第19話「ぼろぼろの日記帳」
翌日、俺たちはカインという調査官からの呼び出しを受けた。仮面の男――あの憑依の残滓となっていた人物について、正式な調査結果が出たのだという。
王都から派遣されたカインは、ローデン市のギルドの一室で淡々と報告を始めた。鎧姿ではなく、文官らしい簡素な服装に身を包んでいる。
「あの男の正体は十年前に行方不明になった、元神官のクレイグという人物だ」
身元が判明したと聞いて、俺たちは思わず顔を見合わせた。
「神官が、なんであんなことに」
「詳しい経緯は、まだ調査中だ。だが彼の私室から見つかった日記によると、娘を病で亡くしたのをきっかけに、禁じられた儀式に手を染めたらしい」
カインが一冊のぼろぼろの日記帳を取り出した。表紙は煤け、ところどころページが破れている。
「"娘を取り戻すためなら、何を捧げても構わない"。そう記されていた。彼が従っていたのは、森の奥に眠る古い存在の囁きだったようだ」
その言葉に俺は複雑な気持ちになった。ガレスの時と同じだった。悪事に手を染めた者にもそれぞれの事情がある。だからといって、許されるわけではない。それでもただ断罪するだけでは、何かが引っかかる。
「クレイグ自身は、どうなったんだ」
「捕縛時には既に憑依の影響で、正気を失っていた。今は、王都の施設で保護されている。……回復の見込みは、正直薄い」
カインの淡々とした口調がかえって事態の深刻さを物語っていた。治療不可能という言葉を遠回しに告げているようなものだった。
「娘のためにやったことが結局、娘のためにはならなかったということか」
「ああ。皮肉な話だが力というのは、そういうものだ。使う者の願いとは無関係に、容赦なく人を蝕んでいく」
重い沈黙が落ちた。ルナリアが静かに目を伏せている。食堂の喧騒がやけに遠くに感じられた。
「娘のために始めたことが、結局娘を救う可能性すら潰してしまったんだな」
「悲しい話だが、よくあることだ。力に溺れた人間の末路は、大抵似たようなものになる。最初は誰かのためだったはずなのに、いつしか力そのものに取り憑かれていく」
カインの言葉が俺の胸に小さな棘のように刺さった。力に溺れる。それは自分自身にも無関係な話ではなかった。詰み目を使うたびに感じる、あの心地よさを俺は今でもはっきりと思い出すことができた。
報告を終えたカインが去った後俺たちは重い空気を払うように、ギルドの食堂で昼食をとることにした。
「アレン今の話、気にしてる?」
食事の手を止めたままの俺に気づいて、ルナリアが心配そうに尋ねてきた。
「少しな。他人事とは思えなかった」
「あなたは、クレイグとは違うわよ」
「どう違う」
「あなたには、止めてくれる人がいる。私たちが」
その言葉に俺は少しだけ救われた気がした。
食事の席にはノアも同席していた。相変わらず口数は少なかったが、以前よりも確かに距離が近づいているのを感じた。自分から椅子を引いて座る姿一つにも、以前にはなかった打ち解けた様子が見て取れた。
「ノアお前の年は、いくつなんだ」
ふと気になって尋ねるとノアは少し間を置いて答えた。
「十九だ」
「十九……。俺たちより年上なんだな」
「二つか、三つの差だろう。大した違いじゃない」
意外にも普通に会話が続いた。以前の取り付く島もない態度からは、少し変わってきている。エルザが横から茶化すように口を挟んできた。
「十九にしては、お堅いのね」
「余計なお世話だ」
ぴしゃりと返す様子にもどこか人間味のある温かさが滲んでいた。以前のノアなら、こんな軽口にすら応じなかっただろう。
「妹さんのこと、聞いてもいいか」
踏み込みすぎた質問だったかもしれない。だがノアは今度は拒絶しなかった。
「……名前は、リリィという。俺より五つ下でよく俺の後をついて回る、うるさい妹だった」
初めて語られる、具体的な記憶だった。これまでのノアからは想像もできないほど素直な語り口だった。
「人ならざるものに連れ去られた時、俺はただ立ち尽くしていた。剣も握ったことがない、ただの子供だった」
「それからは強くなることだけを、考えて生きてきた。妹を取り戻すためじゃない。……もう、無理だと分かってる。それでも同じ思いをする人間を、一人でも減らしたかった」
淡々とした口調の端々に五年という歳月の重みが滲んでいた。その間、誰にも打ち明けずに抱え続けてきたのだろう。
「俺たちと一緒にいれば、その目的少しは果たせるかもしれないぞ」
「……かもしれないな」
小さな頷きだったがノアの表情には、どこか憑き物が落ちたような柔らかさがあった。五年間一人で抱え続けてきた重荷が、ほんの少しだけ軽くなったのかもしれない。
ルナリアがそっと言葉を添えた。
「一人で抱え込む必要は、もうないのよ」
その一言にノアは何かを言いかけ、結局小さく「ああ」とだけ答えた。だがその短い返事には確かな感謝の色が滲んでいた。
エルザが場の空気を変えるように、明るく割り込んできた。
「暗い話はこれくらいにして!せっかくだから、午後は依頼受けに行きましょうよ」
「相変わらず元気だな、お前は」
「元気が取り柄なの」
食堂に再び賑やかな声が戻ってきた。クレイグのこともノアの過去のことも簡単に消化できる話ではない。それでも前を向いて歩き続けることだけは、俺たちにもできた。
窓の外、ローデン市の空はどこまでも青く澄み渡っていた。
食後エルザとルナリアが連れ立って依頼掲示板へ向かう中、俺はノアと二人宿への道を歩いていた。
「アレン」
「なんだ」
「さっきの話、礼を言う。……誰かに話したのは、初めてだった。今まで、話す相手もいなかったが」
意外な言葉に俺は少し驚いた。
「無理に聞いたのは、俺の方だ。礼を言われる筋合いはない」
「それでも、だ。お前たちと会ってから、何かが少しずつ確かに変わっていってる気がする」
ノアの声はいつもより柔らかかった。
「悪い変化じゃないといいが」
「……悪くはない」
短いやり取りだったが確かな何かが二人の間に芽生えているのを感じた。
「これから先も、よろしく頼む」
「ああ」
それだけ言うとノアは少しだけ口元を緩めた。初めて見る、本物の笑みに近いものだった。
夕暮れのローデン市を歩きながら、俺はこの旅が少しずつ形を変えていっていることを実感していた。詰み目という力だけでなく、こうして誰かと向き合うことで得られるものも確かにあるのだと。
前世ではこんな風に誰かの過去に寄り添うことも、自分の過去を語ることも一度もなかった。異世界での日々は俺に少しずつだが人間らしさを取り戻させてくれているのかもしれなかった。




