退路を塞いでくれ」
「任せて!」
エルザの炎が魔物の背後に壁のように立ち上る。逃げ場を失った魔物がますます苛立たしげに暴れ回った。
「ノア、今が好機だ」
「わかっている」
狭い空間に押し込まれた魔物の動きは、確かに鈍っていた。ノアの剣がついに喉元の薄い鱗を正確に捉える。
断末魔の叫びと共に魔物が巨体を地に沈めた。
「……やったか」
息を切らしながら、ノアが剣を鞘に収めた。
「お見事。さすがだな」
「お前の指示があったからだ。一人なら、手こずっていた」
素直な評価に俺は少し照れくさくなった。
「にしても、廃坑に着く前からこれとはね」
エルザが汗を拭いながら苦笑した。
「この先、何が待ってるかますます分からなくなってきたな」
四人で顔を見合わせ、俺たちは改めて気を引き締めた。廃坑までの道のりはまだ半分も終わっていなかった。
倒れた魔物の死骸を一瞥し、ルナリアが呟いた。
「この子も、本来ならこんな場所にいる種類じゃないはずよ。何かが、この辺り一帯の生態系そのものを歪めてるのかもしれない」
「七つの印、ってやつが関係してるのか」
「可能性は高いわね」
重い予感を抱えたまま、俺たちは再び山道を歩き始めた。硫黄の臭いは先に進むほど強くなっていくようだった。誰もそれ以上は言葉を発さなかった。
歩きながら、俺は今日使った詰み目のことを思い返していた。弱点を示しただけでなく、相手の知能の高さまで警告してくれた。これまでにない精度だった。
「アレン、何か考え事?」
「ああ。詰み目の精度が、前より上がってる気がしてな」
「習熟度とやらが、育ってるんじゃない?」
エルザが興味深そうに口を挟んできた。
「だとしたらありがたい話だ。頼れる情報が増えるのは悪いことじゃない」
「その分使い方には気をつけてね」
ルナリアの一言に俺は素直に頷いた。力が育つほど、慎重さも増していかなければならない。それはこの数ヶ月で身をもって学んだ教訓だった。
日が傾き始める頃、ようやく廃坑の入り口が遠くに見えてきた。




