第15話「消えた行商人」
ローデン市に戻って数日、ギルドの空気がどこか落ち着かないことに気づいたのは、朝一番に依頼掲示板を見に行った時だった。
掲示板に貼られた紙の枚数は、以前より明らかに増えていた。
「なんだか、貼り紙が多いな」
「行方不明者の捜索依頼ばかりね」
ルナリアが眉を寄せながら、何枚もの貼り紙を見比べていた。
「ここ半月で、行商人が四人。街道沿いの村からも、住人が数人消えてるみたい」
「四人も?」
エルザが、驚いたように声を上げた。
受付にいたセレナが、いつになく深刻な顔でこちらに近づいてきた。
「実は、上の方でも問題になってるの。ただの野盗や魔物の仕業にしては、消え方が妙で」
「妙、とは」
「争った跡がほとんどないのよ。まるで、自分から姿を消したみたいに」
セレナの言葉に、俺は思わず息を呑んだ。ガレスの一件、そしてフィオナが語った"眠ってる脅威"のことが、頭をよぎる。
「セレナ、この依頼俺たちが受けてもいいか」
「Dランクにはまだ厳しい依頼かもしれないけど……あなたたちなら、頼めるかもしれない。ギルドマスターにも掛け合ってみる」
依頼の許可が下りたのは、その日の午後だった。ギルドマスター自ら、俺たちの実績を評価してくれたらしい。捜索の起点は、街道沿いの小さな宿場町。俺たちは早速、馬車でそこへ向かった。
宿場町に着くと、住人たちの表情は一様に暗かった。すれ違う誰もが、俺たちを見るなり不安げな目を向けてくる。
「また誰かいなくなるんじゃないかって、夜も眠れやしない」
老婆が、震える声で言った。
「最後にいなくなったのは、いつですか」
「三日前だ。若い行商人でな。宿を出て、森の方に向かうのを見た者がいる」
森、という単語に、俺たちは顔を見合わせた。
「その森、案内してもらえますか」
村人の案内で森の入り口に立つと、うっそうと茂った木々が行く手を塞いでいた。視界の端に見慣れた表示が浮かんだ。
【本日の残り使用回数:1】
「使うか」
「使って」
ルナリアが即答した。俺は頷いて、詰み目を発動する。
「――『詰み目』」
視界に、いつもの文字列が浮かぶはずだった。だが、今回は様子が違った。
【対象:森全体】
【異常検出:通常と異なる魔力の流れを確認】
【詳細情報の取得に失敗:未知の干渉あり】
「失敗、だと……?」
詰み目がこんな反応を返すのは、初めてだった。表示された文字が、途中でノイズのように乱れている。
「アレン、どうしたの」
「詰み目が、上手く機能してない。何かが、邪魔してる」
普段は軽口ばかりのエルザの顔から、すっと笑みが消えた。
「相当ヤバい相手ってこと?」
「多分な」
森の奥から微かに、異様な気配が漂ってくるのを感じた。肌がひりつくような、今までの敵とは明らかに種類の違う何かが、そこにいる。
「引き返す?」
ルナリアの問いに、俺は少し考えて首を振った。
「いや、行く。行方不明者が、まだ生きてるかもしれない」
「無茶はしないでよ」
「するつもりはない。だが、見捨てるつもりもない」
三人で覚悟を決め、森の中へと足を踏み入れた。
森を進むにつれ、空気が明らかに変わっていった。木々は不自然に立ち枯れ、地面には見覚えのない黒い染みが点々と続いている。踏みしめる度に、足元から冷気が這い上がるようだった。
「これ、血の跡かしら」
「いや、もっと不気味な感じがする。血じゃない、別の何かだ」
エルザが、炎を灯して周囲を照らす。その光の中に、朽ちかけた荷馬車が見えた。行方不明になった行商人のものだろう。
「誰も、いないな」
荷馬車の周りを調べていると、不意に、頭上から声が降ってきた。
「随分と、賑やかな客が来たものだ」
反射的に見上げると、木の枝の上に、黒いローブを纏った人影が佇んでいた。顔は、白く無機質な仮面のようなもので覆われている。月明かりに照らされたその姿は、生きた人間には見えなかった。
「あんたが、行方不明の連中をどうにかしたのか」
「ああ、そうだ。もっとも、私が奪ったのではない。彼らは自ら望んで、捧げられたに過ぎない」
「捧げられた?」
「知らないのも無理はない。この森には、古くから眠る、小さな神がいてね」
その言葉に、背筋が凍った。フィオナの言っていた"眠ってる脅威"――それが、こんなにも早く、こんなにも近くに存在していたとは。彼女が忠告した意味を、今になって痛感していた。
「その神とやらのために、人を攫ってるのか」
「攫うとは人聞きが悪い。私は、ただの案内人だ。喜んで捧げ物になりたいという者を、導いているに過ぎない」
淡々とした語り口が、かえって不気味さを際立たせていた。まるで、人の生き死にを、天気の話でもするように語っている。
「そんな奴、いるわけがない」
「いるさ。絶望した者、希望を失った者。この世界には、そういう人間が、思いのほか多くてね」
仮面の奥から、くぐもった笑い声が漏れた。ガレスの時とは、明らかに違う種類の危うさを、俺はその声に感じ取っていた。あの男には、まだ人間らしい執着があった。だが目の前のこれは、もっと得体の知れない何かだった。
「さて、お前たちはどうする。素直に立ち去るか、それとも」
人影が、ゆっくりと地面に降り立った。仮面越しでも分かるほど、濃密な気配が、辺り一帯に広がっていく。
「私の"客"に、なってみるか」
不気味な誘いの言葉に、俺たちは一斉に身構えた。エルザが、既に指先に炎を灯していた。
「答えなんて、最初から決まってるでしょ」
「無論、断らせてもらう」
俺は、詰み目の情報が乱れていることを思い出しながらも、前に出た。
「行方不明者を、こちらに返してもらう。話し合いで済むなら、それが一番いいが」
「話し合い、か。実に人間らしい発想だ。だが」
仮面の男が、指を軽く鳴らした。次の瞬間、周囲の木々の陰から、黒い影のようなものが幾つも滲み出てきた。人型をしているが、明らかに生者のものではない気配を纏っている。
「話し合いの前に、まずは私の"客"たちに、丁重に挨拶してもらおうか」
ルナリアが、短剣を静かに構えながら小さく呟いた。
「アレン、あれ」
「ああ、見える。……多分、行方不明になった人たちの、成れの果てだ」
淡く発光する黒い影の輪郭は、どこか人の形の残滓を留めていた。
背筋が、冷たくなった。もし本当にそうだとしたら、これは単なる戦闘ではない。救出すべき相手と、戦わなければならない相手が、同じ姿をしているということだ。詰み目が正常に機能していれば、あるいは違う対処法も見えたかもしれない。
「これは厄介、ね」
「ああ。だが、退くわけにはいかない」
森に迷い込んだ人々が、こんな姿にされてしまったのだとしたら、なおさら見過ごせなかった。
黒い影たちが、じりじりと間合いを詰めてくる。仮面の男は、木の上から、面白そうにその光景を見下ろしていた。
「せいぜい、楽しませてくれよ。新しい"客"候補たち」
その声を合図に、影の群れが一斉に動き出した。




