第21話「灯りの先」
日が傾き始めた頃、俺たちはようやく廃坑の入り口にたどり着いた。朽ちかけた木の支柱と崩れかけた坑道の入り口が、不気味な口を開けている。道中の魔物との戦闘で思った以上に時間を食ってしまったらしい。
「ここから先は、灯りが必要ね」
ルナリアが懐から小さな魔石のランタンを取り出した。この旅のためにローデン市で買い揃えておいた道具の一つだった。
「エルザ。この中では炎の魔法を使うな」
「えっ」
エルザが目を丸くした。
「どうして。灯りくらい私の炎で十分でしょ」
「閉じた坑道で火を燃やすと空気が減る。それに煙の中には目に見えない毒が混じる。吸えば気づかないうちに意識を失うこともある」
前世でニュースか何かで見た知識だった。密閉された場所での火の使用がどれほど危険かは、あの世界でもよく事故になっていた。
「しかもこの硫黄の臭いだ。毒のガスが溜まってる可能性もあるし場所によっては火に引火する」
「…それ、先に言ってよ」
エルザの顔が青くなった。
「私の見せ場は?」
「ここでは諦めてくれ。外に出たらいくらでも燃やしていい」
「ずるいわ。天才の出番を奪うなんて」
「命と出番のどっちが大事だ」
「…命」
不満げに頬を膨らませながらも彼女は素直に頷いた。ルナリアが小さく笑う。
「ランタンは魔石式だから大丈夫よ。火は使わないから」
彼女は魔石に魔力を通して光を灯した。柔らかな白い光が坑道の入り口を照らし出す。
「ついでに毒の心配なら私の浄化で少しは空気を整えられるわ。長くは持たないけど」
「頼む。無理のない範囲でいい」
魔石の灯りを頼りに、俺たちは坑道の中へと足を踏み入れた。空気は淀み硫黄の臭いがさらに濃くなっている。足元の岩肌は湿り気を帯び、一歩ごとに小さな水音が反響した。
「随分と、奥まで続いてるみたいだな」
ノアが壁を軽く叩きながら呟いた。乾いた音ではなく、どこか空洞を思わせる響きが返ってくる。
「崩落の跡があちこちにある。長い間、放置されてたんだろう」
「ひっ」
突然、エルザが短い悲鳴を上げて飛び退いた。頭上を小さな影が数匹羽音を立てて通り過ぎていく。
「ただの蝙蝠だ」
「わ、分かってるわよ。ちょっとびっくりしただけ」
「魔法をぶっ放さなかっただけ成長だな」
「だって禁止されてるんだもの。我慢したのよ」
ルナリアがくすくすと笑いを堪えていた。張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩んだ。
ノアがそんな三人を見て、小さく息を吐いた。
「お前たちは危険な場所でも変わらないんだな」
「変えようがないのよ。性分だから」
「羨ましい。俺はこういう場所に来ると、嫌でも昔を思い出す」
それ以上は語らなかったがその横顔には以前のような壁は感じられなかった。
俺は慎重に足場を確かめながら先へと進んだ。前世で老朽化した施設の点検に駆り出された時の記憶が、ふと蘇る。あの頃もこうして一歩ずつ危険を確かめながら歩いたものだった。
坑道を進むにつれ、壁に刻まれた奇妙な紋様が目につくようになった。見覚えのない文字と渦を巻くような図形が、延々と続いている。ランタンの灯りに照らされると、その紋様がまるで生きているかのように淡く揺らめいて見えた。前世にテレビで見たどんな遺跡の写真とも違う、禍々しい美しさがあった。
「これ、何かの儀式に使われてた跡かしら」
ルナリアが紋様の一つにそっと指を這わせた。
「分からない。だが、嫌な感じがする。鳥肌が立つような」
エルザも珍しく口数が少なくなっていた。いつもの軽口が鳴りを潜めるほど、この場の空気は異質だった。
視界の端に見慣れた表示が浮かんだ。昼間の魔物との戦闘で使ったばかりの詰み目は、まだ回復していない。二十四時間という制約がこんな時に限ってもどかしく感じられた。
【本日の残り使用回数:0】
「詰み目は、まだ使えないな」
「仕方ないわね。自分たちの目と耳が頼りよ」
「それでいい。むしろ、その方が性に合ってる」
ノアが剣を抜いたまま、静かに言った。力に頼らない戦い方を彼は誰よりも知っているのだろう。
慎重に進んでいくとやがて、開けた空間に出た。かつての採掘場だったらしい、広い空洞が広がっている。天井は高く、ランタンの灯りだけでは全容を見渡すことができなかった。中央には巨大な結晶のようなものが、淡く発光していた。
「あれは、何だ」
「魔石の原石にしては、様子がおかしいわね」
ルナリアの言う通り、結晶の表面には見たこともない紋様が幾重にも刻まれていた。まるで何かを閉じ込めるための檻のようにも見える。
「調べてみる価値はありそうだ」
ノアが剣の柄に手をかけたまま、慎重に歩を進めた。
ルナリアが警戒するように近づいていく。結晶に近づくほど硫黄の臭いが強くなり、肌がひりつくような感覚があった。
「待て、ルナリア。何か嫌な予感がする」
俺の警告が届くより早く、ルナリアの手が結晶の表面に触れかけた。
俺が声をかけた瞬間結晶が突然眩い光を放った。
「っ、眩しい!」
光が収まると結晶の前に一人の人影が立っていた。灰色のローブを纏った、痩せた老人だった。目は虚ろで生気が感じられない。肌は紙のように薄く、長い年月の重みをその姿全体から滲ませていた。
「……また、来たか」
しわがれた声が空洞に反響した。「また」という言葉に俺は引っかかりを覚えた。
「あんた一体、何者なんだ」
「ただこの結晶の番人として、長い長い間ここに留まっているだけの者だ」
「番人?」
「この結晶は古の神が、この地に封じた力の残滓。……私はそれを守るために、長い年月ここに縛られている」
老人の言葉に俺たちは顔を見合わせた。フィオナの語った"眠ってる脅威"と、また繋がる話だった。
「長い年月というのは、具体的にどれくらいだ」
「数えるのも、もう億劫になるほど長い。百年か二百年か……正直、私自身にももう分からない」
想像を絶する時間の長さに俺たちは言葉を失った。目の前の老人が本当にそれほどの年月を生きてきたのだとすれば、その孤独は俺たちの想像を遥かに超えるものだろう。
「その力、俺たちに渡してもらうわけにはいかないのか」
「無理な相談だ。これは、人の手に負えるものではない。扱いを誤れば、災いしか生まない。……だが」
老人が虚ろな目を俺に向けた。その視線には何百年も人を見てきた者だけが持つ、底知れない重みがあった。
「お前からは奇妙な気配がする。詰み目の持ち主、か。……お前になら、あるいは」
「あるいは?」
「この結晶の真実を、見せてやってもいい」
老人が杖を一振りすると結晶の光がさらに強くなった。空洞全体が淡い光に満たされていく。まるで呼吸をするように光が脈動していた。
「ただし、相応の覚悟が必要だ。この光に触れた瞬間お前は、この世界の"詰み"の全貌の一端を、否応なく理解することになる」
「全貌の、一端?」
「そうだ。知れば、もう後戻りはできない。それでも、望むか」
重い問いが空洞に響き渡った。
ルナリアが俺の袖を掴んだ。
「アレン、焦って決めないで。これ、罠の可能性もある」
「わかってる。だがここまで来て何も知らずに引き返すのは、俺の性に合わない。この世界でもう一度生きると決めた時から、覚悟はできてたはずだ」
俺は結晶の光を見つめた。フィオナが語った言葉の端々、ガレスの最期の呟き仮面の男の正体。この数ヶ月で見聞きしてきたすべてが、この一瞬に繋がっていくようなそんな予感があった。
「知らないままでいる方が、俺には怖い」
「アレン……」
ノアが静かに口を挟んだ。
「お前が決めることだ。だがもし踏み込むなら、俺たちもそれ相応の覚悟を決める」
「俺も、賛成よ。知るなら、一人きりじゃなくてみんなで一緒に知った方がいい」
エルザの言葉にルナリアも渋々といった様子で頷いた。
四人の視線が俺に集まる。老人は何も急かすことなく、ただ静かに待っていた。長い年月を生きてきた者特有の、忍耐強さがその佇まいから滲み出ているようだった。
俺はゆっくりと息を吸い込んだ。
「見せてくれ。その"真実"とやらを、全部だ」
その言葉と同時に結晶の光が俺の体を包み込んでいった。視界が白く染まり、仲間たちの声が遠くに霞んでいく。
「アレン!」
ルナリアの叫び声を最後に俺の意識は光の奥へと吸い込まれていった。




